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エターナルブレイド 第11話

エターナルブレイド 第十一話 『化獣人の少女』 20120326(最終更新20180605)

 

 

 ダグラスさんの示してくれた場所は森の奥。そこに向かう道中は、予想どおりに決して簡単に進めるものではなかった。うっそうと茂って、木々に隙間などはなく、ときどきわずかな木漏れびが、地面に奇妙な模様を描いているだけ。視界があまり利かないのに、初めて目にする昆虫や植物が目につくのは、それらがとても鮮やかな色をしているからだ。

 

「ナコ、そのトゲには気をつけて。治りにくい毒の粘膜を出すから。」

 

 前を歩くルラは『特殊装甲衣』を纏っていて、ずっと続いているらしい獣道を、私が歩きやすいようにと防護の魔法を施しながら進んでいる。ルラの専攻魔法は『水』なので、私は水のトンネルの中を歩いていた。


 魔法学院の白い制服を着る優秀な生徒たちに教わったことは、短期間でありながらもとても多い。これまで私が漫画だとか小説で見聞きした『魔法使い』というもののイメージとは、微妙に違うのだということを思い知らされたりした。少なくとも、複数ある『時空法則の異なる世界』の中で、このルラたちが住む『ヴァセリン大陸』の魔法使いには、私の持つ『魔法使い像』は当てはまらない。
 好奇心が旺盛な白服生徒のミシェルは、私が見た漫画の魔法使いの話を特に面白がって聞いてくれた。彼女は「もしかしたら『時空間同時世界』の中には、そういう形式の魔法使いもいるのかもしれない」と、とても楽しそうに言っていた。『ヴァセリン大陸』では、いわゆる並行世界的なものが認知されている。事実、この世界と私が居た世界はその中の一つだということを、私は認める以外なかった。
 だって、私は『今』、この世界に存在しているのだから。ルラと一緒に困難な任務をやって、こうして『魔法』という非現実的なものを受け入れて、自分の境遇を理解して……今もたまに、ひょっとしたら夢なんじゃないかと思うことがある。けれど、これが『現実』なのか『夢』なのかを確かめる方法は、なんにもなかった。

 

「ナコ?」

 

 耳さわりのいいルラの声が、私の名前を呼んだ。
 ――夢でも現実でも、私が日本ではないところにいる、ということは紛れもない事実なんだ。
 ルラの緑の目が不安げに私を見つめている。「大丈夫」と口走ると、私はルラを促した。
 ほんの数時間前に、私は『死』に直面したことを思い出す。そうか。たぶん、ルラは私がまた倒れないか心配してくれているんだ。そう考えたとき、私は気付いた。
 夢だったら、こんなふうに考えない。意味するのは、『これは現実』。現実だから、『死』を意識したとき恐怖を感じたんだ。ルラの心配してくれる気持ちに、申し訳なさと嬉しさを感じているんだ。

 

「……ナコ、一つ質問がある。」

 

 歩調を落とし、歩くのを止めたルラがふと私へ振り向いた。何か言うのをためらっているようだ。

 

「どうしたの? 大丈夫だよ。なに?」
「ああ。……ナコ、どうして君はこの写真を持っていたんだ?」

 

 ルラが左手を持ち上げる。彼女の手の中に出現したのは、私が意識を失う前に手にしたあの写真だった。
 ミーヤさんの和称を告げる写真の中の人物。ルラの手にある写真は私が最後に見たときのままの状態だ。……母のミサキさんは存在しない、父と娘だけが映るセピア調の古いもの。ルラは当然、この写真がミーヤさんであると分かっているのだろう。
 私は正直に事情を口ずさんだ。

 

「それね、イブ・シェンカオで拾ったんだ。でも、持ち帰った覚えはないの。船に戻って、私一人になったとき、その写真がポケットに入ってるのに気付いて……」
「この写真は、最初からミーヤとセージラさんだけだったのか?」
「ううん。拾ったときは、ミーヤさんのお母さんのミサキさんも居たの。けど、ポケットから出したときには、ミサキさんは居なくなってたんだ。」

 

 そこまで話してから、私はあのとき考えた仮説をルラに言うべきか考えた。しかし、述べたところで何が変わるともなし、確証もないし、不謹慎なだけだと思いとどまった。
 ルラは写真を眺め、静かに口を開いた。

 

「あの『精獣』は、ミサキさんだったのか――」

 

 思惟するルラを思わず見つめてしまう。やっぱり、ルラもそう考えたんだ。
 しかし、ルラの次の言葉に私は閉口していた。

 

「――イブ・シェンカオ周辺は特に時空の歪みが酷いとは聞いていたが、死者が土へ還ることも出来ないほどとは。」

 

 死者が、土へ還れない。一瞬理解できなくて、私はまばたきをした。けれど、じわじわと思考が追いついて、ついに察した。

 

「ルラ、あの……っ、ミサキさんって、セージラさんって……」
「二人は、すでに亡くなられている。イブ・シェンカオの『七つ夜の悲劇』のときに。ミーヤは幸いにも第二の都市トニー・ト・イブの親戚の元へ預けられていたので、事無きを得たらしい。」

 

 沈んだ様子でルラは語った。

 

「実際には、『七つ夜の悲劇』を迎えて亡くなられたのか、それ以前の内乱に散ったのかは分かっていない。時空法則を狂わせるような『闇の禁術』だから、現場検証もろくに出来なかったそうだ。時空の歪みの中に今なお漂うご遺体は少なくないらしい。……恐らく、今回『精獣』化したミサキさんも、時空の歪みの中で偶然『エターナルブレイズ』に触れてしまったのだと思う。」

 

 ルラの推測は、たぶん合っているのだろう。そのように確信してしまうのは、あの『精獣』の叫んだ名がミーヤさんの父、セージラさんだったから。あまり覚えていないけれど、あの時私を襲った『精獣』は、女性のような細い肢体だったように思う。ルラの推理は全てつじつまの合う見事なものだったから、私はそう納得した。


 辺りに警戒を向けるルラの後姿を追い、私は薄暗い森の中をひたすら歩いていた。
 いくつか、先ほどの話について思うところはあった。もし、この事実をミーヤさんが知ってしまったら、とか。どうしてミサキさんは、セージラさんの名を叫びながら襲ってきたのだろう、とか。決して明るみには出ないような真実を、私はぼんやりと考えていた。
 と、ルラの作り出す水のトンネルが、突如波を打った。

 

「何――」

 

 焦りを帯びたルラの呟き。私の背筋に冷風が流れ、ぞくっと鳥肌がたった。
 水の膜が私を包み、視界が不鮮明になる。ルラの防護魔法だ。なにか来る。しかし、何かは分からない。得体の知れないものに対する恐怖が私の足をすくませていた。

 

「ナコ、走れっ!」

 

 ルラの怒号に肩が震える。しかしお陰で身体の緊張が弛緩したらしい、意識しないうちに私は走り出していた。
 水の膜でよく見えないはずなのに、なぜだか私は木々を避け、石を飛び越え、草の上を走り続けていた。前方になにがあり、どう進むべきかを私は知っていた。考えるまでもなく、身体が勝手に動いていたのだ。

 

「ルッ、ルラ!」

 

 口をついて名を叫ぶ。ルラは居ない。立ち止まって振り向きたかったが、私はただ走り続けた。
 ふと、水の膜が薄くなってきたのに気付く。ルラと距離が離れすぎたのだとなぜか直感したが、ようやく足を止めたその場所は、湖上の傍の大木の下だった。この湖は、ダグラスさんの言っていた湖。息を整えながら辺りを見回す。ルラは居ない。『エターナルブレイズ』らしきものも、見当たらない。どうしてだろう。ダグラスさんはここにあるって言っていたのに。
 私が湖のほうへ一歩を踏みいったときだった。

 

「ちか、づく、な!」
「ひっ、ぎゃっ!」

 

 拙い言葉づかいの直後に衝撃を受け、私は横倒しになる。幸い地面は枯れ葉の層によってクッションのようになっていて、受身をとらなくても鈍痛がくることはなかった。
 いきなりの事態に思考が停まりかけたが、私にのしかかる何かを視界にいれたとき、とうとう思考は停止した。
 縦に伸びた瞳孔は猫のようで、ココアを連想する。目の色は青紫。髪も同じ色で、なによりその頭部の左右……竜騎士の頭領を務めるクラナダさんと同じものがある。見た目は、12歳くらいの少女。

 

「おま、え……『時者』、だな。」

 

 不自然な喋り方をする少女の衣装は、とても粗末なものだった。擦り切れの服から覗く肌には生々しい傷があり、軽くショックを受けてしまう。
 少女は小首を傾げていたが、私の腕を掴むと身を起こしてくれた。

 

「なんだ、言え。『時者』、言え!」

 

 強く言われて怯みかけてしまう。こんな少女といえど、凄まれると少しだけ怖い。ルラはどうしたのだろう。私は、パニックに陥った。
 少女の手を振り解いて、一心不乱に喚いた。

 

「ルラ、ルラ! 助けて、怖いよ。ルラーッ!」
「おま、え! 黙れ! 静かに、しろっ。」

 

 木々にこだまする声に、少女が慌てた。私に飛び掛って口を塞ごうとしてくる。恐怖と混乱は拍車をかけ、私は滅茶苦茶に暴れた。

 

「いやぁ! ルラ! ルラァー!」
「ナコ!」

 

 ルラの声を意識し、滲む視界の中で金髪を見た。私に覆いかぶさる少女は宙へ浮いた。泣きじゃくる私を抱き起こしてくれたのはルラだ。嗚咽が漏れるが、気分は瞬時に落ち着いてくる。空中で喚く少女に振り向いたルラが鋭い口調で捲くし立てた。

 

「貴様、化獣人《セルヴェスト》がなぜここにいる。ナコに何をした。言え。」

 

 目視できない手枷と足枷が少女を拘束して、少女はたちまち目に殺意を宿した。たどたどしく喋る姿は、外国人の女の子が一所懸命に日本語を話そうとする様子と重なった。(事実、私はココアの魔法の恩恵でルラの国の言葉や文字は、ほぼ全て日本語のまま意識することができるのだけれど。)

 

「おまえ、も、『時者』か。あいつ、め、詳しく、言えば良い、ものを。」
「あいつとは誰だ。」
「わが、主よ。ダグラス、あいつは、クヌムじぃの、第一弟子だ。」

 

 私は瞠目してルラと見交わした。ダグラスさんの名が出るとは思わなかったのだ。
 驚く私たちを無視して、少女は「放せ」とルラに言った。ルラは少し考えたみたいだったが、じきに少女は解放され、地面へ降り立った。
 手首をさすりながら、少女はやや曲がった背中のまま、名乗った。

 

「あたし、は、ダグラスの、『防符』。カーミラ。あいつ、の、命令。『エターナルブレイズ』、護ってた。」
「君が『遠隔防符』だったのか……。無礼を詫びよう。すまない。」
「どうでも、いい。おまえ、あれを、早くとじろ。不穏が、くる。」

 

 カーミラと名乗った少女は不安げに周囲を見ている。ダグラスさんの『遠隔防符』が、まさか人間の(化獣人は正確には『非純人種』の分類だが)少女だとは思わなかった。そう思っていたのはルラも同じだったらしく、少し疑うような眼差しでカーミラを見ていたが、彼女の言葉に反応して、ふっと辺りを見渡していた。

 

「そうだ。カーミラ、『エターナルブレイズ』はどこに?」
「湖、中央。あたし、の、防護陣。解くから、おまえ、とじろ。」
「分かった。ナコ、君はそこで待っていて。」

 

 ルラに頷いて、私は二人を見守る。たぶん、カーミラが言った不穏とは、先ほどルラが対処したものだろう。なにかは分からないが、二人の様子からして接触するのは嬉しくないものなのだと判断できる。
 カーミラは驚くほどの跳躍力で湖を跳び越し、湖面から突き出る岩の上へと着地した。ルラは事も無げに湖面を歩いて、カーミラに呼びかけている。水上を歩くなんてと私は驚くが、専攻魔法『水』による恩恵なのだと、きっとルラは普通にそう返してくれることだろう。魔法なんて、そういうものなのだから。
 ルラの立つ場所のすぐ前から水しぶきがあがった。薄い緑色の光を纏うなにかが、ワイヤーなどに吊られるわけでもないのに浮かんでいる。ルラの右手、そしてカーミラの左手が同時に宙をないだ。
 緑色の光が失せるのと交代するように空色の光がまたたき、しかしすぐに光が消失したと思うと、ルラの手に持つ小瓶の中に発光する物質が入れられてあった。
 それを認めたらしいカーミラが、軽く頷く。

 

「よし。役目、おわった。ダグラス、呼んでる。行くぞ。」

 

 カーミラの案内による帰り路は、行きより困難なように思えた。なにせ、彼女は身体能力が野生の動物並にある。カーミラにとっては簡単に進める悪路は、私にとっては危ない足場に違いなく、ルラの助けを借りていなければ怪我じゃ済まない程度の負傷をしていたかもしれない。
 それでも、あまり身体的疲労がないのは、もしかしたらダグラスさんが淹れてくれた紅茶のお陰だろうか。意外にも疲れないうちにダグラスさんの屋敷に着いて、私は安堵から溜め息を吐いた。

 

「ダグラス、帰った。ん、ファンラオ?」
「ご苦労。ファンラオは蜂蜜を喰いにいったよ。フィン嬢、奈々子、大儀だったね。いい子たちだ。」

 

 出迎えてくれたダグラスさんの香水に、なんだか安心感を覚える。ルラと私はまた椅子へ座って、彼女の淹れてくれた紅茶を頂いた。
 カーミラは黄色い果物を丸かじりしていて、指定席らしい窓わくの縁に座って、のんびりとこちらの様子を眺めている。

 

「さ、て。フィン嬢、お前さんなら存じていると思ったが、どうやら詳しくは知らないみたいだね。奈々子のためにも、一応、話すとするよ。」

 

 ダグラスさんはそう言うと、カーミラを呼びつけた。カーミラは跳躍して音もなくダグラスさんの傍で跪いた。
 カーミラの耳と思しきふさふさの毛の後ろをダグラスさんが掻くと、カーミラは目を細めて気持ち良さそうにする。まるで、犬みたいだ。

 

「化獣人の存在は、二人とも知っているね。王属の竜騎士団も全員、竜を従えた化獣人というのも、しかり。さて。ではなぜ、こいつらは『エターナルブレイズ』の干渉を受けないか。思ったろうよ、なぜこんな少女が『遠隔防符』などと呼ばれているのかと。」

 

 ダグラスさんの眼が試すように私たちに降り注ぐ。私は無言のままに頷いて、続きを待った。
 相変わらずダグラスさんは愉悦の表情のまま、その青い左目を細めて、私たちを交互に観察している。

 

「素直だね。そう、フィン嬢は存じていること。こいつらは厳密にゃ人間じゃあ、ない。どういうわけか、『エターナルブレイズ』は人間の知恵知能にのみ反応して憑くらしい。確証はないけどね。だが事例はない。だから、あたしはこいつに護りを任せた。」
「……あの、ダグラスさん。」
「おや。質問かい、奈々子。」

 

 黙って聞いていた私は、たまらず問いかけていた。
 このカーミラが化獣人で、あれの干渉を受けないことは分かった。ダグラスさんの下につく、いわゆる使い魔というものだということも分かった。人間に近い容姿だけれど、人間ではないことも、分かった。だけど、一つ納得できないのは、彼女の身なりだ。いくら野生動物のようと言っても、見た目はほぼ人間なのに、こんな擦り切れの服を着せているのは、見ていて気分が良くない。ダグラスさんは何とも思わないのだろうか。
 私がそれを指摘すると、ダグラスさんは笑みを失せさせた。かと思ったら、今度はくつくつと笑った。

 

「ああ。奈々子、いい子だね、お前さん。そう。確かに、見てて気持ちの良いもんじゃあないね。残念なのは、こいつが魔法使いじゃあないことさ。あと、人間じゃあないことも、残念の一つか。基本的に、こいつらは身分相応の格好を好む。魔法が使えたら、頻繁に衣装を変える知能も出来上がっていたことだろう。だが、あいにくとこいつは、竜騎士団どものような優秀な遺伝子はなかった。」

 

 カーミラを見据え、ダグラスさんは一息ついた。意図は読めなかった。いまだ知らないこの世界の事情を聞かされ、私は釈然とすることのない気持ちを、じっと抑えていた。
 湯気のたつティーカップから、再びダグラスさんへ視線を戻すと、彼女は薄ら笑みを浮かべたまま言葉を続けた。

 

「化獣人は遺伝子によって、魔法使用の可と不可が決まっているからね。魔法が使える遺伝子が優秀というわけじゃあないが、使えるに越したことはない。そうだろう。――カーミラは、しょせんあたしの使い魔に過ぎないからね。服を着ているだけで立派なもんなのさ。本来、こいつらは野生の中で生きているから、服も着やしない。それが、当たり前だからね。」

 

 当たり前の感覚、なのだろうか。裕福でない外国の孤児を、私はテレビの特集で見たことがある。ちょうど、カーミラのような年頃で、同じような衣装を着て、その子どもたちはゴミ溜めのような場所で生きていた。まるで私の住む日本では考えられないところで、子どもたちは生きていた。
 今一度、カーミラをじっと見つめる。彼女は、少なくともダグラスさんという人に世話をしてもらっている。人間ではないと言っても、言葉も話せるし、ダグラスさんの指示を聞く賢い少女に違いない。服だって、きっと着せ替えられるはずの環境にあるのに、カーミラは当たり前の感覚で、粗末な衣装を着続けている。
 言い知れない心苦しさは、だんだん苛立ちに変わってきた。抑えていた感情が、ふと口をついて吐き出された。

 

「おかしい、ですよ。」
「おかしいことなんか、あるかい。奈々子、お前さんは聡明な子だ。理解できるだろうよ。」
「理解できても納得はできないんですよ。私は、この世界を、魔法も原理も、秩序とかも見聞きして受け入れてきました。でも……人間じゃなくっても、こんな人間のかたちをした女の子がぼろぼろの服を着て平然としているのを見るのは耐えられない!」

 

 泣くつもりはなかったのに、感情的になってしまって、言葉に詰まった。顔は熱いけれど、心の中は冴えきっている。この世界に来てから、こんなふうに感情を爆発させたのは二度目だ。―― 一度目は、ルラから日本に帰ることができなくなったと告げられたあの時。あの時と同じように、火照る頬に涙が流れて、風が吹くと涙は冷えて、そこだけ不愉快に冷たかった。
 隣に座るルラが、どう思っているかなんて分からない。こちらを見上げるカーミラが、なにを感じているかなんて知らない。今なお愉快そうな表情を貼り付けるダグラスさんが、どんな気持ちで私を眺めているのかなんて、知りたいとも思わなかった。
 溢れ出る涙に便乗してか、感情の紐を伝うように色々な想いが私の胸を締め付けてくる。日本に帰りたい気持ち、慣れては来たけれど、今も時折感じる自分の身の不安、『時者』としての任務に対する理不尽さ……。
 全く関係のないことばかりが、私の気持ちを憔悴させる。俯く私を抱き寄せてくれたのは、ルラだった。暖かく、安心する心地に、よけいに涙が溢れた。

 

「……ほんとうに、素直でいい子だね。」

 

 ダグラスさんの声だ。今までで一番ゆっくりで、穏やかな声色。ルラの腕をそっと撫で、隙間からダグラスさんを見てみると、変わらぬ笑顔をたたえる彼女が見えた。
 ルラから離れた私を見届けてから、ダグラスさんは手を伸ばしてくる。頬を包まれ、病的なまでに青白い整った顔立ちを間近に見つめる。彼女の手は、その青白さほどには冷たくはなく、むしろ人としての暖かさを感じさせた。ダグラスさんの薄紅の唇がゆっくりと開く。

 

「お前さんは、哀れなほどにいい子だ。必ず、この先にその優溢れる性情が、妨げになるときが来るだろう。魔法が使えないゆえんは、その性情が要因しているのかもしれないね。」

 

 ダグラスさんの細長い指が私の頬を撫でた。不思議と、いつの間にか涙はとまり、気持ちもだいぶ落ち着いていた。私を見つめる青い目が、嬉しげに細められる。

 

「だが、奈々子、お前さんはあたしを知らなすぎる。あたしは、ずぼらなんだ。壊滅的にね。直す気もないよ。自ら動いて何かするのが、面倒でね。身の周りのことも、カーミラやファンラオに任せきりさ。」

 

 ふっと笑うダグラスさんが、少しだけ可愛らしく見えた。色のある大人の女性と思っていたが、このように少女のような笑顔をみせることもあるんだ。意外に思いながらも、それを口にする勇気はなかった。
 もしかしてこの人は、面倒だから中立の立場にいたいと言ったのだろうか。などと、なんとなく察してしまい、少し苦笑する。
 私の苦笑いの意味に気付いているのか、いないのか。ダグラスさんは次いで、目をカーミラへ向けた。

 

「こいつは魔法が使えないわりには、役に立つ子でね。でも、そろそろ見識を広める時期なんだ。」

 

 カーミラを呼びつけるダグラスさんは、左手で彼女の頭を撫でながら今度は私へ目を遣った。青い目が、なにやら企んでいるように映り、私は少しどきっとした。

 

「化獣人の習性でね。儀式とでも言うのが合っているかね。一定の時期を迎えたら、幼獣は親元を去るんだ。巣立つという言葉がちょうど合うね。あたしみたいに化獣人を使い魔にするような変人は滅多にいない。こいつはね、生れ落ちたときに不幸に遭い、一人ぼっちになったんだよ。だから、仕方なくあたしが使い魔にしてやったのさ。」
「それって……。」

 

 皆まで言われずとも、理解できた。カーミラは孤児で、ダグラスさんは里親ということになる。正確には使い魔だから、親子関係というよりは主従関係といったほうがいいのかもしれないが、私はそう思いたくなかった。何度も思うが、人間の身なりの少女を下僕として使っているなんて、考えたくなかったから。
 すうっと私の頬から右手を離し、ダグラスさんは背を向けた。

 

「ちょうど新しい使い魔を発注して、今宵には届くことになっているんだ。最近、こいつは口が悪くてねえ。誰に似たのか知らないが、しつけのし直しが必要だと感じていたところなんだ。」
「あたし、は、ダグラス、から、しか、習って、ないぞ。」
「ああ。そうだったかね。どちらにしろ、使い魔は二匹も要らない。あたしは自分にさえ億劫なんだから、今度の使い魔は魔法の使える二足獣で、服の交換も勝手にやるやつにしたんだよ。カーミラ、お前さんは、見聞旅行に行っておいで。」

 

 何を言い出すのだろう。顔だけをカーミラへ向けて、ダグラスさんは歯を見せて笑った。しかし当のカーミラは、驚くでもなく、嘆くでもなく、ダグラスさんを見ているだけだった。

 

「契約、解錠、するのか?」
「解錠はせんよ。気が向いたらまたうちへ戻るのもいい。そのまま外の世界で一生を過ごすのもいい。ただ、たまぁに、あたしを思い出してくれるだけでいい。カーミラ、お前さんは賢い子だ。どうとでもやっていける。」
「むう。分かった。世話、なった。ダグラス、いいやつ。ありが、とう。」

 

 二人の呆気ないやり取りに、私は唖然とした。そんなにも簡単に別れていいはずがないのに。
 私が口を開くよりはやく、ダグラスさんの眼が私へと向けられた。

 

「愛玩動物じゃあなく、一匹の化獣人として、当然の結果だからね。保護の義務、管理の責任など、あたしには最初から無かったんだが、面倒だったもので、長いこと居座らせすぎたくらいさ。だからといって、巣立ちが遅いわけじゃあない。これから先は、カーミラの好きなように生きさせるのが、自然の摂理でもあるからね。奈々子、もし、お前さんが納得できないのなら、お前さんがこいつを手懐けてやってみるのも、いいかもね。」
「そ、そんなこと……」
「なあに、悪いことでも、おかしくもないよ。使い魔とか、主従とかがイヤだったら、友達として接してやればいい。なあ、カーミラ。」

 

 あどけない印象を与える青紫の目が私と交わる。彼女は歯を見せて笑い、大きく頷いた。
 使い魔とか、そういうものではなくて、友達として……。ダグラスさんの言葉を反すうしながら、私はカーミラの目を見つめた。戸惑いはない。恐怖とか、不安もない。なんとなく感じる嬉しさの気持ちが、自然と私の頬を緩ませていた。
 満足そうなダグラスさんの声が、のんびりと告げた。

 

「奈々子、フィン嬢。お前さんたちの使命は、あたしには分かっている。その使命の片手間に、いとま潰しにでいいから、そのカーミラに、知識を与えてやっておくれ。残念ながら、あたしは薬草師としての専門的な変人知識しか持ち合わせてない。最低限の教養や常識とかを、叩き込んでやってほしいんだ。このダグラスからの頼み、聞き入れてもらえるね?」

 

 私の返答は当然決まっていた。でも一応、ルラへ向いて意思を確かめる。ルラは少し浮かない顔だったが、ダグラスさんに向くと、

 

「イェイサー。お受けします。」

 

 胸の前に手をやり、ルラは丁寧に頭をさげた。

 ダグラスさんのもとを後にした私たちは、飛行船へ向かって歩いていた。
 途中、相変わらず奇異な眼差しを向けてくる人々に苦笑をしながらも、私はルラに言う。

 

「ありがとう、ルラ。」
「あまり、乗り気ではなかったが。カーミラは恐らく、なんらかの手助けをしてくれるだろうと思って。」
「手助け、する。あたし、強いから、な。」

 

 魔法など使えなくても、カーミラには鋭い牙と爪が、そして通常の人間以上の身体能力がある。それをルラは買ってくれたらしい。それと、魔法ではない力も持っているので(確か、防護陣とか言っていた)、私の守護をさせるとも言った。
 少し前を歩くカーミラの、少し曲がった背に向かってルラが声をかけた。

 

「カーミラ、君の防護陣というのは、魔法ではないようだが、どういう法なんだ?」

 

 獣の耳を少し動かし、カーミラは振り向く。と、突然眼つきを鋭くして木々の密集地帯を睨みつけた。
 ルラもまたそちらへ振り向き、瞬時に『特殊装甲衣』へと変化させた。ざわめきが起き、私が辺りを見回すとどうやら島の住人たちもまた、一様に森のほうを見ているのに気付いた。

 

「不穏、またか。」
「取り逃がしたんだ……もしかしたら、ナコの存在を狙っているのかもしれない。」

 

 ルラの悔しそうな表情が、私の目に映る。
 ……どうして私ばかりが、こんな危険に遭うのだろう。つぎつぎに降りかかる事態に、私は理不尽さを覚えずにいられなかった。
 住人たちの中には、ルラと同じように『特殊装甲衣』を纏う人もいた。その中の一人が、私に向かって声をかけてきた。

 

「あなたは、『時の調律者』か。」

 

 黒い髪に黒い目。咎めるような感じではなかったが、その男の人に、私は明確な返事はしなかった。それは、知らない相手に素性を教えることは、なんとなく良くないように思ったから。どうして彼が私のことを察したのかは、たぶん、私の身につける石を知っているからだろう。
 返答はしなかったが、男性は別段気にする様子もなく、森へ警戒を向けたまま、今度はルラへ話しかけた。

 

「監査局に通報したのは俺なんだ。流れ星には接触できたかい?」
「はい。」
「そうか。……状況把握できていないようだから教える。あの流れ星、何かは知らないが、あれが落ちたときから森の中が異変を起こしたんだ。いくらかの生物が錯乱しているように思う。」

 

 振り向かずに、今度はルラが男性に言った。

 

「特秘事項なので詳細はお教えできませんが、流れ星の悪効果によるものだと思われます。ここの生物種に詳しくないので、わたしにはあれの正体は判明できません。」
「気配の大きさからは、恐らくではあるが、幻犀《ルブグ》のたぐいだと感じられる。」
「幻犀……大型種ですか。厄介ですね。」
「来る、ぞ!」

 

 いち早くに察知したらしいカーミラの悲鳴があがる。ルラが水の膜を私に覆い、「隠れて」と後退を指示してきた。
 大丈夫なのだろうか、話からして大きな獣が来るようだが、ルラたちは太刀打ちできるのだろうか。そんな不安が心臓を揺らす。
 建物の裏手へ逃げ込み、私は身を縮めた。と、水の膜の外から、女性の声が聞こえた。

 

「非魔法者、『時の調律者』。安心してください。彼は島一番の戦士。恐れなどありません。」
「えっ、あの……あなたは……」

 

 水の膜が薄らいで、一部分だけ鮮明になる。しゃがんで身を縮める私の前に、赤い髪の女性が佇んでいた。その微笑は自信に満ち満ちていて、言葉を裏付けさせるのにじゅうぶんなほど、輝いている。

 

「大丈夫。私はあなたたちに協力いたします。私は、ノナと申します。」
「ノナ、さん?」
「はい。黒髪の彼はセオン。火槍の練手。怖くはありませんよ。見学さえ出来てしまいます。ご覧になりますか?」

 

 ノナさんに手を引かれて、建物の影から表をそっと見遣る。地響きがした。それは、想像以上の速さで姿を現した。
 木々を薙ぐように巨大ななにかが突進してくる。森の奥から見えた巨体はまさに怪物のような大きさだった。見えた途端に私は怯み、ノナさんの腕にしがみついた。

 

「大丈夫、怖くないですよ。」

 

 ノナさんの声は穏やかだ。少し先には緊張した様子のルラが見えるというのに。
 先陣きって飛び出したのは、セオンさんだった。彼は右手に蒼い火のともった槍を出現させて、大きな獣の頭部分へ一突きした。直後、獣は不規則な足取りでよろついた。ルラの手が獣へ向けられてその身体に水が網羅する。まるで鎖で拘束するように無数の水の線が、身体に巻きついていく。カーミラは跳び、獣の背に飛び乗ると拳を首筋に落とした。獣の身体が左へ傾く。それを合図に『特殊装甲衣』を纏った複数の魔法使いが獣へと向かった。
 様子を見ていた私は不意に不穏を感じて、喚いた。

 

「あの獣は殺してしまうんですか!?」

 

 大きな獣に寄ってたかって水だの火だのを浴びせる魔法使いたち。いくら凶暴といえど、『エターナルブレイズ』の悪効果でああなってしまった結果なのではないのか。もしかしたら普段は大人しい動物かもしれないのに。
 ノナさんがふと私の頭を撫でた。見上げると、彼女は相変わらず微笑をたたえていた。

 

「大丈夫。魔法は、殺すために存在しているのでは、ありませんから。」

 

 ノナさんの目が獣のほうへ向く。私は意味が分からず、しかしどうしようもない気持ちのまま獣を見つめた。
 セオンさんが火の槍を持ったまま、横たわる獣の前に立つ。『特殊装甲衣』を纏う魔法使いたち、それにルラとカーミラは、獣へ対する攻撃をやめていた。
 蒼い火が、少しずつ白い色へ変化する。セオンさんがそれを獣へ手向けると、一瞬で獣は白い火に包まれた。私は言葉を失い、ノナさんの言葉は嘘だったのかと泣きたくなった。
 しかし、それは突然だった。

 

「白き炎は、やがて訪れる平和の象徴。あの炎は混乱を燃やし、心を鎮めるものなのです。」

 

 ノナさんの言葉がゆっくりと紡がれる。獣を覆っていた火が徐々に小さくなり、やがて完全に消えた。獣を拘束していた水の線が少しずつ膨張し、今度は薄い水の膜に覆われる。水蒸気だろうか、巨大な身体から薄い煙があがっていた。
 水の膜が身体を伝って地面へと流れていく。よく見ると、獣の身体は、あれだけの攻撃を受けていたのに、血はおろか傷一つなかった。

 

「もう大丈夫。あの獣も、間もなく元の縄張りへと帰るでしょう。」

 

 ノナさんの言葉のあと、間をおかずに獣はのっそりと立ち上がった。荒々しい雰囲気は、いまはない。代わりに、寝起きのような気のない足取りで、森のほうへと歩いて行く。驚いた。ノナさんが言ったとおりだ。
 私とノナさんのほうへルラたちが来る。身なりを普段着へ戻して、ルラは私からセオンさんへ視線を移した。

 

「助かりました。ありがとう。」
「いや。俺は一応、この島の警ら隊員だからね。先ほど戦闘に参加した者も皆、隊員なんだ。」

 

 セオンさんが向いた先に、七人の魔法使いがいた。彼らは獣と対峙していた人たちだ。勇敢な男性陣は誇らしげに笑みを浮かべている。

 

「さて。流れ星の正体は、特秘だということで伺わないことにする。ただ一つ、いいかな。あなたが『時の調律者』ということに、違いはないね?」

 

 私に振り向いて、セオンさんは私にそう確かめてきた。ルラへ一応目配せすると、彼女は頷いて、隠すことはないと意思表示してくれた。
 私はセオンさんを見て、「はい」と肯定する。すると、セオンさんは一瞬目を伏せて、それからふと溜め息を漏らした。

 

「そう、か。その石は飾りではなかったわけだ。……流れ星の正体を察してしまった以上、あの噂もまた真実と受け止めなければいけないわけだ。」
「噂とは、差し支えなければ教えてもらいたいのですが。」

 

 ルラが声を低くして、緊張した面持ちでセオンさんを見ている。『エターナルブレイズ』のことは、この世界に住む人なら誰でも存じている。だが、それらが散ってしまった事実を知るのは、少なくともあの祭典のときに居合わせた人々だけ。
 セオンさんの噂というのは、たぶんそれに関するものだろうと思ったのは、私がじゅうぶんにこの世界に馴染んでしまったからだろうか。

 

「ヴァセリン大陸誕生と、賢録古書初記載を祝う祭典のとき、盗賊によって『賢者様』たちが世界の方々へと散ってしまったと、風の噂で聞いたんだ。」

 

 噂に軽い尾ヒレがついているが、ほぼ事実の噂だと思った。実際には、あの盗賊の女性は私を攫っただけで、『賢者様』が散る直接的な原因ではなかった。ただ、それを訂正することは、その噂が事実であると教えてしまうことになる。
 ルラに倣い、私は口を閉じているだけだった。カーミラは青紫の目を、意味が分からないというようにきょろきょろとさせている。
 私たちの無言を、セオンさんはどう捉えたかは分からないが、じきにふっと笑みを零した。

 

「いや。あなたたちが答えられないことは、無理には聞き出さない。俺はセオン。あなたたちの名は、特秘事項で話せないかい?」
「……わたしは、ルラ・フィン・カーティスです。彼女はナコ。そちらの化獣人はカーミラ。」
「ルラに、ナコか。カーミラは知っているよ。ダグラスさんの使い魔だね。」
「違う、あたし、もう、自由の、身。」

 

 カーミラの訂正に、セオンさんは小さく笑った。冗談だと思ったのか、事情を察したのか、それは分からない。ただセオンさんは、協力できることがあれば連絡をくれと、そう言ってくれた。警ら隊員は果敢だから、きっと役に立てる、と。

 セオンさんたちに別れを告げて、私たちは飛行船へ乗り込んだ。
 ルラは監査局に問い合わせるとのことで、今は部屋にはいない。同室にいるのは私とカーミラの二人だけだった。

 

「ナコ、どこか、行く?」
「うん。今、ルラが流れ星の情報を聞いているから、行き先はまだ分からないけどね。」

 

 ベッドでごろごろとするカーミラは、人間の少女のような、甘える子犬のような、そんな感じだった。
 私には兄弟も姉妹もいないから、なんとなく、妹ができたみたいで嬉しかった。

 

「カーミラは、どこか行きたいところはある?」
「むう。知らない。世界、はじめて、出るから。ナコが、一緒、なら、どこでも、いい。」

 

 カーミラはそう言い、にかっと笑った。嬉しいことを、言ってくれる。私は頬を火照らせて、少し目をそらした。友達というよりは、妹のような気持ちを抱いていた。
 青紫の目を向けてくるカーミラに、そっと手を伸ばす。嫌がられるかと思ったけれど、彼女は抵抗することなく、私の手を受け入れて、大人しく頭を撫でさせてくれた。

 

「む。ダグラス、とは、違う。」
「ん? なにが違うの?」
「手。あいつ、ほぼ、骨だから。」

 

 あんまりにも正直に言うものなので、私はついふきだしてしまった。確かにとても細い指だったが、骨と呼称するのは、言いすぎだ。でも、言い得て妙かもと、失礼ながらそう思った。
 なんだかツボに入ってしまい笑っていると、ルラが入室してきた。彼女は私のほうを見て首を傾げていた。

 

「なにか楽しそうだな。まあ、笑ったままでいいから聞いてくれ。監査局に流れ星の情報は入っていないそうなので、一度フレイルライズへ戻ることになった。」
「情報、ない、のか。」

 

 ルラは頷いて、「一時休止だ」と言った。
 ようやく笑いが落ち着いた私に、カーミラが「大丈夫か」と顔を覗きこんできた。頭を撫でてあげれば、嬉しそうに目を細める。しかし、彼女の擦り切れの服から見える肌に、私は少しだけまた閉口した。

 

「ねえ、ルラ。」
「どうした?」
「あの……」

 

 椅子に座り、本から私へ視線を移すルラに、私は言いかけた言葉を止めた。
 カーミラの服を着せ替えさせたい、とか。この肌の傷は治せないのか、とか。要求ばかりが思い浮かんで、何から言うべきか、悩んだ。本当なら私がカーミラの世話をするのが筋なのだけれど、今ここにはなにもない。私はルラの魔法によって衣装や身体の汚れなどを取ってもらっているから、着替えなどの必要はない。同じようにカーミラへ施してほしいと、そう言うのがいいだろうか。
 私がそれを言葉にする前に、ルラが椅子から立ち上がった。

 

「ナコは表情に出やすいな。」
「……ごめん。」
「謝るようなことじゃない。素直だと言いたいだけ。カーミラ、そこにおいで。」

 

 ルラがカーミラを呼んだ。なにも言わなくても察してくれた。あるいは、ルラも気になっていたのかもしれない。
 カーミラはルラの指示通りに床へ座った。ルラは首からさげる石へ触れ、それから右手をカーミラへ向けた。

 

「少し痛みがあるかもしれないが、我慢してくれ。」
「む。がんばる。」

 

 カーミラはぎゅっと拳をつくって、口をへの字にした。室内に微風が流れ、カーミラの周囲は水の膜に覆われた。

 

「ぎゃっ! ぎゃあっ!」

 

 カーミラが微動し、悲鳴をあげるもその場で必死に耐えていた。
 ――魔法五大要素の一つ、水は、全ての生命の源。すなわち血液。
 ルラのように専攻が『水』の魔法使いは、治癒を内側から行うのだという。血液循環とか、体内の水分調整だとか、そういう方法で体外の傷を癒すらしい。
 私がルラに身体を綺麗にしてもらうときも、全身に妙な感覚がまとう。傷がある箇所にはぴりっとした痛みが一瞬襲うが、すぐに痛みはなくなって、傷口は綺麗になっているのだ。

 

「いっ……うぅっ。」

 

 見たところ、カーミラはほぼ全身に傷があるようで、その全てが痛みを帯びているのだろう。痛々しい姿と悲鳴に、私は思わず目を背けてしまった。
 しばらくして、ようやくカーミラは静かになった。彼女を覆っていた水の膜が蒸発すると、カーミラは見違えるくらい綺麗な肌になっていた。

 

「ありがとう、ルラ。」
「預かった以上は、これくらい施さないといけない。あとは、衣装だが、破損が多いな……」

 

 カーミラの衣装は、彼女の肌と同じほどに綺麗になっていたが、長い間着続けていたために、擦り切れまでは修復できなかったようだ。『時の調停者』といえど、欠損してしまった箇所まで再現することはできないのだと知った。
 ルラは思案し、ふとベッドのほうを見た。

 

「ああ。ナコ、フレイルライズへ戻ったらちゃんとしたものを着せよう。今は、間に合わせのものを作ってみるよ。」
「間に合わせのって、シーツで?」
「寝具用生地……素材があれくらいしかないからな。カーミラ、いいか?」

 

 聞くまでもないというように、カーミラは大きく頷いた。
 ルラはベッドのシーツを取り、再び石に触れてから小さく呪文を唱えた。ルラの手にあるシーツがふわりと浮き、カーミラの身体へと巻きついた。カーミラは大人しくされるがままになっていて、シーツは徐々に、ひとりでにカーミラの身体へ馴染んできた。そうしてものの一分程度で、カーミラは布のワンピースを肌に身につけていた。

 

「おお。服。」

 

 カーミラは感動したように呟き、嬉しそうに頬を染めた。カーミラが着ていた元の服は継ぎはぎして、下着に作り変えたらしい。魔法とはいえ、ルラの器用さに、私は感心した。

 

「すごい。ルラ、器用だね。」
「服飾縫合は、第一学生時の必須科目なんだ。大抵の魔法使いなら容易にこなす。」

 

 ルラは少し照れたように、そう答えた。でも、私には十分すごいことだと思った。
 新しい衣装にカーミラは喜んで、嬉しそうに私へ抱きついてきた。それが、私にはとても嬉しかった。

 

「ルラ、ナコ、ありが、とう。」

 

 たどたどしくお礼をされ、私はカーミラの頭を撫でる。これからよろしくと、そう告げて、私たちは一旦フレイルライズへと帰還した。


(12.Apr.2010)
修正(2010.6.10)
修正(2011.04.21)
修正20120328
修正20120416

 

 第12話

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