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フローアイアンの風の音に 第3話

フローアイアンの風の音に スティル・アンカー編 第三話 『ファイティンエイニマ・ロビン~動物兵器~』 修正20110804(最終更新20180607)

 


「血液審査は問題ないね。ただ、心拍変動が少し高い。服用薬を出そう。」

 

 軍服の上着を羽織り、ヤックルは「ありがとうございました」と礼を述べる。軍属の認可診断医ドク・ヘルメスは、慣れた様子でカルテへと書き込みをしていく。彼は丸い縁メガネ越しの金の眼を、退室しようとするヤックルへ向けた。

 

「ああ、そうそう。リアオーラ・ハルシュテンから聞いたけど、食事はちゃんととってね。『真の軍人』が貧血で倒れるなんて聞いたら、軍全体の国民に対する信用ガタ落ちでしょ。」
「すみません。以後、意識します。」

 

 リアオーラとは中佐階級の俗称だ。ヤックルは先日、上官であるハルシュテン中佐から食事をご馳走になったことを思い出して、そう口走った。意識は、しているつもりなのだが。如何せん、空腹を感じないというのは、便利だが不便だ。何か作業をしているときは、どうしたって食事をとることをつい忘れてしまう。自己管理は軍人だけではなく社会人として当然のことだが、どうにもヤックルは食事に関しての自己管理は苦手であった。
 特異体質患者は、必ずその体質とは別の体質的短所を併せ持っている。ヤックルの場合、空気中の雑菌を自在に意思のまま操る『白霧感染性特異体質』という特異体質性、そしてその特異体質性短所として空腹を感じない身体を持っていた。――ドク・ヘルメスは特異体質患者の症状などに詳しい専門家である。彼のその研究の結果から、どうやら特異体質という名が示す通り、それは先天的に遺伝子になんらかの異常が生じているため、個人の意思ではどうしようもないことが分かっている。なので、特に軍人・軍属の特異体質者は普段の勤務等に支障が出ないよう、こうして定期的に検診を受ける義務があった。

 ドク・ヘルメスの診療所を後にしたヤックルは、徒歩で中央塔へ向かった。
 街中を軍服姿で闊歩しても、ヤックルの生まれ故郷である村ほど注目を浴びないのは、ここが国防軍事務施設の中枢である街だからだろう。

 南ハクニア大国の国防軍は事実上基地として東西南北の各県に事務施設を構えている。東はセクサ県、南はアドア県、西はメルト県、北はタクラ県。そして枢軸として中央ガスト県。軍人・軍属の人数はほぼ各施設均等に割り振られ、たまに施設間異動命令が出されるが、それでも大きな人員変動はなかった。軍学校の新卒として『仮軍人』から『真の軍人』として入ってくる者も、年々減少傾向にあり、今年度などはヤックルの他には十名足らずが各施設へ配属された。例年よりさらに減ったことは、中央事務施設三課新兵会議課に勤務する者なら一目瞭然であった。


 街の様子を観察しながら歩いていたヤックルは、なんとなく違和感を覚えた。見慣れない顔立ち、肌の色、体格に、言語。事務施設へ続く大通りを進むうちに、違和の原因を察した。外国人が多い。いや、別段珍しいことではないのだが、それにしたって、やたら目に付く。南ハクニア大国の出身者にはホワイトゴールド(色白金髪)が多い。さらにその眼の色、金の色を持っていることが生粋のハクニア人種の証だ。尤も、時代の流れにより現在は純粋なハクニアの血をひく者はその数を減らしつつあるため、様々な『色』が街中には溢れていた。
 ヤックルはまず、この辺りではあまり見ない褐色の肌を持つ人に目を向けた。髪の色は黒や金髪など、特に不思議に思うでもない色ばかり。意識しすぎて何かしら因縁を持たれるのも億劫であるため、そこまで凝視による観察はしていなかったが、ヤックルの視線の先に一人の女性が映った。
 この辺りではあまり見ない格好。陽光にさらされる髪は銀というよりは、少し傷んだ白髪。スカートの中から伸びる彼女の足は顔面と同じく褐色。垂れ下がった目尻に、灰色虹彩。何らかの混血であろうか。ヤックルは直感した。
 向こうから歩いて来る女性は注目を浴びていることなど気にしていないように平然としていた。彼女の手には茶紙の買い物袋。風にのって、パンの良い香りが漂ってきた。そういえば、この先には喫茶軽食堂『サー・オルレイア』があった。以前、リューマという同い年の娘と会ったことを思い出す。

 

「お勤め、お疲れさまっす。軍人サン。」

 

 すれ違いざまに突如声をかけられた。相手は、今しがた注視していた外国人……褐色の肌に銀髪灰眼を持つ女性だ。ヤックルは思いがけず振り向いたが、彼女は特に気にもとめずに去っていった。怪訝に思うも、ヤックルは下位尉官のいち軍人。一般民間人を尋問する権限など、持ち合わせて居ない。ふう、と緊張を解いて、ヤックルは歩調を元に戻した。
 間もなくして、例の店が視界に入った。『サー・オルレイア』の看板、パンの焼けるにおい。自身の軍服のポケットから時計を出して、時間を確認した。現在時刻はすでに十二時を回っている。事務施設内では昼休憩として軍人たちが昼食をとっている頃だろう。迷うことなどなく、ヤックルの足は喫茶軽食堂へと向いた。

 

「いらっしゃいませ。あっ。フレーシアさん!」

 

 店の中はヤックルの貸家のリビング程度の広さがあった。ショー・ウィンドウにはパンが並び、席について食事をとる客人は3人。ウェイトレスをこなしていたリューマが、玄関の鈴の音を聞いて顔をあげれば、ヤックルと目があった。ヤックルは無帽敬礼をした後に、少しだけ表情筋を緩めた。

 

「こんにちは。パンを買いに来ました。」
「こんにちは。ああ。また来てくださるなんて、嬉しい。」

 

 言葉を裏付けるようにリューマは頬を染めて、ヤックルに破顔一笑を見せてくれた。店内に居合わせた客たちは、軍服姿のヤックルを見ても特に驚きはしなかった。厨房のほうへリューマが声をかける。一人の男性が顔を出した。白髪の混じった茶髪、優しげな茶色の眼。聞けば、彼はこの店の店主で、リューマの父、名をクレムというそうだ。ヤックルは彼にも無帽敬礼をした後、店の人気のあるパンはどれかを尋ねた。店主のクレムは柔らかい表情のまま、縦半分に割られた楕円形のパンを示した。

 

「そうですね。軍人のかたがよく買っていかれるのは、スコッティ・バン。こちらのサラダブレッドです。」
「ここにはよく軍人がいらっしゃるのですか。」
「ええ。ここのパンは腹に溜まると言って、皆さん買っていってくださるんです。」

 

 クレムは言いながら、スコッティ・バンをトレイに乗せて見せてくれた。どうやら表面は相当固いパン生地なようで、しかし中のほうは弾力があり、細かく刻まれた野菜の具材が中心に詰まっている。アボカドをはじめ玉葱やニンジンなどの野菜を細かく砕いて、それを特製のソースでからめた物だそうだ。弾力あるパン生地のお陰で咀嚼数が増えるし、また野菜も入っているため多少なりと栄養がとれるということで、軍人に人気があるらしい。ヤックルはそれをハーフサイズで三つ注文し、代金を払った。
 店を出る間際、リューマが見送りをしてくれた。

 

「一方的な約束にならなくって、嬉しかったです。お勤め頑張って下さい。」
「はい。リューマさんも、お元気で。」

 

 リューマの笑顔を見ると自然とこちらも笑顔になってしまう。まさに彼女は看板娘として相応しい娘だろう。腹は減っていないが、ヤックルは、手に持つ紙袋に入れられたパンを食べるのが、とても楽しみであった。

 部外者の侵入を拒絶する背の高い鉄格子に、厳かな雰囲気漂う要塞のようなごつい立ち姿。国防軍の中央事務施設の建物が目の先に現れ、ヤックルは気を引き締めた。正門には巨大な鉄の門があるが、それは大口を開けたまま悠然と佇んでいる。門の脇には各二名ずつ戦闘員憲兵が立ち、事務施設へ立ち入る全ての人間を監視している。戦闘員憲兵の左腕には、揃いの赤色腕章が装着されている。不穏を見逃すまいと彼らは常に視線の移動を絶やさない。今は昼休憩中であるために複数の軍服姿の者が門の周辺を往来している。戦闘員憲兵である彼らの眼もまた、歩行する軍人・軍属らの立ち振る舞いを追っていた。

 

「フレーシア少尉、お勤めお疲れ様です。そちらに所持するものは?」

 

 戦闘員憲兵の一人、シューピットがヤックルへ声をかけた。所持品検査だろうか。ヤックルは疚しい事などないため、彼に紙袋の中身を公開した。

 

「パンを三つ。昼食にと思い購入しました。」
「失礼。……これ、大丈夫かな?」

 

 シューピットが隣に立つコレッドに何やら訊いた。パンの持ちこみを制限する気なのか。ヤックルは、いつの間に持込制限が厳しくなったのかと抗議しようかと思った。だが、どうやら抗議の必要はなくなったようだ。

 

「あぁ。問題ないだろ。仮にも訓練を受けてるんだから、無断強奪とかしないって。」
「そうか。でも匂いに釣られて来たら困るよなあ。」
「あの、何のことですか?」

 

 話が見えずヤックルは問うた。すると二人は「来客が見えてるんですよ」と言い、北館のほうへ振り向いた。何事かと思いヤックルがそちらを見る。人の往来が多くて分からない。シューピットは、

 

「恐らく大丈夫なのでどうぞ。協力感謝します。」

 

 と言い、ヤックルを施設内へ通した。よく分からないうちに進入許可を得たが、とりあえず昼休憩が終わるまでに昼食をとらねば。また貧血で倒れたら、今度こそ何かしらの処分を受けるはめになる。
 紙袋を抱きなおしてヤックルが階段を登っていく。と、前方で何やら悲鳴があがった。驚いた際にあげるような短い悲鳴だった。何だと思いつつ階段を登りきったときだった。

 

「わっ……い、犬?」

 

 突然の襲撃にヤックルは危うく階段から転げ落ちかけたが、そこは軍人というべきか。バランスを保ち、なんとか転落だけは免れた。行く手を阻んだのは、小柄なヤックルの腰ほどまである大きな黒い犬だ。ヤックルのすぐ前まで来て、黒い巨犬はお座りをしていた。周囲に居る軍人たちは遠巻きに見守っているだけで、何もしようとしない。犬もまた、ヤックルをその大きな黒い瞳で眺めるだけで、なにをするわけでもなく大人しくしている。もしや、とヤックルは感づいた。先ほどシューピットたちがぶつぶつと言っていたのは、『これ』のことか。ヤックルの持つ紙袋の中には香ばしいにおいを漂わせるパンがある。確か、犬は人間より嗅覚が優れている。それも何倍も。このパンの美味しそうなにおいに反応しないわけがなかった。
 ヤックルはしばしその犬と睨みあいをしていたが、唐突に勝負は決した。どこからか女性の厳しい声があがったのだ。

 

「ロビン!」

 

 犬はその声に反応すると、身を翻して北館の玄関前まで一直線に走った。そして、深い青色の軍服を纏う女性の前でぴたっとお座りをする。女性が何ごとか早口に声をあげると、犬は二回転し、また座った。周囲に居合わせた軍人たちから、感心するようなどよめきが起きる。ヤックルはしばし事を眺めていたが、じきに昼飯を食べようと意識を完全に逸らした。

 

「すみません。ロビンが失礼を働いたこと、お許しください。」

 

 玄関のところですれ違おうとしたヤックルに女性が頭を下げた。犬はそれを模倣するように頭を垂れる。女性のほうへ向いて、ヤックルは「気にしていません」と単直に述べ、去ろうとした。

 

「無礼のお詫びをさせてください。」

 

 女性はヤックルにそう申し出た。
 『白虎の広場』で、ヤックルはスコッティ・バンをかじっていた。ヤックルの右隣には黒い巨犬こと『ロビン君』が、大人しく座っている。芝生に座るヤックルとあまり背丈が変わらないほどの大きな犬。そして、ロビンを挟んだ向こう側に座るのは、先ほどの女性だ。

 

「私はグラ・イーサーです。軍用犬訓練士をしていて、そっちの黒い子はロビンと名付けてあります。彼は軍用犬です。」

 

 グラはヤックルに先ほどのお詫びとしてコーヒーをおごってくれた。グラとしてはコーヒー程度でお詫びとしたくなかったようだが、ヤックルはすでに昼飯としてパンを購入していたので、コーヒーだけで手を打ってもらった。そして今は、犬連れでは食堂へ入れないということで、ここ『白虎の広場』で二人と一匹、昼食をとっていた。『サー・オルレイア』で購入したスコッティ・バンは歯ごたえがよく、野菜の具材もヤックル好みの味で、とても美味しかった。三つ購入していたので、一つをグラへと渡そうとするも、彼女は目に見えて焦ったように手を横へ振った。

 

「軍用犬の手前、訓練士が何かを食すのはご法度なので、お気持ちだけ頂きます。フレーシア少尉はお優しいですね。」

 

 軍用犬とはすなわち『動物兵器』だ。愛玩動物として飼うならいざしらず、『動物兵器』を作り出す人に食い物を差し出すということはその犬にもそれを食わせる必要がある。訓練士と訓練をされる動物は常に一心同体。訓練士が叩き込む技術や思想を、訓練される動物はすべて学び本能で感じなければいけない。食い物一つに関しても、訓練士が食うものは動物にも与えることで、互いの信頼関係と上下関係を学ばせるのだと。犬の思考や行動パターンを人間に近づけさせるという実験も兼ねているらしい。
 話を聞くと、このロビンは軍用犬第一号で、現在グラの他に二十名ほどの訓練士が、合計三十頭近い犬を訓練しているのだという。ロビンは『試作品』ということもあり、犬の特徴である嗅覚を活かした警備巡回や、演習時の負傷者探知等の仕事を行っているそうだ。ロビンは八歳の犬だというのに名誉勲章受賞という実績も持っている。第一印象は良くなかったが、ヤックルは隣に座る犬を賢い動物なのだと認めた。
 ところで、とヤックルはグラへ向いて、問う。

 

「犬を連れて事務施設へいらっしゃった理由は?」
「半期に一度の試験の日なんですよ。軍人のお偉いさんがわざわざ訓練場へお越しになるわけがないので、こうして私たちが訪れているんです。午後三時から適性試験を行うので、……勤務中でしょうが、興味があれば『赤熊の広場』で実施しているので、ぜひ見学に来てください。」

 

 『赤熊《あかくま》の広場』は東館と南館の間にある草原広場だ。『西の白虎、東の赤熊』とよく対比して話言葉に出されることがあった。名付け人は知らないが、妙な名前がつけられていると常々思う。
 スコッティ・バンは美味しくて、ヤックルは二つ目も食べ終えていた。グラは話すのが好きなタイプなようで、リタと仲良くなりそうな人だとヤックルは思った。
 ふと時計塔を見上げると、午後勤務開始の鐘がもうすぐ鳴りそうな時刻だった。ヤックルはグラとロビンに「頑張って下さい」と激励を送り、コーヒーについての礼を述べて別れた。最後の一つのスコッティ・バンは誰かにあげようと考えながら、ヤックルは南館へと向かった。

 

 グラ・イーサーは軍用犬ロビンを引き連れて『赤熊の広場』へ向かう。すでに試験の用意がされていて、恐らく二十半メイス*はあるだろう四方の囲いが地面に広がっている。囲いの中には赤茶けた砂が大量に敷き詰められていた。

 

「これから最終準備に入るので、訓練士イーサーと軍犬ロビンは時限まで立ち入らないようお願いします。」

 

 深緑色の軍服を羽織る男性軍人からそう指示をされ、グラはロビンと再び『白虎の広場』へ向かうことにした。途中、いくらかの軍人・軍属から好奇の目が向けられたがすでに慣れていたため、一人と一匹は並列して歩いた。
 不意にロビンの足が止まった。グラはすぐに気付き、またロビンの異変を感知する。忙しなく鼻を動かし、ついと時計塔の方を見た。途端に、低く唸り声を発した。以前にもこのようにロビンが警戒をあらわにしたことがあったが、あのときと全く同じだ。グラはロビンの睨む先へ、同じように目を向ける。そこには、短い黒髪、顔には穏やかな笑顔を貼り付ける、一人の男性が居た。軍服は着ていない代わりに、政府高官の証である潔白《ライトホワイト》のコートを纏っている。彼はグラたちのほうを、じっと見つめてくる。その異質な姿と雰囲気は、人目をひくはずであるのに、誰一人として彼に関わろうとする者は居なかった。近づくことを躊躇ってしまうような何かを、彼は漂わせていた。
 間をおかず、時計塔の鐘の音が鳴り響き始めた。こうして間近で聴くのは久々だった。いまだ、政府高官の男性との睨み合いは続く。二分の間鳴り続ける鐘の音は、決して小さい音ではないのに、グラの心の緊張を乱すことはない。音が鳴り止まないうちに動いたのは、彼だった。
 微動した途端にロビンの警戒と緊張は最高潮に達した。グラは長年連れ添った相棒の犬の僅かな感情の変化を敏感に認識し、しかし犬を黙らせるために速い口調で怒鳴った。ロビンは鐘の音に負けぬほどの巨声を、まるで咆哮でもあげる猛獣のごとく張り上げた。七回ほど吼えたところで、ロビンはグラの静粛命令をようやく聞き入れてその場で静止する。しかしロビンの眼は鋭く、今なおこちらへ近づく男を射殺さんばかりに睨んでいる。男が一歩踏み出すたび、グラは底知れない恐怖を感じた。彼と会うたび、胸の奥がざわざわと警鐘を鳴らす。時計塔の鐘の音が鳴り終えた後も、グラの本能は警鐘を打ち鳴らし続けていた。

 

「お久しぶりです。イーサーさん。それに、ロビン君。」

 

 政府高官の男はその深い藍色の眼をロビンからグラへ映した。グラは奇妙な緊張感を不愉快に思いながら、直立敬礼を行う。その間も、ロビンはずっと政府高官の男を睨み続けた。
 この男、名をケイナーと言い、よく中央事務施設へ訪れていた。遊びに来ているわけではなく、本人曰く「仕事の一環」だそうだ。素性を詳しく明かさないのに、こうして事務施設内をウロウロ出来るのは、彼が政府高官の証である潔白色のコートを羽織り、さらにその両腕部分には南ハクニア大国政府認可通行証なる腕章型の身分証明を持っているためだ。この身分証は軍服を羽織る軍人等と同じ、否それ以上の待遇を受けられるもので、一般交通機関無料パスのみならず、有料施設への無償入場など、上位佐官位以上の軍人が受けられるサービス全般も同じように受けることができるらしい。らしい、というのは実際に彼から伺ったわけではなく、ただの噂として聞いただけであるため、確証はないが。
 グラは、このケイナーという男がどういった人間で、どういった役職で、どういった仕事を行っているのかをなんとなくの範囲で特定していた。場合によっては何かしらの咎めを受ける覚悟で――しかし、動物兵器訓練士はその絶対数が少ないため、そのような事態にはならぬと自信を持った上で――ケイナーの藍色の眼を毅然と見つめ返した。

 

「ケイナーさん、お久しぶりですね。――今日も『左遷屋』として、極秘査察ですか? お勤めお疲れ様です。」

 

 自信をもって、しかし内心では若干の不安を抱きながらもグラは、なんとも挑発的に、試すように微笑する。ケイナーもまた一切の表情の変化を見せず、しかしほんの少しだけ声を低くして、「あらら」と言葉を漏らした。

 

「ご存知なんですねぇ。僕の秘密。どこで嗅ぎ付けられたんです?」
「さあ。ただの噂ですが。素性を明かさない政府の人間、彼は『必殺左遷屋』だと、囁かれていますよ。まさか本当とは、思いませんでしたが。」

 

 『必殺左遷屋』とは、誰がつけたかも分からないが、ケイナーのことだ。神出鬼没で、しかし突然現れる彼に職務怠慢を見られた日には、容赦なく現在地位を落とすはめになる。軍内部だけではなく街の職人工房へさえ査察へ赴き、彼に見咎められた者はその職を失ったとの話も聞いた。冗談半分に、だが確信を持って出した噂話を、ケイナーがいともあっさり肯定するとは思わず、彼の意図を探るように、グラは慎重に言葉を選んだ。

 

「どんな権限があって、評価基準はどうなっているのか。そしてどの身分まで査察適用されるのか。差し支えない範囲で教えて頂きたいものですね。」
「それは、お答えし兼ねます。他言等、構いませんが、ロビン君含めあなたの周囲から平穏が消えたら、あなたは悲しむでしょう。……ただ一つ、お答えして差し上げますね。」

 

 果敢に威嚇を見せるロビンを一瞥し、それからケイナーはグラのほうへ近寄った。ごく至近距離で、彼の声が霞みの遠くから聞こえた。しかし、何を言ったかは、はっきりと鮮明に鼓膜に響いた。

 

「――僕の発言は絶対ですから。おかしな気は起こさぬよう、お気をつけください。」

 

 そしてケイナーはそのまま、グラの横を行過ぎる。グラは咄嗟に振り向いてケイナーの後ろ姿を、じっと見つめた。威圧感から解放され、まるで激しい有酸素運動の後のように汗が噴出した。どれだけの緊張をしていたのか。グラは軽く眩暈さえ覚え、そして今しがたの政府高官の脅迫に、多少の後悔を禁じえなかった。
 ロビンは心配そうにグラを見上げ、小さく甘える声を出している。グラは膝の力を衰えさせ、その場に座り込むと、ロビンの頭を撫でた。どうしようもなく、グラは固く歯を噛み締める。

 

「反逆阻止、か。」

 

 ケイナーが何かしら企んでいることを裏付ける発言。多分、故意的にあのように感づけさせたのだろう。まるで人間ではないような、計り知れない存在。他言をすれば、周囲の関係者に不幸が及ぶ。そのように言われたら、誰だって怯んでしまう。残念ながら、グラの周囲には良い人が多すぎた。親しい人が被害を受けてしまう事態は、望まない。
 なにより、彼の秘密を知ったところで、グラには何も出来やしないのだ。だからこそ、ケイナーはグラにあっさりと暴露したのだろう。たかが訓練士に何が出来ると言わんばかりに、完全になめられたのだ。グラは自身の無力さを、静かに、静かに嘆いた。

 


*《メイス=長さの基本単位。一メイス=約百センチメートルに相当。メイス=メートル。(二十半メイス=約二十.五メートル)》
(17.Mar.2010)

 

 

第4話

 

 

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