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フローアイアンの風の音に 第2話

フローアイアンの風の音に スティル・アンカー編 第二話 『アンハング・バディ~特異体質性短所~』 修正20110804 20110805(最終更新201806007)

 

 マーベラストイックス国防軍中央事務施設……通称『中央塔』。名が示す通り、国防軍の軍人・軍属たちが勤務する事務施設。有事の際は国の治安維持のために『軍人』として務める彼らも、平時の際は一般の企業となんら変わらぬ事務仕事をこなす。他国がどうあれ、この国の軍事システムはそうなっていた。常務始業の8時、昼休憩開始の12時、午後勤務開始の13時、常務終業の18時の、4刻を報せるは施設中央にそびえ立つ時計塔。その音は毎日、手動で寸分の狂い無く打ち鳴らされる。
 たった今、昼休憩開始を告げる鐘が鳴り響きはじめた。この鐘の音を聞くのは事務施設勤務の軍人だけではない。中央に点在する国防軍の事務施設、そして時計塔をシンボルとする街――アンリ・レイフォード。この街に暮らす一般民間人もまた、この鐘の音を聞いて育ってきた者ばかりだった。
 アンリ・レイフォードの出ではないヤックル・フレーシアも、最近はこの鐘の音にようやく慣れてきた。自身の職務机で帰り支度を整えていると、隣席のリタ・クランキーが顔を向けた。彼女はヤックルより一階級上の先輩だ。

 

「フレーシア少尉、午後休暇ですか?」
「はい。賜暇申請を受けられたので。お先に失礼させていただきます。」
「賜暇ですか。それは羨ましい。お疲れ様です。」

 

 はす向かいに座るのは、スージー・デック。彼は事務職者、地位は准提である。真面目な印象を与える外見そのままに、三課『第一下克上組』内でも仕事熱心な男性軍属だが、ヤックルよりは冗談を言うタイプの人だった。どちらかと言えばリタ側の性格なのだということに気付いたのは、最近になってからだ。
 職務室内の同僚たちに早退の挨拶をしたのち、ヤックルは南館の通路へと出た。すれ違う軍人・軍属の者たちすべてに挨拶をしていきながら南館を出たときだった。

 

「フレーシア少尉。」
「ハルシュテン中佐。お疲れ様です。」

 

 後ろからの声にヤックルはすぐ振り向いた。次いで、無帽敬礼をとりながら声を張る。若くして佐官の地位にある彼女はロティア・ハルシュテン。ヤックルより長いセミロングの金髪、そして微笑の表情にそぐわない、どこか威圧感のある青い瞳。ヤックルは彼女とはじめて接触したとき彼女を、自分の『野心実現』のために利用させてもらう気でいた。だが、彼女のその内に秘めた熱く冷え切った意志に、そう易々と触れることなど不可能と思い知らされた。実際には、ロティアになにか言われたりしたわけではない。ただ本能で、彼女を利用することは容易ではないと、感じ取ったのだ。
 いかにも軍人らしい態度で上官を出迎えたヤックルに、ロティアはくつくつと笑っていた。

 

「まあそう、構えなくて良い。今日は午前勤務かい?」
「はい。ハルシュテン中佐はこれから昼休憩ですか?」
「いや。じつはドクから定期検診の招待状を送られたんだ。なので、これから午後勤務返上で受診に行くはめにね。」

 

 ドク、とは軍従属の認可医であるドク・ヘルメス氏のことだ。彼はこの国内では稀少な特異体質診断医の一人であり、特異体質をよく知る専門家である。苦笑いするロティアを眺めながら、ヤックルは、そういえばこの人も特異体質者だったのかと思い出した。以前なにかのときに誰かから聞いてはいたが、すっかり忘れていた。
 上官殿と並行して歩きながら、そういえばと、ヤックルは何かを忘れているように思った。何だろう。思い出せない。軽い思惟をするヤックルを穏やかな瞳で眺めながらロティアは屈託ない笑みを絶やさず、尋ねてきた。

 

「聞いたが、君も特異体質だそうだね。ドクからのラブレターは届いているだろう?」
「……あ。」

 

 特異体質。そして、定期検診。確かに数日前に、彼から一通の葉書を受け取った覚えがある。特異体質の者は必ず枷となる短所を何かしら持っているため、軍従属の特異体質者は定期的に診断受診する義務があった。ヤックルはそれを自覚したとき、めまいを覚えた。膝の力が急激に喪失し、視界が一瞬暗くなる。隣に居たロティアは瞠目してヤックルの身体を咄嗟に抱きとめた。

 

「どうした、フレーシア? 聞こえるか?」

 

 目の焦点が合っていない。ヤックルにはロティアの声は聞こえていなかった。この事態の異変に、周囲にいた軍人たちが駆けつけ、皆が迅速に適切な行動をとった。


 間もなくして、ヤックルは意識を覚ました。見慣れないにおいと景色だ。ふと人の声がしたため、そちらを見る。ここは医務室、だろうか。白衣を着た女性、そしてロティアが何やら談笑している。ヤックルが身を起こすと、二人は気付いてベッドへと向いた。白衣の女性が口を開く。

 

「おはよう。病名は栄養失調による貧血よ。少尉さん、あなた何日食べていないの?」
「いきなり倒れるものだから慌てたよ。気分は?」

 

 白衣の女性は軍属の医者らしい。彼女に続いてロティアも心配を口にした。そしてヤックルは診断結果を聞き、『また』やってしまったと、自己嫌悪した。二人に謝罪を述べると、ベッドから足を下ろす。と、ロティアがヤックルの顔を覗きこんできた。青い目が、咎めをあらわにしているようだ。無言の圧力に、つい行動が停止する。

 

「フレーシア、午後の予定は何だ?」
「……なぜです?」

 

 顔色ひとつ変えず、ヤックルは聞き返した。内心では僅かに焦りを抱いていたが、上官の威圧に屈するほど、弱くはなかった。
 ――ヤックルの午後の予定、それは実家に居る実妹を病院へ連れていくこと。五つ年の離れたその妹、名はアシュレイ。彼女は現在、呼吸障害、そしてそれに伴う知能遅延障害を患っている。今日はその定期検診の日だった。――ヤックルは『野心実現』のために、自分の弱点を(実妹の存在を)周囲に知られることを何より恐れている。ために、返事を明確にしなかった。
 その本心に気付いたのか、気付いていなくとも何かを察したのか。金髪青眼の上官は、身を退いて瞼をおろした。

 

「いや。言いたくないのなら無理には聞かない。ただ、何か栄養をとらねばならないだろう? 事務施設から遠くない場所に私の借家がある。昼飯を振舞うよ。来るかい?」
「あら。中佐、部下にお優しいですね。噂の手料理を振舞われるんですか?」
「また倒れられたらこちらも要らない不安を抱くからね。しかし、噂のとは何だ。」
「噂は噂ですわ、中佐。あなたの手料理は金を出す価値のある代物だと。」
「何だい、それは。大げさだ。誰から聞いたんだい?」

 

 仲良さげに笑いあう二人を傍目から眺めながら、ヤックルは思惟する。そういえば、ここ最近まともに食事をとった覚えがなかった。――『空腹を感じない身体』。それがヤックルの特異体質性短所。常人からしたら、羨ましいと思われるかもしれない。だが、空腹を感じないというのは、身体が栄養を枯渇していても気付けないということに繋がる。これまで、この体質が原因で貧血をおこし倒れることは何度かあった。しかし今回のように誰かに運ばれるという、他人に迷惑をかけてしまったのははじめてであったため、ヤックルは少なからず罪悪感を覚えた。
 今までであれば空腹を感じていなくとも、ちゃんと何か飲食をしていたのだが……ここ最近は事務仕事に慣れてきたということで、処理すべき書類が以前より増え、また勤務初日の例の騒動のせいで良くない注目を浴びてしまい、腕に自信を持つ戦闘員らから、昼休憩時間中や業務終了後などにたびたび手合いを申し込まれたりしていた。ために、飯を食う習慣をすっかり忘れてしまっていたのである。

 上官は今一度、ヤックルへと誘いの言葉をかけてきた。

 

「それで、フレーシア。どうする。わたしのうちへ来るかい? 強制でも命令でもないが、そう長いこと拘束はしない。」
「どちらにしても、少尉さん。あなたは何か食べないといけないわ。中佐に付き添いしてもらうなんて滅多にないことなんだから。甘えちゃいなさい。」

 

 返事をしないヤックルに催促の言葉がかかる。拘束時間はかからない、か。ならば、ちょうど良い。『野心実現』の想いを、この上官にも話しておこう。ヤックルはそんなことを考えて、上官に頼る選択をした。

 ロティアの借家は事務施設から徒歩で15分程度の場所にあった。そこは軍人の多くが住まうエリアとして存在する路地で、何棟も高層のビルが佇んでいた。しかしこの時間に外を出歩く軍服姿の者は居らず、また一般市民の姿もほとんどなく閑散としていた。

 

「年季の入った建物だが、住まい心地は悪くなく、利便もいい。もし引っ越しを考えていたらこの辺りはおすすめだよ。」

 

 階段をのぼりながら、ロティアが言う。年数を経ているビル内部は、ところどころにヒビと、明らかに弾痕らしき穴がいくつか空いていた。驚くほどでもないが、少しだけ閉口した。
 3階の一室へ着いたロティアは、鍵を開けて入室した。ヤックルは入り口前で躊躇っていたが、「入りたまえ」とロティアから入室許可を得たため、小さく「失礼します」と言った。
 室内はとても広かった。それは家具類がほとんどないからだ。キッチン、リビング、そして恐らくベッドルームはあの戸の先だろうが、それにしても物がない。目に付くものといえば、調理器具、時計、二脚の椅子と机、そして床に敷かれたカーペットくらいだろうか。全く生活感がない。
 数少ない家具の一つ、木製の椅子に座る。あまりきょろきょろと見回すのは失礼だろうと考え、ヤックルは視線を落とした。キッチンでロティアが何かしている音を聞きながら、ヤックルは口を開く。

 

「ハルシュテン中佐は、何をお考えになっているのですか。」
「ん。ああ。君の野望が聞きたい。ここなら話せるだろう?」

 

 何て事もなげに言う人だろう。だが、ヤックルも最初からそれを言うために彼女についてきたのだ。隠すことはない。むしろ、知っておいてもらいたい。――賢明、聡明、有能、高名。どうやらこの若き女性佐官は、事務施設内でも名を馳せているらしいというのは、つい先日気付いた。もしかしたら、力を貸してくれるかもしれない。深い意味はないが、ヤックルは、ロティアという人物が自分と似ていると、なんとなく思っていた。リタやアルカナ、それに現上官のバトラさえ、そのように口走っていた理由が、なんとなく分かった気がしていた。

 ひと呼吸おいて、ヤックルは、静かに言った。

 

「私、軍人が嫌いなんです。」
「ああ。知ってる。」

 

 思いがけない返事に、ヤックルは思わずロティアへ振り返った。至って普通。なにも変わらぬ上官がそこにいた。野菜を刻む音が鳴り、手際よく調理を進めて行くロティア。ヤックルは、自分自身もおかしなことを言ったことについては棚に上げて、金髪の上官を奇妙なものを見るように見つめていた。

 

「わたしも昔から軍人は嫌いだ。フレーシア、君も同じ目をしているから、よく分かる。続けたまえ。」

 

 予期しない上官の言葉に、ついこちらの言葉が詰まってしまう。中佐という地位にまで上り詰めた人が、軍人嫌いだなんて。なんだか聞いてはいけないことを聞いた気がして、ヤックルは妙な胸の高鳴りを覚えた。料理をする手は止めずにロティアが続きを催促してきたため、はっとして続きを話し出す。

 

「私の両親は、私が幼いときに軍人の利益至上主義に巻き込まれたんです。両親は国外追放、行方は知れず、今もどこで何をしているのか、……生きているのかさえ知りません。だから、私は復讐を誓ったのです。」

 

 なにかを炒める音がする。フライパンを片手で操りながら、ロティアはヤックルへ一瞥もくれずに、ぼやいた。

 

「それはまた、随分と穏やかではないな。――反逆は、最も重い罪。わたしも上官の立場だ。もし、わたしが他言したならば君の首も危うい。」

 

 間をおいて、ロティアの青い目がヤックルへ向いた。冷ややかな、刺すような、咎めるような、そんな眼差しが注がれる。ヤックルは怯まず、その青の目を毅然と見つめ返した。

 

「なんら問題のないことです。私は、自らの地位を高みへとのぼらせることで、かつての軍人を左遷し、絶望を与えてやりたいだけ。命を奪うつもりではありません。それに、あなたは他言などしないと、信頼をしていますから。」

 

 嘘も偽りもない、まことの言葉。確信を持った、自信に満ち満ちた言い方だ。呆気にとられたようにロティアは静止したが、じきにふっと笑い出した。

 

「そうか。信頼をしてくれているのか。それはありがたいが、君も大概、軍人には不向きな性情だな――」

 

 一頻り笑った後、ロティアは出来上がったものを皿へと移した。その顔は至極愉快。なにより、今にもまた笑いを浮かべそうなものだった。
 美味しそうな香りを漂わせる料理をヤックルの前へと刺し出し、「ペティアルガ風野菜炒めだ」と、にこやかに料理名を述べる。次いで、ごくさり気ない様子でロティアは、

 

「――気に入った。協力が必要なときは、いつでも申し出たまえ。手を貸すよ。」

 

 ヤックルが望んでいた言葉。心強い『協力者』を得られたなによりの言葉の証だ。

 ”利用”するのではなく、”協力”をしてもらう。これが、ヤックルの考えついた最善の結論。「ありがとうございます」と、そのように心からの礼を述べて、ヤックルは自身の膝の傍で拳を固く握った。

 

「さて。冷めないうちに食べたほうが良いぞ。一人暮らしの年数は確かに長いが、料理の腕は比例しないからね。」

 

 武器(フォーク)を添えて、ロティアは苦笑する。見た目も香りもとても良い。食べる前から、彼女の料理の腕が確かなことは容易に察せた。とろみのある野菜をフォークで口へ運ぶと、口内にちょうど良い甘辛さが広がる。柔らかくなりすぎていない、ほど良い野菜の食感が、空腹を感じていないはずのヤックルに満足感を与えてくれる。中佐の手料理は金を出す価値があると軍医が言っていたが、その通りだと思った。……こうして実妹のアシュレイ以外の人の手料理を食べたのは、久しぶりだった。

 

「とても、美味しいです。本当に、……美味しい。」
「そうか。口に合って良かった。」

 

 嬉しそうに微笑を見せて、ロティアはキッチンへ向かった。
 なぜだろうか。懐かしいような心地に、じんわりと心が震えた。久しく忘れていた感情。全くの他人の作る手料理を食べたのは初めてのはずだが、なんだかまるで……。

 

「……美味しいなぁ。」

 

 はらりと、ヤックルの目から涙が一粒、零れた。ロティアに気付かれないうちに軍服の袖で目元を拭う。

 思えば、両親がヤックルたちの傍から離れてから、誰かに甘えた記憶がなかった。子どもの頃、自分よりさらに幼いアシュレイを守るために、ヤックルはいつも強気だった。姉として、母としてアシュレイを守り、育てた。……両親を連れていかれてしまったショックで、アシュレイは一時期言葉を失った。当時の心の傷は時が徐々に癒していき、また話せるようにはなった。しかしアシュレイはかわいそうに、今なお後遺症として上手には言葉を発せないし、他の同い年の子どもたちに比べたら知能の発達も遅くなってしまった。姉であるヤックルもまた、特異体質であるため、同じ店で長く働くことが出来ずにいた。そんな折に、軍学校――この国の軍の特徴を知った。
 差別迫害される特異体質者を、常人と平等に扱ってくれる場所。そして、成果や功績をあげればあげるほど、それに見合った待遇、対価が得られる。ヤックルが最も嫌い、しかし最も望む『実力主義』の世界。憎むべき相手がいるところへ、自ら土足で踏み込んだのは、虎穴にいらずんば虎児を得ずという言葉を知っていたから。憎悪の対象である軍人に復讐をするならば、同じ軍人となって報復を与える。それはとても現実的かつ合理的な手段。ヤックルは両親を失ったが、その過程では誰も血を流しはしなかった。ならば、無血報復が、最善。利益至上に走り、無罪の市民を冤罪によって裁く軍人をすべて左遷し、絶望させる。これがヤックルが誓った、ささやかな心理的報復……復讐のかたちだった。

 

「ハルシュテン中佐、ありがとうございました。美味しかったです。」
「いや。君とは一度、個人的に話がしたかったからね。時間を割いてくれて、礼を言うよ。」

 

 上官の手料理をタダ喰いするなど、ヤックルには恐れ多すぎた。洗い場を借りて食器と武器を洗浄しながら、ヤックルはロティアへ礼を口にした。椅子に腰掛けてコーヒーを楽しむロティアは、「適当でいいよ」と笑った。
 洗いものを済ませ、ヤックルは再度お礼を言う。満足げに微笑しながら、ロティアはヤックルを玄関まで導いた。

 

「これから家へ帰るのだろう? 車で送ろう。」
「えっ。いえ、そこまで手を煩わせるわけには……」
「フレーシア。上官だとか、そんなものは気にしなくていい。こういうときは、『お願いします』と返すのが、礼儀だ。それとも何か、わたしの運転が不安だとでも?」

 

 玄関先でロティアにそんなことを言われ、ヤックルは慌てて違うと否定した。しかし、この人もまた、同じことを言うのか。「階級などただの肩書き」と言っていたのは、リタだった。確かにここの軍は実力主義、下克上など当然の、究極組織。『真の軍人』にもようやく慣れてきたため、今なら彼女の言葉の真意は分かるようになっていた。それでも自分より遥かに高位の上官に対しての無礼講など考えられなかった。
 『実力主義』――それゆえに、利益至上に走る愚かな軍人も少なくないわけだが。今はただ、ヤックルもそんな実力主義組織を利用しようと考えている、いち軍人になった。後悔も罪悪感もない。ひとえに、クソ軍人を見返してやるという『野心実現』の信念を抱いているのみだった。

 家まで送ってもらうのはさすがに気が引けたため、ヤックルは駅までロティアに乗せてもらった。車内では「家族構成」「趣味」など、よくある常套の質問が投げかけられたが、ヤックルはあたり障りのない返答で、淡々と答えていた。そのあまりの素っ気無さにか、ロティアは終始愉快そうにしていた。

 

「打ち解けろとは言わないが、もう少し表情を緩めてもわたしは怒ったりはしないよ。フレーシア、君は表情筋のトレーニングをすべきだな。」
「クランキー中尉にも同じことを言われました。」
「ああ、そうだろうね。彼女はもう少し気と表情を引き締めてもらいたいものだが。」
「同感です。――ハルシュテン中佐、ありがとうございました。ご恩は必ず返します。では、失礼します。」

 

 駅の前でヤックルは軍人然とした態度で礼をした。ロティアはとても嬉しそうに、相変わらずの微笑をたたえながら、手をひらひらと振って車を出した。上官の車を見送ると、ヤックルは駅の改札で駅員からチケットを受け取った。軍人サービスは、いつの時代も健在だ。軍服を着用しているだけで無賃乗車が可能というのは、不本意ではあるがありがたかった。

 列車に揺られてしばらく経つと、目的の駅へと着いた。ガスト県内ではあるが、事務施設から離れたこの村では、軍人の姿はほとんどない。深緑色の軍服はよく目立つようで、数える程度の通行人は皆、ヤックルへ視線を向けていた。

 

「ヤックル。……あぁ、やはり君だったのか。軍人になったというのは事実だったのだね。」
「ウーナさん。お久しぶりです。お変わりないようで、何よりです。」

 

 茶髪の癖っ毛、そして眼鏡の奥の紫紺色の目を持つ彼はウーナ。駅前で露店商を営む気の良い初老の男性だ。ヤックルが軍学校へ入る前に会って以来の再会だった。ウーナはヤックルが特異体質者であることを知っても、差別や侮蔑などをしない数少ない理解者だった。あの頃となんら変わらない、優しげな印象をたたえる微笑。ヤックルの軍服姿を見て、少しだけ戸惑ったようだったが、すぐに順応してくれたようだ。

 

「アシュレイちゃんは元気かい?」
「はい。これから定期検診のために、お医者へ行くつもりです。」
「そうか。……気をつけてな。軍人を快く思わない者もいる。」
「はい。」

 

 ウーナの警告に、ヤックルは至極当然のように頷く。――この村は、私欲に走った軍人に手をかけられた過去を持っている。ヤックルが復讐を誓うきっかけを作ったクソ軍人だ。その軍人は、ヤックルの両親だけではなく、他の村民にも冤罪をかけて罰を与えたらしい。それ以来、この村の一部の人間は、ヤックルと同じように軍人を嫌っていた。奇異、畏怖、そして憤怒の視線が、道を歩くヤックルに突き刺さる。覚悟はしていたが、さすがに少しだけ、堪えた。
 村のはずれのほうへ出ると、ようやく視線は途絶えた。そしてヤックルの目に一戸二階建ての家が映る。あれが、ヤックルの実家だ。今は実妹と、障害を持つ彼女の付き添いとして雇った侍女が一人、住み込みで働いている。しかしこの家は、二人で暮らすには広すぎるくらいであった。

 

「ヤックルお嬢様、お帰りなさいませ。」
「ユンさん。ご苦労様です。」

 

 事前に連絡を入れておいたため、玄関前には侍女のユンが居た。長い黒髪は後ろで一つに束ね、黄土色の目は優しげにヤックルを出迎える。軍学校へ入校するとき、ヤックルはそれまで稼いだ生活費の半分を使って、アシュレイが実家で一人きりにならないようにとユンを雇った。なので実際にユンがどれほどの働きをしてくれているかは見た事がなかったが、実家帰省のたびにアシュレイが元気な笑顔を見せてくれるので、ヤックルはユンが甲斐甲斐しくお世話をしてくれているのだというのをちゃんと分かっていた。
 二階から忙しく足音が鳴った。間もなくして上階から桃色のワンピースを纏った少女が駆け下りてきた。ヤックルと同じ金髪、しかしその目は、父親譲りの濃紺色。彼女の無邪気な笑顔は、ヤックルの表情筋を自然と緩めてくれる。

 

「ルー姉さま、お帰りなさい。」
「ただいま。アシュレイ、いい子にしていた?」

 

 アシュレイはヤックルへ抱きついて、「うん」と元気の良い返事をした。年齢に不相応な、その幼い言動。アシュレイは呼吸障害を抱える、ヤックルの妹だ。呼吸障害により併発した知的障害が、この幼年じみた言動の原因である。アシュレイの頭を撫でながら、ヤックルはユンへ振り向いた。

 

「お医者へ行くので、車をお願いできますか。」
「はい。承知しました。お待ちくださいませ。」

 

 ユンは嫌がることなく身を翻す。本当、彼女のような人がアシュレイの傍にいてくれることが、ありがたい。
 いつまでも抱きつかれていては動けないため、ヤックルはアシュレイの腕をそっと解いた。小柄なヤックルとは異なり、アシュレイは年齢における平均身長を持つため、二人の目線はほとんど同じ高さにある。けれどそのお陰で、アシュレイの愛らしい顔立ちを真正面から見ることができるし、なにより、アシュレイもそんな小柄な姉を、友達のような感覚で接してきてくれる。スクールに通うことができないアシュレイにとってヤックルは姉であると同時に、唯一の友人のような存在だった。

 

「さあ、アシュレイ。これからお医者へ行くから、診察証を持ってきて。」
「はい。ルー姉さま。」

 

 アシュレイは素直に頷いて、自室へ走った。……こうして見ている分には、普通の十四の女の子なのに。アシュレイの呼吸障害は、主に就寝時に発現する。それは医者曰く、『彼女の見る夢』が原因だという。毎晩発現するわけではなく、不定期に突然、呼吸困難や無呼吸症状などが出る。恐らく、アシュレイは両親の夢を――当時のことを思い出すような夢を――見てしまうために、症状が出るのだろう。薬を服用することで頻度が和らぐことは、ヤックルが軍学校へ行く前から知っていたが、いまだに治る兆しが見えないため、こうして定期的に医者へかかっているのだが……。

 

「持ちました。ルー姉さま。ほら、ね。」
「いい子。では、行こう。」
「はい。ルー姉さま。」

 

 本当に、幼い少女のようだ。簡単な単語や、姉の名を喋ることはできるが、計算の類はできないし、記憶力もあまりない。また、難しい発音の言葉は一切発せない。すべては呼吸障害による影響。そして、その呼吸障害の最大唯一の要因は、両親と引き離された過去。そんな事態を生み出したのは、憎き軍人……。
 外ではユンが車に乗って待機していた。後部座席へアシュレイを乗せて、ヤックルも反対側へ乗り込む。

 

「ユンさん、お願いします。」
「おね、が、しま、す。」
「はい。では、参りましょう」

 

 拙い言葉を一所懸命に話そうとするアシュレイ。ヤックルは、無言で抱きしめた。ヤックルの腕の中で、アシュレイは嬉しそうな笑顔をたたえていたが、ヤックルの目は暗く、悲愴していた。
 深緑色の軍服はすでにヤックルの身体に馴染んでいたが、その色を見るたびに心のどこかに芽生える静かな感情は、いっこうに滲むことはなく、鮮明なままであった。

 

(4.Mar.2010)

 

 

第3話

 

 

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