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白狼のクロ 第5話

白狼のクロ 第五話 『ムラサキコチョウ』20080609(最終更新20180605)

 

 夢を見ているような気持ちで、カンクロウはつかの間息さえ忘れたように立ち尽くした。しかししばらくして意識を取り戻したとき、あの蠢くものは『木』ではないことを知った。
 植物の『つる』が、まるで蛇のようにうねっている。それに気付いたときカンクロウは、ようやく自分がとんでもない状況に置かれていることを自覚した。

 

「飛頼師さん、中にいるんですか。」

 

 出来うる限り大きな声で叫んだが、返事らしき音は全くしなかった。ただ、獰猛な獣が呼応するような高い音が響いただけだった。心拍数が上昇して焦燥感にかられてきたことで、さらにカンクロウは混乱に陥りかけた。自分がこんな無茶な依頼をあんなに軽い調子でしなければ、彼女たちを危険に晒すことはなかったのに。ここへ来てカンクロウは後悔の念を痛いほどに感じて、歯を噛みしめた。しかしそれでも、自らあの中へ飛び込んだとしても、なにができるだろう。きっとなにも出来ずに『おしまい』になる。そんなことは少し考えれば誰だって理解できた。

 

「……くそっ。」

 

 拳を固く結び、なにも出来ない無能な自分に苛立った。俯いていたカンクロウが再び前を見たときである。密林の中からなにか白いものが揺れたのが見えた。それを確認したとき、カンクロウは思わず「あっ」と声を発していた。
 褪せた色の民族衣装を纏った人間と、薄汚れた灰色の毛の狼が、意識を持った『つる』を余裕な様子で避けながらこちらへと駆けてくる姿があった。太くコケむした巨大樹の幹を踏みしめ、驚くほどの跳躍力で密林から脱出した彼女らは、その速度のまま金網さえ飛び越えてカンクロウのほうへと到着した。
 驚くやら安心するやらで口をぽかんと開けるカンクロウの頭を、無言のまま平手で叩いたのはリンであった。酒場でクシカに小突かれたときより痛みがあり、さすがにカンクロウも怒ろうとしたが、彼より先にリンが言葉を発した。

 

「言ったはずだ、声を出すなと。あの『つる』は音に反応するんだ。この狼に吠えさせたため、なんとかなったものの。こいつに感謝しておきな。」

 

 舌を出して上がった息を吐く狼を見遣り、カンクロウは、あっと思い出した。自分が叫んだ後に聞こえた音は、この狼が吠えた音だったのか。木々にこだまして分散した音の断片のみしか聞き取れなかったために、自分はあれを狼の吠えた声と判断できなかったらしい。

 

「コクラヤンマどものせいで寝ていたあれらを起こしたらしい。どんなものでも、寝起きが一番音に敏感になるからね。こればかりは運が悪かった。……さて。君の目的のもう片方を、見に行くよ。なぁに、『少し歩く』だけだ。チョンブー・アンより危険もない地域だし、平気、平気」

 

 気を取り直したようにリンがそう言う。驚いたり恐怖したり不安になったり忙しかったが、彼女の言葉は今のカンクロウには励まし以外のなにものでもなかった。

 ムラサキコチョウは水辺を好む生き物らしい、リンはプラヤ川へ行くと言い、再び二人と一匹は歩き始める。

 

 

 陽が傾いて来たが、この地域は午後から夕方にかけて最も気温があがるため、ずっと歩き続けていたカンクロウは前方を行くリンと狼の間に、かなりの距離ができてしまっていた。後ろですっかりバテているカンクロウを気にしてくれるのは、なぜか狼のみであった。狼はリンの後ろにつきながらも、頻繁に立ち止まってはちらちらと後ろを振り向いて、カンクロウの様子を眺めてくる。リンはと言うと、カンクロウへは一度も振り向かず、気にさえしていないようにただの一度も止まることをしなかった。しかしいつもより歩幅を狭めていて歩く速度が遅いため、少なくともカンクロウの体力を気遣っているようであった。

 チョンブー・アンからここまで、どれほど歩いただろうか。時間にして二時間は軽く過ぎていて、駅伝出場経験があるといっても、こんな炎天下の中で歩き通すことには慣れていないため、カンクロウは限界近い辺りまで体力を消耗していた。リンは『少し歩くだけ』といったので、てっきり近場なのかとくくった自分が愚かだった。カンクロウは荒い息を吐き、止めどなく流れてくる汗に段々いらだちを募らせていた。しかし同時に、これがいわゆるカルチャーショックというものかと納得していた。

 

「へい、依頼主様。プラヤ川が見えたぞ。あと一息を堪えな。」

 

 今にも足がもつれそうになるカンクロウと違い、リンはなんとも普通な声色でカンクロウを激励した。もうすぐ着くという言葉を待ち望んでいたカンクロウは僅かに元気を取り戻して、というよりは、やけになったように歩く速さを上げ始めた。
 前を歩いていたリンを通り過ぎ、つかつかと川のほうへ行くカンクロウを眺め、リンは愉快そうに微笑した。

 あれが目的の川だろうか、それを目の当たりにしたカンクロウは、思いがけずぼやいていた。

 

「……思ったよりもマシなんだな。」

 

 濁り茶色の水が流れている川は、思っていたような生臭いにおいはせず、水辺にちらほらと自生する雑草や樹木もまた、わりに新鮮そうな色をしていた。勝手な偏見だが、発展途上国の川はどこも異臭漂うドロ川というイメージがあったため、日本の川とさほど変わらない景色やにおいであることにカンクロウは少しだけ驚いたようだった。

 

「川の下流には町があるが、上流にひとは住んでいない。野生動物との領域分けのためだ。この国が都会から一歩外に出たら、荒れたままの大地しかないのは、環境と動物を取り持ち、共存するために出した結論のためよ。」

 

 カンクロウの横に立って、リンは川を見つめた。相変わらず表情に変化はなかったが、どことなく憂いたような雰囲気が感じられた。彼女の声色は変わらないまま言葉が紡がれる。

 

「まあ、その結果、多種多様な独自の文化が根付くようになったんだがね。同じ大地で生きているのに、慣習、風俗、衣食住の生活も全く異なっている。世界で最も原始人が多い国と言われるわけだ。」

 

 自嘲的な言い方だ。しかし、悲観したようには聞こえない。それが当然であり、自然なことだと言っているように聞こえた。

 ――カンクロウの国も昔は場所によって全く異なった生活習慣や風俗があったが、現在はほとんどの地域で差異なくなり、多少の言語なまりさえあれど、衣食住のどれも、さほどの差はなくなっていた。
 閉鎖的であった百年前、二十一世紀の初め頃から現在までのたった百年の間に、葦原瑞穂大国――日本は、飛躍的な経済・文化・民族成長を遂げ、生活などもがらりと変わり、昔の思想などを尊重しつつも新たな文化を築きあげた。このルナティックシティという国も、他の国との交易を広めたならば、日本のような先進の国に成り代わるのだろうか。しかしもしそうなったら、今在る彼ら『民族』はどうなるのだろう。住む地域はおろか、動物たちは居場所さえなくしてしまうかもしれない。
 ……日本は、喜ばしい経済成長を遂げたが、その裏で多大な自然環境破壊を行い、それが原因でいくらかの動物を絶滅させたという事実を持っていたのである。創造の裏には、必ず破壊が伴うものなのだ。それをカンクロウは、自身が生きた20余年ですらしっかりと理解していた。

 物思いにふけるカンクロウをちらりと見て、リンが彼へ声をかける。

 

「なにを考えているか知らないが、あんまりぼけっとしていると、目的の奴らを見逃すよ。水面をよく見ていな。」

 

 リンに言われ、カンクロウは意識を呼びさました。彼女から言われた通り水面を見るが、そこでハタと疑問がうまれた。樹木などを見るのでなく、なぜ水面を見る必要があるのだろう。なんだか、まるで水の中から出てくるような言い方だ。カンクロウは、それを質問しようかどうか悩んだものの、結局やめた。見ていればわかると言われる気がしたためであった。

 そうして間をおかず、再びリンが口を開く。その口元は、ひどく愉快そうに緩んでいる。

 

「そろそろだね。よく、目をこらしておきな。」

 

 言葉に従ってまばたきの回数を減らすことを意識し、カンクロウはじっとした。傍で狼が興味なさそうにあくびをする気配がした。

 ぱちゃ、と何かが跳ねた。流れ行く川に一瞬間だけ波紋がうまれたがすぐ消えていく。魚が跳ねたように見えたが、水は濁っていていくらがんばってみても、なんの影も見えなかった。またすぐ跳ねるかと見込んだが、なかなか何も変化がなく、カンクロウが目を離してリンを見ようとしたときだった。
 伏せていた狼が飛び跳ねるように起き上がり、落ち着きなく辺りを見回しはじめた。

 

「来るよ。」

 

 リンの声の直後、足の裏からなにかの振動を感じた。地響きというよりは、地下から金槌で鉄かなにかを叩くような、妙な振動であった。かん、かんと言う音は断続的に足の裏に伝わり、それは確実に大きく近くなってきていた。
 カンクロウは水面を注視していたが、なんだか違和感を覚えはじめた。濁水が、鮮明になってきている気がしたのである。そんな怪異現象を信じられるわけもなく、視線を川下へ移し、再び前を向くが、やはり水が透明さを回復してきているのは見間違いではなかったことを知った。

 

「君ね、暑苦しいよ、すり寄るのはよせ。」

 

 隣に立つリンの足下にぴたりとつき、狼もまた水面を眺めていた。リンは足を動かして狼を払おうとするが、狼は動こうとせず、水面に関心を向けていた。この狼は本当にリンによく懐いているらしい、カンクロウは内緒で笑いかけたが、次の瞬間にはそれを忘れてしまった。

 地下の音が最大になったあたりで、突如として川から魚が飛び跳ね始めた。水しぶきが川の傍に立つカンクロウらのほうにまでかかるほど、無数のそれが高く飛んでいる。なにが起きたか、カンクロウは最初わからなかったが、じきにこの光景の実態を理解したとき、心底驚いて唖然とした。

 水面に飛び跳ねるものは、魚だけではなく、鳥類も混じっていたのだ。鳥の大きさはさして魚と変わりなく、しかしその色は鮮やかな青色をしていた。鳥の数は明確に数えられないが、恐らく数百はくだらない。それらは魚に混じりながらも、何度も水へ潜っては空へ飛び、しかしすぐにまた水中へ飛び込むを繰り返しているように見えた。

 驚くばかりで言葉も出せないカンクロウの空いたその口へ押し込むように、リンが愉悦を隠さない声色を発する。

 

「あの青いのがムラサキコチョウだ。」
「……あれが?」

 

 名に反した青色であるうえ、鳥の姿をしているが、あれがムラサキコチョウだというのか。まさかリンが嘘や冗談を言っているとも思えず、カンクロウは上擦った声を出していた。カンクロウの声に戸惑いが含まれていることを察したのか、リンは小さく笑った。

 

「名付けた奴が何を思ってムラサキなんてつけたかは、わたしには分からない。一説には、あの鳥の発見者は色盲で、紫色に映ったからという話もあるが定かじゃない。」

 

 狂ったように飛び跳ねる青い鳥と魚を眺めたまま、リンは腕を組んだ。

 

「そして、実際にこれらを見たことがない奴は、名前からして勝手に『蝶』を想像するだろうね。わたしもこの目で見るまではそうだと思っていた。しかし本物は青い鳥で、なんだか騙された気分しか残らない。なあ、君。今まさにそんな気分だろう。」

 

 からかったような口調でリンはカンクロウを見、水面へ視線を戻した。まさにリンの言う通り、カンクロウは多少の騙された感は否めなかった。だが、不思議と怒りや憤りなどは感じられず、目の前に跳ね上がる生き物の姿に、目を奪われていた。その感情は、どちらかというと『良い方に裏切られた』といってもいいものだった。

 

「でも、あれらはね、水から上がった様が最も美しいんだ。」

 

 言い、リンは右手になにかを握り、手のひらを天へ向けて開いた。赤色がかった塊があり、リンはそれを勢いつけて高く、遠くへ放り投げた。水の中から一羽、鳥が飛び出して空を切り、赤い塊に食いついた。気づけばリンはその鳥を、拇指と食指でつくった窓におさめている。

 その刹那、リンの体が傾いた。

 

 

第6話

 

 

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