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エターナルブレイド 第8話

エターナルブレイド 第八話 『賢録古書、開かれるとき』 20120326 修正20120328(最終更新20180605)

 

 

 祝い事に相応しいほどに澄み渡った青空を見上げる。私はアスドワさんから渡された衣装を身にまとって、今は自室で待機していた。
 これから向かう先はこの国を統治する王のいるお城。学院の敷地から外へ出たことはないため、今日が初めての外出だ。とは言え、私が少しだけ憂鬱なのは、お城へお呼ばれした理由が、あまり嬉しくないものだから。


 ――『時の調律者』候補から、正式な『時の調律者』へなるかもしれない。そして、もしそうなれば、もう元の世界へ帰ることができないかもしれない。
 昨日、ルラから告げられた言葉は、今なお私の胸を変に締め付けていた。……もし、正式に『時の調律者』に認定されなくても、『時者』としての未来可視の力が目覚めた今、私は時空間世界監査局員にならなければならない。どちらにしろ、元の世界――私の住んでいた日本へは、もうしばらくは帰れないのだ。
 憂いを覚えながら、私は首からさげるネックレスの石に触れていた。

 

『リリーン! 第二学生、ルラ・フィン・カーティス。』

 

 インコの置物が来訪者の名を告げた。私が扉を見ていると、ノブが回され戸が開いた。金髪に、緑の目。いつもとは違う衣装を着たルラが姿を見せた。

 

「準備は出来ているか、ナコ。」
「うん。」
「では、行こう。君の護衛として白服生徒のミシェルとテオが待っているから。」

 

 ルラの後に続いて退室する。すっかり慣れた学院の通路を進み、階段を下りて、正門を目指す。そこには制服ではなく、しかしルラとも違う衣装を着用するテオとミシェルがいた。
 私と目が合うと、ミシェルはにこりと笑った。

 

「おはよう、ナコ。調子はどう?」
「うん、大丈夫。二人とも、今日はよろしくね。」

 

 護衛をしてくれる二人にそう言うと、テオたちは顔を見合わせて、それから微笑を向けてくれた。
 テオとミシェルが着る服は、有事の際にスリー・カラーが着用する正装だそうだ。ルラが着る服については、『時の調停者』候補としての儀式用の衣服で、私が着る服が『時の調律者』候補としての儀式用の衣装らしい。肌触りの良い素材で作られている服で、着心地はとても良い。
 お城までは、外からは中がうかがえない馬車に乗って移動した。特に問題もなくお城へ着き、馬車から降りた私は、絶句した。
 初めて間近で見るお城は、まるで最近建てられたみたいに外観が綺麗で、悠然としていた。降ろされた場所は裏庭のようなところだ。花壇や見慣れない木があり、白やら黄やらの色をした花が風に揺れている。そして、目につくのは武器を所持する兵士らしき人たち。その手には槍や薙刀といった柄の長い棒状の武器が多く、中には一見すると機関銃のように見えるものを持っている人もいた。驚いて、少しだけ俯いてしまう。

 

「ナコ、こちらへ。」

 

 ミシェルが先立ってお城へと入って行く。私は後を追って入った。私の後ろにルラが、ルラの後ろからテオがついてくる。お城の中は学院よりも天井が高く感じられた。そして、とても明るいように思った。広く明るいこの部屋が、学院のそれよりとても明るく感じた理由を、私はすぐに気がついた。
 窓枠や窓ガラスがないのに、外の景色が見える。お城へ入る前、壁には、このような広い窓などなかったはずなのに。マジックミラーのように、外からは分からないが、内側からだと外の景色が見える造りになっているのかもしれない。何人もの兵士たちが、誰一人怠けることなくその場で周囲に警戒を張る姿が、とてもはっきりと見える。風が吹いて木の葉や草原を揺らす様子も、なんの妨げもなく見える。
 ミシェルについて階段を登り、二階だろうか。ここの通路の壁にも窓枠のない窓があり、外の様子がはっきりと一望できた。

 最奥には、重々しげな鉄の大扉がある。扉のサイドには一名ずつ、槍を所持する兵士が立っていた。ミシェルは横に立ち、

 

「ナコ。この先に国王陛下と姫君たちがお見えなので、無礼のないようにね。」

 

 扉の前に立った私にそう忠告してきた。一瞬、どきっとして返事が出来なかったが、小さく頷いてみせるとミシェルはにこりと笑ってくれた。
 テオが進み出て兵士に何か告げる。兵士たちは視線を交わして、大扉へとほぼ同時に槍をかかげた。
 鈍い音を響かせながら、扉が開かれる。どきどきと、高鳴る心臓がうるさかった。

 初老らしき男性が(私から見て部屋の右側に立っている。なんとなく、彼は神官だと直感した)、呼びかけてくる。

 

「『時の調律者』候補、『時の調停者』候補。前へ。」

 

 私とルラは、部屋へと踏み入った。
 部屋の奥には厚手の布が垂れ下がっていて、その布の両端には、一人ずつ兵士が立っている。布の前の雛壇には二脚の椅子。椅子と椅子の間には、五メートル程度の距離があった。そしてその椅子には、絢爛豪華な衣装を纏う女の子らしき人たちが座っていた。二人はヴェールを被り、顔ははっきり伺えない。なのに私が女の子と判断した理由は、衣装は童話の世界のお姫様が着るようなものだったからだ。
 向かって左側に着席する女の子は、白基調のドレスを着ている。そして右側に着席する女の子は、黒基調のドレスを着ていた。どちらかがセレス姫で、どちらかがエレナ姫だろう。名前しか知らないので、顔を見てもどちらがどちらかなど分かるはずもなかったが、私は高貴なお姫様たちを前に、そのように思案していた。
 先ほどの男性が姫様たちのいる雛壇の前まで歩みを寄せて、私たちのほうを向いた。

 

「アイミヤ・ナナコ。前へ。」

 

 突如本名を呼ばれて、私はびくりとしてしまった。戸惑いながらも一歩踏み出す。それを確認した男性は、今度はルラの名を呼んだ。ルラは私の隣へ進み出て、片膝をついた。慌てて私も模倣し、ルラと同じように頭をさげる。
 今度はまた別の男性の声が聞こえた。

 

「おもてをあげよ。」

 

 言葉に従って顔をあげると、初老の男性の傍には別の人が立っていた。年の若い(見た感じは三十歳台くらいだろうか)、けれど普通ではない印象を纏うこの男性。神官ではない。かと言って一般の男性でもない。威厳が漂い、けれどどこかに穏やかな雰囲気を併せ持つ、不思議な人。
 じっと見つめると、その男性と目があった。左目は帽子から垂れる布に隠れて見えなかったが、右目は、綺麗な真紅の色をしていた。

 

「アイミヤ・ナナコ。そなたは、『時空間同時世界』、西層圏銀河系第三惑星『地球』の非魔法者である。相違ないな?」
「は、はい。」
「宜しい。では、自身を『時の調律者』候補と認めるか?」
「……はい。」

 

 誰だか知らないが、この人に嘘などは通用しないと思った。嘘をつくつもりなどなかったので素直に認める。……いや、認めるのは本当は怖かった。嫌だった。なんだか、もう本当に日本へ帰れない気がした。
 視線を床に落として、私はじっとしていた。ルラにも私と似たような質問がかけられている。ルラの凛とした覇気のある返事は、室内に響いていた。いつも通りの、強気なルラ。お姫様がいるというのに、一切の動揺も迷いもない。私は隣にいるルラが、少しだけ羨ましいと思った。

 

「――宜しい。『時の調律者』候補アイミヤ・ナナコ、『時の調停者』候補ルラ・フィン・カーティス。王家竜紋の刻印、第一祖フレイルライズの御魂、聖眼に宿し、証明紋発創、確とし授く、ス・アング・アゼラ・リア・エン。」

 

 男性の声は決して大きくはない。けれどその声は、私の脳に直接響くように、とても大きな声だと思った。


 私の目の前にふと光景が拡がる。大草原、のようだ。地平線のかなたまでも青々とした草が続いている。空は真っ青、大地は若草、そこに白が現れた。木綿のようにはためくその白は、少しずつ人の形を作っていく。顔はない。白が形作るのは、どうやら衣装。風にはためく白い木綿は、男性のようだ。


 明滅して、薄暗い景色が現れる。夏の夕闇か、あるいは冬の夜明け前か、そんな明るさが一面を覆う。草原ではない。住宅街というよりは、城下町のように見える。家の輪郭は薄ぼんやりとではあるが、ちゃんと見えた。しかし人は居ない。誰も、居ない。人の住む気配は一切ない。動物も植物もなにもない。星もない。月もない。ただ、薄明かりの中に物体が佇んでいるだけだった。


 意識を覚ますように気付くと、橙色があった。視界が広がり、それは炎だと気付いた。人々がいる。逃げ惑っている。泣き叫んでいる。あちこちで真っ黒い煙があがっている。混乱の中で、一瞬なにかが瞬いた。そのすぐあとに、辺りは真っ白に包まれた。まぶしい。なにもなくなった。明かりが弱まると、見えたのは地に伏せる人々。炎はまだ燃え続けている。煌々と、存在を主張している。揺らめく炎の中から、白い木綿が現れた。人の形。男性だ。ぞっとするほどに、真っ黒いなにかを纏いながら、ゆっくりと歩いている。誰なんだろう。なにをしたんだろう。問いかけは、彼には聞こえない。彼に私は見えていない。私はそれを知っていた。

 

「目をさましなさい。アイミヤ・ナナコ。」

 

 名を呼ばれ、私は目の焦点を目の前のものに合わせた。綺麗な真紅の瞳が見えた。先ほどの男性だ。あれ、と重力を感じ、私は仰向けに倒れていることに気付いた。ゆっくり身を起こすとルラが不安げにこちらを見ているのが見える。私は気を失っていたらしい。

 

「未来可視が発現したと見受ける。慣れておらぬか、無理もない。ここへ辿り着き七昼夜。初発現は数刻前と。良い。しばし休め。」
「陛下。」
「そなたは傍に居たほうが良い。共に休め。」

 

 声をかけたルラに男性は言いつけて、神官の男性を従えて視界から居なくなった。静寂の室内に、足音が響く。目を遣ると、扉からミシェルとテオが来た。二人は姫の御前だからか、すぐには近くには来なかったが、雛壇のほうから「許可します」と女の子の声がしてから、私の傍まで来た。

 

「ミシェル、テオ。」
「大丈夫? 心配したわ。突然、倒れるんだもの。」

 

 ミシェルは泣きそうな声で私の手を握っている。テオも心配してくれていたのだろう。何も言わなかったが、ふっと小さく溜め息を吐いていた。
 雛壇上で椅子に座っていた姫様が立ち上がった。気配を察して、ルラたちが整然と片膝をついた。私もすぐに真似して頭を下げた。かつ、と石造りの床にヒールのような音が響く。音は、意外なことに私たちのほうへ近づいていた。

 

「お顔をあげて。」

 

 さっきの女の子の声だ。私は恐る恐る顔をあげた。白いドレスを纏うお姫様が、私たちのすぐ前まで来ていた。彼女は顔にかかるヴェールをそうっと捲り、その顔を見せてくれた。美しいブロンドの髪に、印象的な浅葱色の目。微笑をたたえるその顔立ちは整っていて、見つめられるとなんとなく気恥ずかしさを覚えてしまうほど。ぱっちりとした目元には長いまつ毛が、彼女の瞬きに合わせて微動する。
 この女の子は、姉君だろうか、妹君だろうか。なんとなく考えてみるも、答えなど見つからない。
 ふっと目を細めて、姫様は会釈した。

 

「わたくしは、エレナ。ナナコ様、ルラ様。よく来てくださいましたね。歓迎します。」

 

 私の名前をこんなふうに簡単に発音してくれたのは、何人目だろうか。エレナ姫というと、昨日、他国の王子様と婚姻を結んだという妹君だ。こんなにも美しいお姫様がいるなんて、童話の世界だけのお話ではなかったのかと、そんなことを思ってしまった。
 エレナ姫は表情を変えることなく、雛壇に居るもう一人の姫のほうを見た。黒のドレスを着る姫様は、ゆっくりとこちらへ向かってくる。エレナ姫の姉、セレス姫様。いまだヴェールは顔にかかったままなので、表情はうかがえない。

 

「セレスお姉様は、ナナコ様と同じ、『時の調律者』候補なのです。」

 

 頬を薄紅色に染め、エレナ姫は嬉しそうに教えてくれた。私は驚いて、こちらへ向かってくるセレス姫を見つめた。稀少で貴重な存在という『時の調律者』候補だが、まさかお姫様までもが候補者になっているとは思わなかったのだ。
 私と同じ未来可視の力を持つお姫様。こんなにも美しい妹を持つのだから、きっとセレス姫も美麗な容姿なのだろうと、私は思った。

 

「……軽率ね。わたしの素性をそんなにさらりとバラすなんて。」

 

 低い、怒りを帯びた声が響く。位置的にはセレス姫のほうからだが……まさか、セレス姫が声を発したのだろうか。それにしても、エレナ姫とは全く異なる口調に、私は口をつぐんだ。
 歩調を速めて、エレナ姫の傍まで来ると、セレス姫はそのヴェールを脱ぎ捨てた。荒々しく、まるでうっとうしいと言うように、それはもう豪快に床へと叩きつけた。

 

「あ……あの、セレスお姉様。ごめんなさい。……わたくしは。」
「まあ、いいわ。」

 

 黒く艶やかな髪、漆黒の瞳は怪しく威嚇の色を放っている。切れ長のその目は、じっと私たちを見下ろしていて。すっと通った鼻筋に、締まった顔の輪郭。不機嫌さをあらわにしている眉根の皺。謝罪を口にする清楚な印象のエレナ姫とは、まるで対照的だ。セレス姫は美人ではあるが、どこかに棘のある、いうなれば薔薇のような印象のある姫様。エレナ姫は柔らかく穏やかな、白の似合う百合という感じだろうか。そんな、なんだか真逆の二人が姉妹であるとは、言われなければ分からないほどにあまりに似ていない。
 不意にセレス姫がその鋭い眼つきを私へ向けた。ぎくりと心臓が変な揺れ方をする。思わず身構えて、少し怯みながらも私はセレス姫の黒の目を見つめ返した。

 

「あなたが『時の調律者』候補なんて……少し、頼りない感じはするけれど……」

 

 じっと、セレス姫は視線をそらさずに、試すように私と距離を詰めていく。かつ、と足音を鳴らしてセレス姫が近づく。私は彼女の目から決して離さないようにと耐えていた。もしも視線をそらしたら、なんとなく良くないことが起きる気がした。
 かつん。また、足音が鳴る。セレス姫は切れ長の目を僅かに細め、私の直前まで来た。いくら美麗な姫様といえど、こうして凄まれるというのは、少しだけ怖い。影のさす彼女の顔、言い知れない威圧をその目から放っている。薄紅の唇が言葉の形を作り出した。

 

「わたしの身代わりとして、せいぜいお努めなさい。あなたも望まぬ悲遇に遭い、さぞ嘆かれているでしょうけれど。……今後、一切、わたしはあなたと瞳を合わせない。わたしのこの目、存分に焼きつけなさい。そしてわたしを忘れることなく、『時の調律者』をまっとうなさい。」

 

 ふと、セレス姫の指が、私の頬に触れる。いや、触れたかどうかは、分からないような、微妙な接触だった。
 細められた黒い目が、少し伏せられる。私はセレス姫のその姿に、よく分からないが、なんとなく哀愁を感じた。
 ドレスを翻し、セレス姫は黒い髪をなびかせて離れていく。私はなにか言おうにも、口からは言葉は出なかった。

 

「お姉様……」

 

 エレナ姫の、寂しげな呟きにも、セレス姫は聞こえなかったように去っていく。そうして姿が見えなくなったとき、エレナ姫がようやく微動した。

 

「もしも、不快に思われたのでしたら、わたくしがお詫びを申し上げます。」

 

 悲しげに微笑して、エレナ姫は私たちにそう告げてきた。私は首を横へ振り、

 

「不快になんて、思っていません。少しだけ、驚きましたけど。」

 

 正直にそう述べた。エレナ姫の目がはっとして見開いた。そして目を閉じ、再び開くとどことなく嬉しそうに表情を和らげた。

 

「よかった。セレスお姉様は、少し、気難しいかたなのです。だから……どうか、悪く思わないで。」

 

 エレナ姫のその言葉の言い方。懇願しているみたいに映るのは、なぜだろうか。

 たった二ヶ月、生まれた日が違うだけで、二人の姫様は同じ年で姉妹であるという。姉のセレス姫様はクールな印象を与え、妹のエレナ姫様は穏やかな印象を与える。同じ血を分け合う姉妹といえど、セレス姫は正室の娘で、エレナ姫は側室の娘。父こそ同じだが、もう半分の血は全く別のもの。だからといって、ここまで対照的なお姫様の姉妹がいるのだろうか。髪も目も性格も口調も、ここまで一致しないというのは、なんだか……。
 与えられた別室で、私は静かに椅子に座っていた。ふと窓のほうを見ると、爽やかな青空には少しだけ雲が遠慮がちに浮いているのみで、雨の気配は全くなくて。お城を取り囲む高い城壁の先に、大自然に囲まれた城下町が見えた。
 いつもエレナ姫たちは、この景色を眺めているのだろうか。などと、なんとなく自分が姫になった気分で、街のほうを眺めていた。

 

「ナコ。体調などは大丈夫?」

 

 扉が開き、ミシェルが入室してきた。姫様たちとはまた違った雰囲気を持つ、可愛らしいミシェル。外国の女の子は、どうしてこんなにも可愛いんだろう。私はミシェルに笑いかけ、彼女と一緒に部屋を出た。
 祭典が始まる旨と、これから私は『時の調律者』候補として、特別席へ行くことになると、ミシェルは言った。ルラはすでにテオと向かったそうだ。
 長い長い通路の先に、光が溢れている。その中へ踏み入れば、私は軽いめまいを覚えてしまった。

 

「ナコ。ここが君の席だ。」

 

 着席するルラの隣に設けられている一脚の椅子。木製で、先ほど姫様たちが座っていたような、特別な装飾の施されたそれに、私はそっと腰掛けた。眼前に広がる光景に気圧され、私はこうして座るのがやっとだった。
 私たちが居る場所は、広大な広場の上空。コロシアムのような造りによく似ている広場だけれど、収容されている人々の数はおびただしく、サッカーのワールドカップを彷彿とさせる……いや、その何十倍もの人々が集っているだろう。広場中央にはさらに塔のようにそびえ立つ円形の土台があり、ちょうど五角形を作るかたちで五つの松明が灯されてある。
 私たちの居る場所と対極する向こう側の上空にもバルコニーがあり、そこには先ほどの赤い右目を持つ男性と、さらに彼の斜め後ろ、両サイドには姫君が二人、座っていた。男性の頭部には、先ほどとは違う三角の形の帽子がある。私はそれを見て、ようやく知った。
 あの男性は、王様だ。そういえば、「陛下」と呼ばれていたような覚えがある。
 私は胃袋が凍りつくような感覚を覚え、同時に俯いた。なにか失礼なことはしなかっただろうか。もし無礼を働いていたとしたら、無事では済まないだろう。意識を失ったあのとき、無意識のうちに何かしらの無礼講を働いていたとしたら……元の世界へ帰れないどころか、最悪処刑なども考えられる。

 

「ナコ。どうした、気分が悪いのかい?」

 

 テオに声をかけられ、私は顔をあげた。テオは驚いた顔をして、私の肩に手をのせた。

 

「顔色がよくない。ミシェル、飲み物を。」
「まあ……真っ青だわ! お水でいいかしら。待っていて。」

 

 テオに続きミシェルは悲鳴じみた声をあげて、通路へと駆けていった。私はテオに「違うの」と首を横へ振る。

 

「ちょっと消極的なこと、考えてただけなの。気分が悪いんじゃないよ。大丈夫。」
「でも……」
「ごめん。本当に大丈夫だから。ありがとう。」

 

 謝り、私はふとルラを見た。ルラは浮かない顔で私を見ていた。『時の調律者』としての力が出たのかと思われただろうか。私はルラにも「大丈夫」を口走った。
 しばらくして、ミシェルが水を持ってきてくれたので、それを飲んで祭典がはじまるのを待った。大陸誕生から五千年と、賢録古書初記載から千年の節目の年。一体どんなふうにお祝いされるのだろう。私は先ほどまでの不安を忘れ、どきどきと胸を高鳴らせていた。


 広場の端から、一人の人が歩いて来るのが見える。ここからでは遠すぎて性別が分からない。黒い帽子に、黒いローブを羽織るその人が、台となっている場所に立つと、その台ごと宙へ上昇した。あの台は大きな浮術板だとすぐに分かった。
 黒ずくめのその人をのせた板は円形の塔の頂上付近まで登ると、上昇を停止した。纏う黒いローブが風に吹かれてたなびいている。右手を天へかかげる。てのひらを真っ直ぐに天へ向けた。途端に金色に輝くなにかが出現し、私はそれがラッパと判断する。
 両手をラッパへそえて、先端を帽子の下にあるだろう顔の傍まで持っていく。広場は、これだけの人が収容されているにもかかわらず、ぴんと張り詰めた静けさが支配していた。それはとても異様な光景だった。人ひとり、微動することさえ許されていないように、誰もがこぞって静止しているのだから。
 塔の傍に佇む人だけではなく、周囲を見回すと、広場を取り囲むように、五人の黒ずくめの人たちが浮術板に乗っていることに気付いた。いずれも彼らの手には金色のラッパがある。
 中央の人がその軽快な音色を静寂の海に拡散した。それを合図に周囲から一糸乱れぬラッパの音が共鳴し、それが天まで轟くように韻律を奏でた。ラッパの六重の音に、私は胸がすくような思いを抱く。

 

「あ――」

 

 私の呟きなど、このラッパの合奏の中では、全く無力だった。
 塔のそばでラッパを吹く人とは反対の位置から、一人の男性が浮術板で上昇してきた。あれは、神官だ。先ほどとは違う衣装ではあるが、私は彼があのとき(王様と謁見したあのとき)と同じ神官だと確信を持っていた。
 彼の手には、大きく分厚い本らしきものがある。……いや、厳密には手には触れていない。本は彼の手から僅かに浮いた位置で静止していた。きっとあれが『賢録古書』なのだろう。この距離でも分かるほどに、なんらかの力が感じられるその本には、百柱近い『賢者様』の名と、魔法具現物質……『エターナルブレイズ』が記載されているのだ。私はなんだか緊張して、彼の挙動を見守っていた。


 気付けばラッパの音は止み、再び広場は奇妙なまでの静寂に包まれていた。風さえ吹いていない。すべての観客の、すべての目が、あの神官に注がれている。それでも見た感じでは、神官は動じていないように思われた。私はその度胸に、脅威すら感じた。
 神官が塔の中央へと進み出る。円形の塔の中央に、白い光が溢れ出た。眩しくて目を細めるも、決して私は視線をそらさない。白い光は円形に、丸を描いて徐々に小さくなっていく。光を放った土台が構築されて、神官はその土台へと『賢録古書』を導き、安置する。神官が三歩ほどその台から後退した。
 両手を『賢録古書』へと向ける。腕を交差させ、口を動かした。彼の手のひらから淡い青色が溢れる。その光を掴まえるように両の手は一度こぶしが作られるが、その指の隙間からはなおも青い光が溢れていた。

 

「――ダーニャ・クロアーズ・ウェリオーナ。」

 

 神官の張り詰めた声が紡ぐ呪文。私には最後の箇所しか聞き取れなかった。彼はこぶしを開きながら、腕の交差を解いてその青い光を『賢録古書』へと注いだ。私の耳に、鍵が開くような、かちゃ、という音が聞こえた。微かなものではない。はっきりと、あの塔の付近から聞こえた。私は息をのんだ。そしてまばたきを忘れた。
 神官の手の前で、青い光に包まれた『賢録古書』がひとりでにその表紙をもたげたのだ。観客からも一瞬どよめきじみた動きがおきたが、それは本当に一瞬だけで、すぐにまた静まった。
 『賢録古書』は青い光から白い光へと色を変え、一枚、一枚ゆっくりページを開いていく。微風が吹き始めて、神官の衣装が少し揺れた。


 ――その時だった。

 

「えっ。」

 

 私の呟きに、ルラたちがこちらを見た。私は目が離せなかった。完全に、それ、に見とれていた。


 王族の人たちが居る向かいのバルコニー。その上部。城の屋上。私の眼に、一人の人間が映されていた。
 一体どこから来たのだろう。何者だろう。なにをしているのだろう。そんな疑問がわっと沸いて、私は思いがけず立ち上がっていた。

 

「ナコ、なにを……」

 

 テオたちが私の挙動に驚いた声をあげ、向かいに座る王様やエレナ姫たちもまた、私に注目しているようだった。けれど私は、ルラたちに構うことなく、その人をずっと見ていた。
 フードをかぶり、黄土色のローブを纏うその人は、ふと右腕を振り上げた。風が一陣、その人の衣をはためかせる。

 

「何っ、テオ、ミシェル!」
「聖竜騎士団を招集せよ!」

 

 ルラの叫喚とほぼ同時に王様の声が張り上がった。私の視界の端で光が溢れ、『特殊装甲衣』へと変身したミシェル、テオ、ルラが私を背にして立っていた。


 右腕を振り上げたその人は、右腕を真っ赤な炎に染め上げた。観客のどよめきは一気に広がり、混乱が生じ始めたようだ。あちこちで悲鳴や叫び声があがる。微風だった風は知らぬ間に強風になっていて、砂まじりの嵐のように広場を包み込む。私は、通路のほうで控えていた兵士から保護魔法をかけられて、通路へ避難するよう指示を受けたが、どうしても足が動かなかった。
 テオが上空になにかを見つけ、叫んだ。

 

「王立聖竜騎士団!」

 

 大きな羽ばたく音を意識し、そちらを見遣る。私は視線の先のものに、絶句する。
 西洋の伝説で描かれるような、竜。それは一頭だけではない。十数頭はいる。いずれの竜の背にも見慣れぬ容姿の人間が乗っていた。
 頭部の左右、ちょうど耳のある位置に、ふさふさの狐の耳のようなものがある。『特殊装甲衣』らしき衣装、その手には各々、槍や弓などの武装を施している。彼らは数体一組で行動するように、広場の観客たちを誘導するために下降する組、王様たちを護衛する組、騒ぎの発端をうんだとされるあの人を追う組と、それぞれで行動を開始した。

 

「あぁっ。『賢録古書』が!」

 

 観客のほうから悲鳴があがった。私は急いで塔を見た。砂嵐の中なのに、それは鮮明に私の目に映る。


 ――無数の光を帯びた物体が、『賢録古書』から剥離していく。天へと昇る発光体は、さながら魂が天国に昇るようだと思った。


 心臓が嫌な打ち方をする。私は足に力がなくなって、その場に座り込んだ。ルラたちは竜が舞う王族のバルコニーのほうへと行ってしまって、今はここにはいない。激しい鼓動が正常な呼吸法を忘れさせるようで、顔をあげることが叶わない。私の面倒を任されたらしい兵士たちの気遣う声がする。しかし、直後、それはうめき声になって私の耳に響いた。何事かと胸を押さえながら顔をあげる。
 真っ赤で、熱いなにかが私の眼に焼きついた。

 

「『時の調律者』、みーつけた。」

 

 女性の声色、軽い調子の言葉。私は炎の中に一人の女性が立つのを見た。彼女は両目を布で覆っているが、確実に私のほうへと手を伸ばしてくる。動けなかった。私は、彼女の手のひらに目隠しをされると同時に、意識を失った。

 

+++

 

 なにかの雑音に、私は目を開けた。薄暗い、ここは室内だろうか。ベッドらしき感覚に身体を微動させると、ぎしっと軋んだ。暖炉の炎は小さく、どうやらここにはあの暖炉の火以外の照明はないらしかった。
 しかし、そこで私は思う。ここは、どこだ。私は、なぜこんな場所に……。

 

「あ……」

 

 そう意識したとき、私は思い出した。
 私は、あの女性に触れられたとき、気を失ったのだ。よく覚えていないが、彼女の手のひらが私へ近づいてきて、それから視界が暗くなって、気付いたら、ここにいた。
 そして、鮮明に思い出せるのは、祭典のあの混乱。一体、なぜあんなことになってしまったのだろう。暖炉の火を眺めながら、私はぼうっと考えた。間もなく、私はあることを記憶から呼び覚まして、悲鳴を抑えるために口許を手で覆っていた。

 

 ――無数の飛び散る光、人々の困惑した表情、西洋の竜に跨る異形の戦士、炎に包まれる視界の中で、迫り来る誰かの手……。

 

 見覚えのある光景。それは、学院で闘技が行われていたときに視た、あの幻。ルラから言われた、未来可視の力……。
 まさか、本当に私は未来を視ていたのか。自分でも信じられず、私は視線を泳がせた。自分自身が怖くて仕方がなかった。現実に起こった事態に、私の混乱は大きくなるばかりで、あの時視た未来を防げなかったことに対する罪悪感が、無意識のうちに芽生えていた。ぎゅっと目頭が熱くなる。唇を噛み、堪えるが、呆気なく感情は溢れた。

 

「おや。なに。どうしたの。怖い夢でも見たのかな?」

 

 聞き覚えのある声に、弾かれたように顔をあげた。薄暗い中、私の目に女性が映った。変わらず両目を覆う布には、なにかの模様が描かれている。――祭典のときに混乱を呼んだ、あの女性だった。彼女のその腕には果物の入れられたカゴがあり、口許には薄ら笑みが浮かんでいた。私は、ひゅっと喉を鳴らした。悲鳴をあげようとしたのに、一切の声が出なかったのだ。

 

「あぁ。怯えないで。あたいは命までは獲らない。ただ、アンタを連れて来いと金を積まれたから、誘拐してきただけ。」

 

 なんて、さらりと怖いことを言うんだろう。恐怖で言葉が出せなくて、私は俯いた。私は、一体どうなってしまうのだろうか。誘拐されるなど、当然はじめての経験で、でもドラマなんかでは、誘拐された者の結末は悲しいほどに二択しかないことを知っていた。無事に解放されるか、口止めとして殺されてしまうか。私は、どうなるのだろう。
 女性は私の前にカゴを置いて、それから無言のまま居なくなった。
 逃げ出そうにも、ここがどこか状況も場所も分からない私には、そんな勇気はなかった。あのとき、彼女は火を操っていた。ということは、あの女性は魔法使いなのだろう。魔法を使う相手になど、勝ち目はない。どう考えても、逃げることも出来ない。諦め以外の選択肢はないと、私はあっさり結論を導き出していた。
 ルラたちは、どうしているかな。セレス姫たちは、無事かな。事の顛末を知らない私には、不安以外の感情など沸かなかった。私を連れて来いと言ったのは、どんな人だろうか。きっと、怖い人に違いない。私はいつの間に、命を狙われるような偉い立場になってしまったのかな。自分の悲遇を嘆くのは、もうたくさんだった。

 

「『時の調律者』は、このお嬢さんか。」
「間違いないよ。あたいの千眼はお墨付きだから。」

 

 木綿らしきカーテンをくぐって、一人の男性と先ほどの女性が来た。その男性の出で立ちに、私は驚いた。
 癖のある真っ白な短髪に、深い灰色の眼。目尻には皺が刻まれてあり、その声の若さのわりには、だいぶ年のいった顔立ちをしていた。なによりも、その目元には優しげな感じさえあり、恐らくこの男性が私を連れ去るよう要求したのだろうが、まるで悪い人の雰囲気がない。
 彼は、ベッドの端に座る私に目線を合わせるように膝をつくことさえしてきた。

 

「初めまして。『時の調律者』のお嬢さん。私は、シフィア。そこの女盗賊に、あなたをさらって来るよう依頼した者です。」

 

 微笑さえたたえるこのシフィアという男性は、魔法使いではないらしい。彼のその丁寧で穏やかな喋り方と雰囲気に、私の緊張は弛緩していくのが分かった。
 女性のほうは名を名乗らなかったが、シフィアさんが女盗賊と言っていたので、たぶんそうなのだろう。しかし、彼女は目隠しをしているのに、なぜあたかも周囲が見えているように動けるのか。私は彼女に直接尋ねたかったが、今はそんなことを質問できる立場にはないことを理解し、シフィアさんの話すことをただ聞いていた。

 

「私はね。あなたの『時の調律者』としての力をお借りしたくて、ここに来てもらったんだ。怪我などがないのは、幸いだった。怖がらせてしまって、申し訳ない。私はあなたの命を奪うことはしないと、約束する。用事さえ済んだら、すぐにあなたの居た場所へ帰還させる。だから、協力してもらえないかな。」

 

 果たして、この甘い言葉を信じても良いのか。私はすぐには肯定も否定もしなかった。シフィアさんの、灰色の目を見つめる。ゆっくりとまばたきをする彼の、その目には嘘も偽りもないと、そう思ってしまうのは、彼の眼があまりにも真っ直ぐ私を見つめてくるからだ。
 肯定の意味で、軽く頷いてみせると、シフィアさんの目が細められた。

 

「ありがとう。賢いお嬢さんでよかった。」

 

 にこにことするシフィアさんに、私も表情筋が緩まりかけた。だが、次にはもう、私は閉口していた。
 暗く陰湿な感じが漂う、シフィアさんの灰色の眼。……それだけではない。彼の纏う雰囲気が、異様なものになった。感覚的なものなので、はっきりとは分からないが、なにかが変わった。禍々しいとか、おどろおどろしいとか、そういう言葉が合うだろうか。私は、シフィアさんが手を伸ばしてくるのを、目を瞑ることでしか対処できなかった。

 脳裏に過ぎる。またあの感覚が、私のまぶたの裏に、鮮明に映し出される。


 橙色や赤に染まる街。人々が逃げ惑い、泣き叫び、怒りに武器を持ち、全ての感情が私の中で渦巻く。誰か、真っ白い人が炎の中に立ち尽くしている。……あれは、見た事のある姿かたちをしている。どこで見たか。私が思案するうちに、明滅する。繰り返す明滅の中で、私は複数の光景を写真のように見た。


 煌びやかな衣装を纏う女性が何かを持っている。嬉しそうに頬を染めてさえいる。しかし次には、その女性はその目に赤い何かを宿し、目を見開いていた。場所は、砂地だろうか。砂漠のような感じか。

 

 明滅は繰り返す。私の目の前には、がれきの大地。なにかの戦いがあったようだ。雨が降っているらしい。地面にじっとりと水溜りができている。誰の手だろうか。これは、誰の目線だろう。私は、人の手を見た。その人の手のひらには、赤いリボンと装飾の施された可愛らしい何かの物体がある。悲愴の感情が、私の胸を打つ。誰かが、誰かを想って悲しんでいる。


 明滅し、私の視界に大の字に立つ人の背が映る。背は高くない。耳の位置には三角のなにかがある。まるで、私をかばうように背を向けていると思った。


 明滅。また、悲愴の感情が過ぎる。何人かの白い装束を着た人たちが、明るい茶の髪の人物に背を向けて去っている。複数の感情は、複雑だ。動揺と驚愕、後悔、無情、自信、悲観……渦巻く感情は多すぎて私には全部感じ取れない。彼らは誰だ。どうして去ってしまうのだろう。どうして、泣いているのだろう。

 

「――意識を醒ませ。『時の調律者』。」

 

 底から響くような低い声に、私は瞼を開く。ぼんやりとする視界の中、映ったのは、シフィアさん……じゃあ、ない。私は寝ぼけていた思考を瞬時に目覚めさせ、同時に目を見開いた。
 この男は、誰だ。身なりは、顔立ちは、シフィアさんそのものだ。でも、全然別人に見える。目が怖い。雰囲気が恐ろしい。ぞくっと背筋に寒気を感じて、私は身体が震えるのを止められなかった。誰だ。あなたは、誰なの。

 

「『時の調律者』、視たのだろう。未来可視の力――私に、なにをみたのか、教えておくれ。」

 

 口調も、なにか違う。声色は完全に別の人間だ。というよりは、人間だと、そう判断していいのかさえ怪しい。
 人間が、こんなにも恐ろしい雰囲気を、表情を、感情をあらわにするだろうか。ぴりぴりと肌に感じるものは、たぶん、殺気とかいうものだと本能で直感する。身体の震えはいまだおさまらず、声帯もきつく締め付けてしまっているせいか、私は声が出なくなった。

 

「おい、怯えてるじゃないか。そんなに殺気立ったら、怖くて声が出せなくなるだけだ。自制心を保て。」
「黙れ。盗賊ふぜいが、私に意見するな。」

 

 女性の注意にも、シフィアさんは棘のある返事をする。盗賊の彼女でさえ、シフィアさんの言葉にかちんときたようだ。
 女性は身に目視できない火をまとわせて(彼女のほうから物凄い熱気が溢れているのでそう思った)、シフィアさんのほうへ踏み出す。

 

「ここはあたいの領域だ。立場をわきまえて居ないのはどちらか、その軟弱な身体に教えてやろうか。」

 

 ざわつくのは私の胸だけではない。室内にある少ない物体が、小さな雑音を奏で始めた。幽霊が物を揺らす現象(名前は忘れてしまった)のようだ。かたかた、と小刻みに揺れる家具に、私はぎゅっと身を縮めた。
 シフィアさんと盗賊の女性の睨み合いは、唐突に幕切れを迎えた。

 

「これでは、目的を果たせぬ。従おう。」

 

 シフィアさんが折れたのだ。黒い影が揺らめくのが見え、シフィアさんはその目を再び私に遣った。私は、彼のその姿を見て、漠然とだけれども、彼が何かに憑かれているのかと感じた。
 私に向き直り、彼は先より幾分も落ち着いた様子で、今度は元通りの口調で私へ問いかけてきた。

 

「『時の調律者』のお嬢さん。怯えさせて、すまない。話せないのなら、首を振ることで肯定か否定かを、教えてほしい。いいかな。」

 

 私は素直に頷いて、彼の怒りに触れないようにと気をつけた。言葉が出せないのは、心の底から恐怖を感じているからだ。どうやら彼もそれに気付いているらしい。黒い影が見え隠れするが、シフィアさんはまた最初のときのような穏やかな口調で、私に話しかけてくる。

 

「お嬢さん、未来可視の力で視た内容について聞くよ。――それは、人々が笑っているようなものだったかい?」

 

 笑顔の影に、威圧的ななにかが滲み出ている。私は、首を縦に振った。それは、嘘に違いない行動だったが、なんとなく、彼には本当のことを教えないほうがいいと思ったのだ。
 シフィアさんの目は探るように私をしばらく見つめていた。ふと目を伏せて、なおも変わらない笑顔を貼り付けたまま、彼は続けた。

 

「そうか。では、次。その中に、私は現れたかい?」

 

 私は首を横へ振る。少なくとも、シフィアさんだと確実に分かる人物は居なかった。……それらしき、白い衣装を纏った人が、炎の中には居たが、あれがシフィアさんかどうかなど、今は私は考えたくなかった。

 

「なるほど。それなら、いい。では、次で最後にしよう。――君は、王族が好きかな?」

 

 まるで脈絡のない、おかしな質問だ。私は悩み、しばしシフィアさんを見ていた。まだ一度しか接触したことがないのに、好きかどうかなど、判断できるわけがなかった。私は「分からない」という意味を含ませて首を横へ振った。彼なら意図を読み取ってくれると思ったからだ。
 しかし、シフィアさんは目を細めると、ふっと笑った。

 

「そう……同じように考えていたんだね。お嬢さん、君とは、縁があるのかもしれない。またいずれ、必ず再会できるだろう。」

 

 私の意図は読み取ってもらえなかった。だが、幸いにも良い意味で捉えてもらえたらしい。私は、去っていく女性と、シフィアさんを見ていた。じっと、厚いカーテンの先へ、その気配が消えるまで、ずっと。
 それから、盗賊の女性が一人だけで戻ってきた。

 

「アンタ、意外に度胸があるんだな。」

 

 彼女の意味深な言い方に、私はどきっとした。もしかして、嘘を言ったことが分かったのだろうか。だとしたら、彼に告げ口されたら、私は……。
 女性の目元を覆う布の模様を、私は懇願するように見つめた。

 

「なに。あたいは何も知らない。あの変人、いけすかないし。あたいには、他言する相手もいない。」

 

 口許を緩め、女性はごく普通そうにそう言った。この人は、一人きりなんだと、直感する。
 盗賊の女性は私に向き直る。

 

「さて。アンタを送り届けないと。所在はあの学院だろう。敷地内まではあたいでも無理だから、人目につくところでいいかな?」

 

 尋ねられた、のかな。私は一応頷いてみる。彼女は歯を見せて、「うん」と言った。すぐ後に、彼女はまた、私の視界を奪った。暗い空間が、一気にまどろみをもたらす。私は一人、闇へおちた。

 

(12.Apr.2010)
修正(2011.01.07)
修正(20110521)
修正20120328
修正20120412

 

 

第9話

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