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白狼のクロ 第1話

白狼のクロ 第1話 『薄汚れた白き狼』(最終更新20180605)

 

 大地は潤いを取り戻していた。

 

 昨夜から降り続く雨が乾きを浄化していき、ヒビ割れていた地面のあちらこちらには大きな水たまりさえできていた。 空を舞う猛鳥は先刻から視界の利かぬ中で、地上にあるはずの獲物を探しだそうとしている。しかしこの雨では、雄うさぎの一羽さえ発見できそうになかった 。

 猛鳥が空中を旋回し、諦めずにいるその真下に、白い影がうごめいた。 体毛は水を吸い重くなり、その四肢は今や泥とも土ともつかぬもので汚れきって、一匹の狼がふらりふらりと地面を這っていく。眼光は炯々と、しかし淡い黄の瞳は生気なく虚ろな様子だった。

 狼は群れを追われてから今まで、ただの一口の肉も口にしていなかった。それはおぼつかぬ足取りや、やつれたような顔にはっきりと出ていた。 後ろ足を泥のぬかるみにとられ、白い狼は大地へと倒れ込む。拍子に、白い毛へ汚い色が付着した。舌をだらりとさせて、視界に広がるぼんやりとした景色を見つめる狼は、腐りかけていた嗅覚を僅かばかり取り戻した。聴覚、視覚と順に感覚が冴えて来たときにはすでに狼は、自身よりも巨体を持つフテロプトトラに囲まれていた。

 狼は本能で、死を予感した。

 瀕死状態の獲物を前にしているため、フテロプトトラの口もとには、雨ではない液体がだらりと垂れている。ゆっくり、狼の周りを歩きながら距離を詰め、長い舌で唾液を舐めとった。 危機意識があっても、今の狼には動くこともかなわなかった。ただ迫りくる死の瞬間を、途切れそうになる意識の中で自覚していただけであった。

 不意に、狼は嗅ぎ慣れぬにおいを感知した。明確ではないが、どこかで嗅いだようなにおいである。

 

「目標四肢生物目認。肉食型赤毛フテロプトトラ、捕捉。」

 

 四肢全てではなく、後ろ足二本のみで立つ知能数の高い動物。地上に生きる生物の中でも、特有の音による言語を操る種族のそれだった。

 狼は視線を這わせ、それを眼へと捉えた。 直立に立ち、こちらを見据える人間が一人、居た。人間は頭にも体にも何かを 纏っているために、本来の奇異なる姿は窺えなかった。

 

「数は四……仕方ないね。」

 

 雨に紛れそうな音を発し、人間はおもむろに両の腕を持ち上げる。狼の見ている中で、五指同士の先端を触れ合わせた。

 フテロプトトラの意識は完全に今や、美味そうなにおいを放つ人間に向けられていた。 しかし人間は臆する様子など見せず、合わせていた五指を小指からじょじょに外へと開いていき、拇指と食指で小さな窓を作った。その窓の中に、狼は収められる格好になった。

 

「君、薄汚れた白き狼。ちょっと力を借りるからね。」

 

 狼は理解できず、ただ人間を見つめていた。だが、次のときにはすでに狼は、 自身の意識が狂ったことを知った。

 

『なんだ、君、酷い状態だね。よく生きながらえていたものだ、こんな体で。』

 

 人間の音が、空気の振動を介せずに響いてきた。一体どこから。

 ――狼自身の内側からであった。 起きあがることさえ出来なかったはずであるのに、狼の体は意思と反して、よろめきながら立ち上がった。 フテロプトトラは狼の気配を察して、こぞって振り向いた。鋭い歯を剥き出し 、脅しかけるような威嚇を始め、じりじりとこちらへ近寄ってくる。

 

『弱っているからかい、わたしを追い出そうとしないのは。まあ、好都合だからいいがね。』

 

 鼓膜ではなく、脳に直に響く人間の音。狼にはその意味を解すことは不可能であった。だが人間のほうはそれを承知のうえで話しかけていたため、さして問題も生じなかった。

 

『さて。しばしの間、君を”借りる”よ。』

 

 音の直後、狼は地を蹴った。それは狼自身にとって意図せぬ行動であった。 フテロプトトラが頑丈な爪で地面をえぐり、二匹も飛びかかってきたが、狼はひらりと身を避けた。この俊敏なる動きは、死にかけであった獣のそれではなかった。しかし地面へ降りたった途端に、狼は急激に脚の痛みを自覚した。それにも関わらず、狼は動きを止めなかった。 ――いや、止められなかった。意思に反して勝手に躍動する体は、完全に操られていたためである。

 

『これを終えたら治療と礼をやる。だから今しばらくは耐えていて。』

 

 フテロプトトラをあしらいながら、狼は痛む体を動かし続けた。

 狼の身体の疲労の原因は単に、絶食をしていたからだけではなかった。人間が狼の全てを支配する――この行為がただそれだけで、かなりの心身労働となる。

 

『埒が開かないね。仕方ない。君、多少の汚れは勘弁しなよ。』

 

 狼の体が宙へ舞った。かなりの隙が出来、フテロプトトラはその隙を見逃すことはなく、大きく跳躍した。

 

『ああ、まったく、無傷は無理と断っておいて良かった。』

 

 人間はつぶやき、直後に狼は身を丸めた。体を前転させるように縮こまり、飛びかかってきていたフテロプトトラの頭に、容赦なく衝突する。その際にトラの 首ねっこに牙をたてたため、トラは悲痛な叫びをあげた。 一匹が地面へ転がりこむと、他三匹は表情を変えずにこちらを睨んできた。狼は息があがっていて、疲労困憊していた。

 

『残りは流すかね。じゅう数える間に仕留めるよ。』

 

 濡れて汚くなった白毛を振り乱し、狼はフテロプトトラへ突進した。トラは全て正面からこちらへ向かってきて、脇にいた二匹が勢いよく飛び上がった。しかし狼はそのどちらにも目を向けず、中心にのみ集中していた。

 ただの一瞬のことであった。 狼はトラの巨体の下へ滑り込み、背後へ回ったと思ったら、すかさずトラの背へ飛びかかり頸(くび)にかぶりついたのだ。当然トラは叫び、瞬間に意識を失って倒れた。このトラが長だったらしい、他のトラは怯みその場に立ち尽くしていたが、身を翻して泥を跳ね上げ、雨の中を駆けて行った。

 逃げ去ったトラを見送った後、狼は力なく地へ伏せた。身体の疲労は半端なく 、意識が飛ばないことが不思議なほどであった。

 

「協力、感謝するよ。これは報酬。喰いな。」

 

 ふとみると、すぐ傍に先ほどの人間が居た。人間は手にあるものを狼の口もとへ差し出している。においからして、肉の塊のようであった。だが狼は、それを口にしたいと思わず、舌をだらりとさせて、荒い呼吸を吐いていた。

 

「なんだい、要らないのか。これを喰わなきゃ、君は”死ぬ前に自我を失う”ぞ。」

 

 人間は呆れたようにそう述べ、狼の開いた口に無理に肉塊を押し込んだ。唸り抵抗のために首を振るが、そのようなことは無駄になり、狼は久々に喰う肉に、 吐き気を催した。けれど本能ではやはり肉を喰うことを望んでいたためであろうか。狼は肉を噛みしめ、喉の奥へと飲み込んだ。

 

「それでいい。少しは永らえられるだろう。傷も特にはないね。脚のほうは、まあ問題はないよ。ただ疲れただけだろうから、じきに回復する。」

 

 狼から視線を外し、人間は、倒れる二匹のトラを見遣った。 頸の後ろから血が滲んでいるのが窺え、人間はため息をこぼした。

 

「大儀だね。一人で運ぶのは大変に大儀だ。ランガでも呼ぶか。ああ、雨だから断られるのが必定か……まったく、なんて大儀なんだろうね。」

 

 愚痴をもらしながら、人間はトラを抱えあげた。自身の軽く倍はある獣を、である。人間の体はトラから滴る泥にまみれ、汚れていた。 狼はじっと動かずにいたが、気付くと、先より意識がはっきりしていた。それに、身体の疲労具合も軽減し、空腹感も薄れていた。体を起こしてみる。わずかにふらついたのみで、移動には特に支障もなさそうだった。

 

「マスター経由の治療薬はさすがに違うね。効果抜群。死にかけの狼も”この通り” ……遊んでる場合じゃないね、刻限に間に合わない。」

 

 トラを二匹も担ぎあげて、人間はため息混じりに歩きだした。ぬかるみを避けることはすっかり諦め、堂々と泥の中を突き進んで行くものなので、人間の足は言うまでもなく、担ぎきれないトラの後ろ足辺りまで汚い色が付着しきっていた 。

 毛についていた泥は雨に流され、狼は足もと以外は白さを取り戻していた。しかしその目は、去り行く人間のほうを眺め続けていた。 そして、なにを思うでもなく、人間の姿とにおいを追うように、再び四肢を動かした。

 

 

第2話

 

 

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