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ダンパツショウジョ 序章

ダンパツショウジョ 最終更新20180605

 

 

命の危機を覚えたのは初めてだった。
 悠依の目に鈍く光るハサミが映る。顔を知る女子がそれを無造作にちらつかせた。

「ね。菅野サン。その鬱陶しい髪、切ってあげる。」
「動かなきゃ怪我とかしないから大丈夫。ほら、サッパリしよ?」

 くすくす、そんな風に後ろにいる女子たちは笑った。悠依の目が見開かれ、ただその瞳には、迫り来る鈍色が映っていた。

 不安障害をはじめとした精神障害を、菅野悠依は抱えていた。見知らぬ人が大勢いる場所に居ることができない。顔を知っていても、自分より目上の人、また初対面の人とはうまく話すことができない。頭は真っ白に、口はからからに乾く。どうしようもなく不安に駆られ、泣き喚くこともあった。

「悠依。こんな感じでどう?」

 ふと、悠依は意識を覚ます。鏡越しに友達の姿が見えた。荻原凪那は、悠依の親友だ。
 悠依のこの病気に対して、多くの人は煩わしいと離れていった。だが、凪那だけは悠依を守っていてくれた。ただ一緒に居るだけでなく、時には厳しく悠依のことを叱ってくれた。一方的な侮辱や蔑みではない。それは悠依の不安定な感情を諭して、安心をくれるものだった。
 荻原凪那は現在も悠依と同じクラスだ。中学の頃からずっと同じクラスである。――学校側が凪那に悠依のことを押しつけているという背景があることは、それは悠依も凪那も、誰にも知られてはいない事実だった。

「ナギ、ありがとう。」
「どういたしまして。」

 凪那は、ハサミなど悠依の髪を整えるのに用いた道具を片づけながら、にこりと笑った。

 数時間前。悠依は、違うクラスの名も知らない女子生徒たちに、いたずらに髪を切られた。悠依の髪は長く、少し暗い印象があった。別段理由があって伸ばしていたわけではない。悠依の抱える障害が原因で、美容室へ行けなかったことがすべてだった。しかし以前から、悠依のその通常ではない言動について、事情を知らないほかの生徒たちに良くない印象を与えていたらしく、たびたび事がある毎に噂をされた。
 あの時、悠依の長かった髪は肩くらいまでの長さに切られ、悠依は取り乱した。校舎内に響く大声で泣き喚き、悠依の親友である凪那が駆けつけたときには、複数の生徒と教師が戸惑い困惑をあらわにしていた。すでに事の発端となった女子生徒たちは居なくなっていた。
 悠依はその後、教師に「誰にやられたのか」を訊かれたが、答えなかった。これは今回だけのことではなかった。誰かに罵られたり、いやな思いをさせられても、悠依は決して相手のことを話さなかった。
 教師を信頼していないから。ただそれだけの理由などではない。様々なことを考えて(利害など関係なく)、話すことが出来ないのだ。悠依は、そういった障害を抱えているのである。

 凪那に整えてもらった髪は軽く、悠依も気に入った。美容室に行けないため、悠依はこうして身近な人に髪を切ってもらっている。周囲の人間が提案しなければ、悠依自身は自分に無頓着である節があるため、いつまでも髪を伸ばし続ける。

「悠依、前貸した防犯ブザーはどうしたの?」

 床に散る切ったばかりの自分の髪の毛を掃く悠依に、凪那が問うた。悠依はついと凪那に振り向いて、「あるよ」と、ごく普通に返す。凪那はきょとんとしたのちに、呆れたように苦笑いした。

「あるよ、じゃなくてね。どうして使わないの。防犯の意味ないでしょ。」

 凪那の尤もらしい意見にも、悠依は「ごめん」としか謝らなかった。
 防犯ブザーなんて鳴らしたら、みんな迷惑に思うのだろう。結果的に泣き喚く自分も大概だが、機械音は、もっと怖い。悠依はチリトリをぱたぱたとゴミ袋の上で振った。……たとえ凪那が親友と呼べる程度の他人であっても、悠依はどこかで信頼しきるのを恐れていた。

 ――7年前。悠依が小学五年生のとき。それまで友達として接してくれていた子の『裏切り』。これがすべての始まりだった。
 自分の知らないところ、本人が居ない場所での陰口。それを偶然聞いたクラスメイトが先生へ、それから話し合いへ発展した。
 仲良くしていた相手は、自分を蔑み笑っていた。ただそれだけのこと。されど、それほどのこと。それは純粋な悠依にはあまりに辛い出来事で、ショックはとても大きかった。
 誰を信じていいのかな。そう考えたとき、悠依は絶望した。家族さえ信用できなくなった。他人から嫌われている(という被害妄想の)せいで自分自身さえ好きになどなれない。『誰も信じられない』と、結論付けたのはそれから間もなくしてからだった。
 たった一度の、たった一言の『裏切り』が、悠依を壊した。当時から友達だった凪那さえ、あの頃は信用できずにいた。けれど、凪那に対する疑心は時間が解きほどいてくれた。しかし悠依の心は、高校生になった今なお完治の兆しはみえなかった。

「ナギ。」
「ん。どうした?」

 後処理をすべて終え、凪那が息を吐いたのを見た悠依は名を呼んだ。凪那は相変わらず、優しい微笑をたたえている。少し安堵し、悠依は、

「いつもありがとう。」

 と、笑顔をみせた。凪那以外、誰にも見せない悠依の笑顔は、明るくて好印象を与える。悠依が安心できるのは、凪那が傍にいてくれるときだけだった。

「なぁに、改まって。照れるじゃない。」

 凪那は頬を染めて、そっぽを向いた。
 短くなった悠依の髪が、窓から入る風に揺れる。穏やかな気候、昼下がり。悠依は、久しく安定した気持ちで居た。

 

 

 

 

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