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フローアイアンの風の音に 第5話

フローアイアンの風の音に スティル・アンカー編 第五話 『エンジェイラ・クレイマス~波乱は風と共に~』 20110330~31 修正20110521  修正20110620
修正20110804(最終更新20190607)

 


 昼休憩の始まりを告げる鐘の音が鳴り終わるとき、ヤックルは同僚のリタ・クランキーと南館を出たところだった。リタに誘われてともに昼休憩をとろうと、時計塔の繋ぐ渡り通路へ踏み出したとき、その声は聞こえてきた。

 

「フレーシア少尉!」

 

 どこかで聞いた覚えのある声だった。けれどすぐに思い出せない。ヤックルはリタとほぼ同時に声のほうへ振り向き、そこであっと思い出した。
 日陰であれば黒く見える髪は、陽にさらされるとその濃い紫色がよく分かる。セミロングの髪を風になびかせ、しかしその黄色の目はまっすぐにヤックルを見据えている。微笑たたえる顔を見た途端に、ヤックルの記憶が珍しく彼女のことを思い出した。

 

「あなたは、三期生の……」
「アンジェラ・ケトゥル第三査ね。」

 

 名前までは思い出せなかったヤックルであったが、隣にいたリタがそれを紡いでくれた。リタに名を覚えられていたからか、彼女は頬を染めて嬉しそうに「はっ!」と大きく応える。
 アンジェラ・ケトゥル。彼女はヤックルと同期の新卒だ。野外訓練の折に一度、同じ班になった人。そしてたった一度だけ、実戦式手合いにて互いの短槍を交わした相手。ホセア・クレイムソンほどの強烈な個性がなかったのであまり覚えていなかったが、『仮軍人』時代によく同期生(主に男性ら)が噂にしているのを耳にしていたことを思い出す。どこかの令嬢であるのに、根をあげずに努力しているというような噂話だった。
 しかし彼女は確か『真の軍人』となったとき南方事務施設勤務となっていた覚えがある。先日行われた『仕合訓練』を終えたあと、招集された新卒の軍人・軍属たちはその日のうちに各勤務場へ帰還しているはず。だのに、なぜ彼女はここにいるのか。
 思いがけぬ同期の登場に、ヤックルはほんの一瞬間でそれだけを思惟した。当時となんら変わらぬ、噂通りのどこか気品ある微笑を浮かべるアンジェラ・ケトゥル。彼女は、事務職者か戦闘員兵かをこれから決定される『査間級』であるはず。仕合訓練を終えた今も中央塔にいる理由が見つからない。
 ヤックルと同じ考えを抱いたらしい。リタがそれを疑問としてアンジェラへと問いかけた。

 

「南方勤務のあなたが、『仕合訓練』が終わったにもかかわらずいまだ中央にいる理由が分からない。簡潔に答えなさい。」

 

 上官然とした言い方だ。からかいも含まれているのだろうとヤックルには分かったが、リタの人柄を深く知らないはずのアンジェラは素直に声を張って答えた。

 

「はっ。自分は本日より『査間』の第三査改め、中央事務施設『査巡憲兵』となりましたため、フレーシア少尉に挨拶に伺った所存です。」

 

 彼女の声が思いのほか良く通ったため、少し離れた場所の軍人もこちらへ注視の眼差しを送ってきた。ヤックルはしかし、彼女の言葉が理解できず、きょとんとする。


 『査間級』とは、簡単にいえば新卒『真の軍人』の試用期間に適用される仮の階級。『仮軍人』の頃に、属生徒は知略(事務職者)か武勇(戦闘員兵)かを上官から見極められ、『真の軍人』になるときにどちらの責務を負うこととなるか決められるのが『俗国における普通』の状態である。が、この南ハクニア大国マーベラストイックス国防軍では、ほぼ無条件の入隊許可をしいているため、一癖も二癖もある『仮軍人』が多く在る。さらに軍学校では約一年半という短期間をもって『真の軍人』を生産するため、この期間内に厳しい訓練を耐えた者でも、上官の独断だけでは事務職者向きか戦闘員向きかの決定をくだせない場合がある。ほんの一握りの確実有望な者と判断されれば、戦闘員兵向きとして尉官位卒や、また安定の事務職者として採用されるのだが、どちらにも均等であり、傾倒のない平均的な者の場合、上官の決定より先に『真の軍人』となってしまう事態がおこる。
 定員の関係でちゃんとした階級を与えられない場合は、本人の武勇の腕に関係なく全員事務職者になることもある。しかしそうなると、ただでさえ不足している戦闘員兵を補うことが出来なくなる。また、他方では階級定員の問題もあり、矛盾した事態を引き起こしていた。その救済措置として、『査間級』制度を導入した。
 今年度なども例に漏れず、アンジェラ含め他4名の新卒がこの『査間級』を与えられていた。通常は『真の軍人』になってから三ヶ月目あたりで上官から事務職者か戦闘員兵かを告げられるもの。なので、アンジェラがすでに『査間級』を終えて、しかも軍内部でも特別枠とされる『査巡憲兵』に抜擢されるなど、異例のことであった。

 

「それは、また。大出世したのね。おめでとうと、いうべきかな?」
「はっ。ありがたき幸せです。」

 

 アンジェラが無帽による挙手敬礼を行うと、彼女の軍服左胸付近にメタル・マリナス(紫かかった青色)の金属製プレートが光った。勲章と似た形状ではあるが、れっきとした階級章の意味を持つ徽章。『査巡憲兵』は、戦闘員兵の階級『中尉』位と同等の特別な業種である。とはいえ、軍内部での立場は通常の憲兵と同等であるというから、不思議な話であるが。
 同期の知人が、しかしこのようにいきなり出世を果たしてしまうなんて。ヤックルは内心で少し焦りを抱いた。
 と、そんなヤックルを見つめ、アンジェラは照れたように、けれどどこか寂しげに笑う。

 

「フレーシア少尉は、その、私のことなど覚えておられませんよね。」

 

 図星をつかれ、言葉に詰まった。取り繕いをみせるより、謝罪するのが賢明か。そう判断したヤックルは、ぽつりと謝り、頭を下げる。

 

「失礼ながら、否定できません。」
「いえ。謝ることなどないです。私なんて所詮、とるに足らない軍属でしたから。」

 

 怒っている風は全くない。言葉を裏付けるようにアンジェラは苦笑をし、それから思い出したように手をパチンと叩いた。『仮軍人』時代と変わらない仕種だ。

 

「貴重な昼休憩ですし、立ち話だけよりも、お昼をとりながらお話し致しませんか。」

 

 その提案に、リタもヤックルも素直に応じる。
 賑やかな西館食堂の喧騒。最近はヤックルもこの音に慣れてきて、ここで食事をとる回数も増えてきた。この西館食堂は街の軽食堂よりも安価で量も申し分ないため、大抵の軍人・軍属はこの食堂で昼休憩を取っている。
 窓際の席にちょうど3人分の空きがあったのでそこを陣取ると、ヤックルは、リタ、アンジェラと共に食事を開始した。
 特異体質性短所の克服のため、ヤックルは最近こうして”誰か”とともに昼休憩をとるようにしていた。同僚のリタをはじめとして、スージー・デックやルシア・フィリーナなど、入隊直後は「他人との馴れ合いなど」と思っていたヤックルも、この頃は他人との協調性を意識して、自分自身の考えを柔和に、あるいは柔軟に変えようという努力さえしていた。
 とはいえ、最低限の栄養さえ取れれば良いという考えは変えられず、今も周囲の者たちより少なめの料理が皿にのっている。事情を知らない人からみたら、ヤックルは小柄だからちょうど良い量と思われる程度だろうが、意外にもそれを指摘してきたのは、アンジェラであった。

 

「フレーシア少尉は、相変わらず食が細いのですね。」
「そうよねえ。フレーシア少尉、いつも半分以下なのよね。ちゃんと夜まで持つのか心配になるわよねえ。」

 

 アンジェラの声に不安な色が現れる。リタも何度か食事をともにしているが、こうして心配を口にするのははじめてだった。二人に心配をさせまいと、ヤックルは平然と弁明する。

 

「もともと、あまり多くを食べられないので。少なめに設定しておいたほうが、消化もよくなりますし。」
「消化促進されたら、よけいにお腹が減りそうだけれど。慣れてるなら、今さら多量を食べるのは逆に体に良くないか。」

 

 リタは納得してくれたようだ。理解の早い同僚でよかったと、ヤックルは安堵する。一口食べて、リタは続けた。

 

「けれど、量を減らしてもらっても、半額にはしてもらえないのよね、ここ。ちょっと勿体ないなあとは思うなあ。」

 

 腑に落ちないというようにリタは恨めしげに、配膳をする厨房のほうを眺めている。仕切りがあって中は見えないが、次から次へと配膳台へ現れる料理皿の数から、厨房内は大変な忙しさであることが容易く想像できる。
 ヤックルは白身魚を一口食べ、ちらりと斜向かいに座るアンジェラを見た。彼女は黙々と、しかし何か考え事をしながら食べているように見える。所作一つとっても、やはり上品な動作だと思った。
 じっと観察していたら、不意にアンジェラがヤックルへ向いた。照れ笑いを浮かべるさまに、なんとなくの懐かしさを覚えた。

 

「何か御用ですか? フレーシア少尉。」
「いえ。失礼しました。当時のことを重ねながら、つい見とれてしまいました。」
「『仮軍人』の頃のことを? それは、でも、嬉しいですね。」

 

 隠さずに言うと、アンジェラは顔を赤くして俯いた。ああ、こういう仕種が、当時の男性たちの噂を盛り立てたのだろう。少女のような可愛らしさが滲み出るのは、元来の彼女の性質なのだろう。他意なくそう思い、ヤックルは納得した。
 食事を終えたところで、リタは用事があると言いすぐに居なくなってしまった。ヤックルは、アンジェラから「白虎の広場」へ行こうと誘われたので、断る理由もなかったためそれに従い向かうことになった。
 中央塔勤務の者たちの憩いの場は、今日も穏やかな風が流れている。定期的に手入れを施される芝生へ腰掛けて、つかの間の余暇を感じた。

 

「フレーシア少尉に、お訊ねしたいことがあるのですが。」

 

 アンジェラを見遣ると、彼女はどことなくもじもじとしている。ヤックルは覚えず、けれど何か不安なことでもあるのではないかと予測し、できるだけ優しく頷いた。

 

「かしこまる事などありません。どうぞ、肩の力を抜いてください。」

 

 表情筋を緩めて、安心させるような微笑を心掛ける。ヤックルの心遣いに気付いてくれたのか、アンジェラは「はい」と笑顔を返し、頬を赤く染める。それから、ひと呼吸ついて、ヤックルとしっかり目を合わせた。

 

「フレーシア少尉も中央塔の近くの貸家に住まわれておられるのですよね。」
「はい。」

 

 ウェスタン・ドアという通り沿いの集合多階層住宅の一室にヤックルは住んでいる。個人情報開示は弱点露呈に繋がると思っているヤックルなので、明確な場所の情報提供は避けたが、素直に肯定した。
 しかしなぜそんなことを尋ねてきたのだろう。疑問の浮上も一瞬で、賢いヤックルはその答えの推測を容易に行う。中央塔勤務となったため、貸家に住む必要が出てきた。だから、どこかに良い物件はないか、それが知りたいのだろう。さてしかし、ヤックルは仕事柄、このアンリ・レイフォードの街の地図をよく覚えていたが、実際どのような物件があるのかなどまでは把握できていない。ために、有益な情報を提供できる自信は全くなかった。
 心地よい風がまた、二人の傍を行過ぎる。陽気の暖かさも手伝って、白虎の広場で寝転がり余暇を愉しむ軍属もちらほらと見えた。
 不意に何かがすれる音がした。見れば、アンジェラが羊皮紙を取り出して広げている。このご時世に、羊皮紙を使用しているとは、何か機密が書かれてあるのではと、ヤックルは少しどきりとした。が、そんな不安も、杞憂に終わった。

 

「私の直接上官はドーマンウッド大尉なのですが、彼がこれをくださったんです。」
「――軍用共同宿舎、の、案内書ですか。」

 

 アンジェラから紙を受け取り、内容を速読する。広域衛生課管轄の軍人向けの宿舎があることは以前から存じていたが、このような案内書が存在することは知らなかった。中央塔から近い宿舎は、当然のごとく下位佐官や上位尉官などの上官位が優先的に部屋を獲得する傾向にある。だから、下位階級の者たちは必然、各々で貸家を探してそこで下宿をするものだった。ただたまに、運の良い者が宿舎の空きを確保して、そこで住まうことも当たり前に許されている。けれど基本的に宿舎は住居人数が満員なので、このような案内書が発行されるのは珍しいことだったのだ。
 羊皮紙には手書きで、家賃等は軍人サービスの役得で免除される旨や、空きの部屋番号、広さ、備えられてある家具類の情報も、簡潔に箇条書きされてあった。恐らく、ドーマンウッド大尉――ラニック・ドーマンウッドは『仕合訓練』でヤックルと仕合った相手だ――が直筆したものなのだろうと思うのは、彼の軍人向きでない心底他人思いな人柄を知っているからだ。

 ――『仕合訓練』の折、彼はヤックルの特異体質を目の当たりにした際に「周りを巻き込むな」と自身の武器を投げ捨てて敗北宣言をした。危機的状況で自らの株を下げてまで、周囲の仲間たちに被害が及ぶのを食い止めたその姿勢は、悪くいえば「甘い」と罵られるだろうが、穏便に事を運ぶ術を知っているともいえる。
 そんな彼がバザスだの『夜鷹』だのといった特殊部隊の一人であることは存じていたが、『査巡憲兵』の直接上官をも務めているとは。正直、意外だった。
 思惟を続けながらも、ヤックルはぽつりと零す。

 

「部屋に空きがあるのですか。これをあなたに渡したということは、この空き部屋へ入居を勧めておられるのですね。」
「はい。大尉のご厚意で、住ませてもらえるみたいです。」
「良かったですね。第五宿舎でしたら十字路通りのすぐ傍ですから、買い物も通勤も、便利になる。」

 

 脳内に大きな地図を展開して、ヤックルはアンジェラと喜びを共感した。ヤックルの貸家は、この第五宿舎よりさらに東南、郊外のほうにあるため、通勤にも買い物にも不便であった。とは言え、住居の場所と中央塔の距離の問題など、ヤックルにはなんの支障もなかったため(生真面目ゆえに遅刻等もしないよう、常に時間に余裕をもって行動しているためだ)、住処移転などの考えは持ち合わせていなかった。
 アンジェラに紙を手渡すと、彼女は嬉しげに頷き、それからこう切り出した。

 

「大尉が仰せられたのですが、宿舎での住居共有は、仕事に支障がでなければ可能なのだそうです。ですから、もしフレーシア少尉さえ良ければ、このお部屋で住居共有しませんか?」

 

 軍用宿舎の間取りは、確かに一人で生活するには広い。だから、住居共有(ルーム・シェア)をすることで、多くの軍属・軍人を宿舎に住まわせることが出来る。彼女の話を解しながら聞いていたヤックルは、しかし突然の誘いに驚くばかりだった。
 同期だからこのように誘ってくれたのだろうが、それにしても、『仮軍人』時代も仲間意識を持つほどの関わりや接触があったわけでもないのに、どうして声をかけてくれたのか。ましてや、つい先刻再会したときも、ヤックルは彼女のことを覚えていなかったことを謝罪したばかりなのに。
 誘われる理由が思い当たらず、返答をせずに居たら、アンジェラは顔を赤くして慌てた。

 

「あの、別に深い意味などないんです。私にとって、フレーシア少尉は同期の仲間という意識があって、それに、……『仮軍人』の頃からの、憧れでもありましたし。私、フレーシア少尉に短槍で負けてから、色々と考え直す機会が得られたんです。だから今、私がこうしてここにいるのも、あなたのお陰だと思っていて……何か、フレーシア少尉のお役に立てたらと思ったのです。……ごめんなさい。差し出がましい真似でしたよね。」

 

 しょんぼりと肩を落とし、アンジェラは藍色の目を伏せる。他人の思想推測は苦手なヤックルでも、アンジェラが本気で落ち込んでしまったことを理解した。
 差し出がましいとか、迷惑とか、そんなことは一切思わなかった。それは事実だ。ただ何故誘われたのかの理由が思い当たらなかったから黙っただけ。それをヤックルは正直に話す。

 

「いえ、そういうのではないですので。私は、あなたのことを記憶していなかったのに、失礼な態度であったのに、と、そう思って。お誘いしてくださったこと、ありがたいです。けれど、私は特異体質者ですから、もしかしたらあなたに迷惑をかけるかもしれません。」
「そんなこと、構わないです。」

 

 ヤックルの主張をすっぱりと受け入れ、アンジェラは俯いていた顔をあげ、真っ直ぐにヤックルに言葉をぶつけた。

 

「フレーシア少尉が特異体質者であろうとなかろうと、私はあなたが好きです。短槍捌きや訓練のときの真面目な姿勢を、いつも目で追っていました。人よりも多くの努力をしていたことも知っています。私はあなたに憧れて、努力を惜しまずに、過酷な訓練や特訓、実戦なども耐えてきました。もし、私があなたへこの恩を返せるなら、たぶん、こういう形でしか返せないと思うんです。……私は、いずれあなたの下に就いて、あなたの補佐ができたらと、そういう願望もあるので。フレーシア少尉の傍で、あなたを支えたいんです。」

 

 嘘偽りを感じさせない、そんな本音の言葉だとヤックルは受け止めた。同時に、彼女には話していなかった『野心』のことを、彼女が存じているのかと少しどきりとしたが、なんてことはない。ただ、今しがたの言葉は他意のない彼女自身の『希望』であることを知り、素直な嬉しさを覚えた。
 ……住居共有をすれば、もしかしたらヤックルの特異体質性短所を、改善できるかもしれない。部署は違えど、寝起きを共にするなら少なくとも食事を忘れることもなくなるだろう。彼女の誘いは、ヤックルにとって明るいしらせに違いなかった。
 一緒に生活をすると言っても、昼間は基本、中央塔でバラバラに仕事をするし、非番が重なることもあまりないはず。互いにプライベートを干渉することを避ける規律さえ成立させれば、ヤックルの弱点を露呈する恐れもないだろう。
 それになにより、自らヤックルの『野心実現』の手助けになってくれそうな人が現れてくれた。それは本当にありがたいことだった。時期をみて、彼女にも『野心』のことを話しても良いかもしれない。そんな前向きな気持ちさえうまれた。
 真剣な表情をアンジェラへ向け、けれどふっと表情筋を緩め、ヤックルはお礼を述べる。

 

「このように誰かに慕われるというのは、少し気恥ずかしいですが。極力、ご迷惑にならぬよう努めます。お誘い、お受けしてもよろしいですか?」
「あ、……も、もちろんです!」

 

 一瞬、呆気にとられたらしいアンジェラだったが、すぐ破顔一笑を見せると、至極嬉しそうな声で承諾した。
 同期の仲間を得たヤックルは、自身の『野心実現』を再燃させる。そして、脳裏に大切な肉親を思い浮かべ、これからの軍人生活に対しより大きな期待と希望を抱くのだった。

 

 昼休憩の終わりが近づいてきたため、ヤックルはアンジェラと別れ、自らの勤務する南館へ向かう。別れ際にヤックルは彼女と再会する約束を結んだ。南館三課の勤務時間終了と合わせ、日没前に白虎の広場で――宿舎の事情に詳しい者を連れてきてくれるそうだ。
 第五宿舎へ転居できれば、中央塔への通勤にかかる時間が半減する。駅までの距離もずいぶんと近くなるため、故郷に残してきた妹へ会いにいく時間も増えるかもしれない。

 

 南館施設への入場監査を済ませ、自身の職務室へ入ると、そこでヤックルは不意をつかれた。
 突然視界を奪われた。呼吸がしづらく、わずかに混乱に陥りかけるも、瞬時に状況を理解する。相手の声に、この事態に、覚えがあったためだ。ぎゅ、と強い力で抱擁をされる、ヤックルのその頭の上のほうから、聞き覚えのある声がした。

 

「フレーシア。久しいですね!」

 

 見えぬ相手の、なんとも嬉しげな声が聞こえる。この声、紛れもない。『仮軍人』時代にもよくこのようなことをする奴がひとり居た。先日の『仕合訓練』で見ただけであった彼女……『帯電』の特異体質者である少佐殿に完全敗北を喫した、変わり者のホセア・クレイムソン。予期できなかったのは、時期だけではなかった。

 

「クレイムソン曹長、なぜあなたがここに――」

 

 くぐもった声をなんの動揺も露にせずに出す。『仮軍人』時代から何度も同じ事態に遭遇していたから慣れてしまっていたのだ。
 用事もない下位の軍人や軍属による南館への無許可入場は、どのような理由であれ許されない。いや、そのような問題以前に、『仮軍人』を終えたのち、クレイムソンは西方事務施設勤務となっていたはず。『仕合訓練』を終えたいま、西方勤務の彼女が中央塔にいるはずも、まして南館にいる理由も全く思い当たらない。
 さてしかし、ヤックルの質問を最後まで聞かずに返答してくれたのは、なんと意外な人であった。
 ヤックルの直接上官のバトラ・フスキーは、愉快そうな声を発した。

 

「そいつは本日付けで三課『第一下克上組』勤めの事務職者になった。つまり俺の部下、お前の同僚になるって事だ。驚いたろう、フレーシア?」

 

 言うなり、バトラ・フスキー中佐はなんとも愉悦満情の笑いをあげた。ヤックルの優秀な思考はほんの僅かに反応が遅れたが、即座に言葉を解した。しかし、どうにも納得ができない。
 それというのも、先刻会っていたアンジェラ・ケトゥルのように『査間級』である者が、戦闘員兵か事務職者かを決定されての異動であるなら、こんな疑問は生じなかっただろう。だがこのホセア・クレイムソンは戦闘員兵として西方事務施設勤務を与えられているはず。各事務施設間異動や職種変更はそのように容易に行えるものではない。誰が、なんの権限を持ち彼女を戦闘員兵から事務職者へ、さらには勤務施設異動などを命じたのか。
 混乱するヤックルはようやく解放され、ホセア・クレイムソンと、久しく目を合わせた。深い青色の目が嬉しそうに細められている。男性的な容姿、あまり表情を表さないクレイムソンだが、ヤックルや同期の軍人相手には、このように感情を素直に表してくれていた。
 切りそろえられた前髪を軽く揺らして、彼女の独特の中性的な声が発された。

 

「先日の『仕合訓練』で、クラウン少佐に言われてしまったんです。戦闘をする前、そして医務室へ運ばれた後に。」

 

 苦笑しながら彼女は語る。
 戦闘開始前に、クラウン少佐はクレイムソンにこう告げたそうだ。

 

『良い肢体を持っているが、それは戦闘には不向きな観賞用の身体だ』

 

 と。軍服の上からであるのにそれを指摘され、クレイムソンは少し癪に障り、すぐに戦闘を開始した。けれど、結果はヤックルも存じている通り。しかしその後、医務室で目を覚ましたとき、クレイムソンは再びクラウン少佐と話す機会を得た。
 クラウン少佐は、今度はこう言った。

 

『君の戦闘スタイルは独特であるし面白かったが、実戦向きではない。君は西方事務施設勤務だそうだね。そして今日の失態は早々に西方の長官殿に伝えられることだろう。――これは公にされていない事だが、西方事務施設は国防軍内のいずれの事務施設よりも大変に実績にうるさいところだ。例年、新卒に勝ち目を与えない『仕合訓練』だとしても、失態をさらした君がのこのこと西方へ帰還すれば、良くない噂をたてられるだろうね。』

 

 無遠慮で棘のある言い方だと、ヤックルは話を聞き入りながら思惟する。けれどそれ以上に、中央塔以外の事務施設の事情をまだ知らぬヤックルであるので、西方事務施設が実績にうるさいと聞き、少し驚いた。
 中央塔は――この国防軍の中央事務施設は――ヤックルの初勤務日に、その想像を軽く裏切るような、いうなればとても『ゆるい』軍だという印象を与えていた。初めて会った同僚のリタ・クランキー中尉がその印象をつくった張本人ではあるが、その後も上下関係を気にするなとの旨の発言をする上官もいくらか居て、最近では、ここが軍であるという感覚を麻痺してしまいそうだった。
 けれど、こうして他の事務施設の話を聞かされ――西方メルト県に存在する国防軍事務施設のひとつの内情を知らされ――ここが、この国を護り支える『合法武装組織』であることを改めて意識させられたのだった。
 いまだ訪れなしの他の事務施設では、同じ国防軍事務施設の名を持ってはいても、それぞれが中央塔とはまた違う内情を保有しているのだろう。もしかしたら、ヤックルは西方勤務のほうが合っていたかもしれないと、少しだけ、そのようなことも考えた。
 クレイムソンの話を聞いていたうちの一人、スージー・デック准提が椅子を軋ませて体勢を楽にしながら、口を挟む。

 

「クラウン少佐は少し冗談の過ぎるところもありますけれど、洞察力は並以上とうかがっていますからね。クレイムソン一位も、むしろ運が良かったと思うべきかもしれませんね。」

 

 デック准提の言葉にうなずき、バトラは声をひそめた。

 

「西方を統括する長官殿は使えん奴に対しては容赦ねぇからな。俺らは直接上官じゃあなかったが、クラウンから口添え依頼をされたので、俺も書類に判を押してやったんだ。」
「深く感謝しております。フスキー中佐。」

 

 クレイムソンは綺麗な辞儀を披露する。しかして、ヤックルは本日、二度も予期せぬ驚きに遭遇している。いずれも顔を知った同期の、喜ばしいしらせではあったが、なんとなく、違和感を覚えた。
 それは恐らく、なんてことはない。先日の『仕合訓練』がすべての事柄を裏づけさせているに過ぎないのだろう。『査間級』であった残りの4名も、間もなく役職を決定されるはず。『仕合訓練』によって新卒の者の今後を決定された……ただそれだけ。
 それだけであるはずなのに、ヤックルは、不思議な胸騒ぎを感じていた。

 

 午後勤務を告げる鐘の音が鳴ったと同時に、ルシア・フィリーナ少佐、リタ・クランキー中尉、アッサム・ローラー三位が揃って入室してきた。バトラはいずれの3名に賛歌前文を指名する。
 クレイムソンはヤックルの前の空き席へついた。彼女の隣席のスージー・デック准提が、クレイムソンの指導係に任命されているようである。
 鐘の音が鳴り止むと、職務室内は波うち静まった。けれど、リタが突然に立ち上がり、バトラへ意見した。

 

「勤務中に恐れ入りますが、よろしいでしょうか。」
「どうした。」

 

 ふっと視線をクレイムソンへ向けるリタ。クレイムソンはきょとんとして、リタを見つめ返している。もしかして、ここに居合わせる同僚たちもまた、クレイムソンについて何も聞かされていなかったのだろうか。
 ヤックルもリタを見上げ、彼女の次の言葉を待つ。リタはいつになく真剣な表情であった。

 

「ホセア・クレイムソン一位。」
「はっ。」

 

 名を呼ばれ、クレイムソンは慌しく立ち上がった。緊張の面持ちを見せるクレイムソンに、リタは表情を崩して笑顔をみせた。いや、リタだけではなかった。フィリーナやデック、ローラーさえどこか暖かな眼差しで事の成り行きを見守っていた。

 

「まず一つ目。あなたの事務職者用軍服はまだ用意が出来ていませんので、しばらくは戦闘員服の着用をお願いします。」
「はっ。」

 

 姿勢を正して、クレイムソンは覇気ある返事をする。そしてリタは続ける。

 

「二つ目。あなた宛ての速達を預かっていますので、受け取ってください。」
「私宛てですか。」

 

 リタの手からクレイムソンへ、上質な印象のある封筒が手渡された。思い当たる節がないらしく、クレイムソンは手紙を見つめていたが、すぐ再びリタへ顔を向ける。リタはとても明るい笑顔のままだ。

 

「三つ目。あたしは、リタ・クランキー。これからよろしく。ホセア・クレイムソン一位。」
「あ……、はっ! 自分はホセア・クレイムソンです。名乗りが遅くなったこと、お許しください!」

 

 自己紹介をしていなかったことに気づいたようで、クレイムソンは珍しくも青ざめて深く頭をさげた。『仮軍人』時代から焦ったりするところを見たことがなかったので、失礼ながらもヤックルは、クレイムソンも軍人の端くれであるのだと思い出した。
 リタの紹介を皮きりに、ヤックルのときと同じように同僚の皆が口々に名乗りをあげていく。ヤックルもまた、改めてクレイムソンへ挨拶を行った。

 

「ヤックル・フレーシアです。よろしくお願いします。」
「こちらこそよろしくお願いします。」

 

 同期であるため、名も、ある程度の性情も存じている相手と、こうして再び挨拶を交わすというのは、なんとなく不思議な心地である。けれど同時に、気持ちが初心に返ったような気がした。同期とはいえ、今は地位に差が生じている。それがどうというわけでもないが、やはりお互いの立場を弁えれば、自然と同期であるなどという親近感が薄らぐようだった。


 しかし、ヤックルは思う。自らの上官たちは、同期である者たちと、皆、親しく接している。口調や態度は弁えてはいるが、彼らは皆、友人のような関係性を保っている。スクールの友人とは全く異なる信頼関係を築いている。それは友人関係というよりは、仲間意識からくるものなのだろう。
 『仮軍人』時代から、仲間など、なんて思っていたヤックルだったが、最近はその意識は変わっていた。たったひと月程度であるのに、あれだけ他人との接触や馴れ合いを拒んでいたのに、この職場で、この軍事施設で、ヤックルは多くの人と係わり合い、意識を少しずつ変化させていった。難しいことはなく、他人による影響に他ならないが、ヤックルは確実に、人らしくなってきていた。

 

 幼い頃から、自身の特異体質が原因で、友人と呼べる者もいなかった。両親が『利益至上主義』に巻き込まれ、幼い妹を護るため、必死に社会に溶け込もうとしてきたが……特異体質者であることを知られると、すぐに迫害の対象とされてきた。だからだろう。ヤックルはいつしか、笑顔を作れなくなった。人らしい感情を出さず、ただひたすら、小さな身体で働き、周囲の目にも耐えて生きてきた。自身の特異体質性を呪うのではなく、それを操ろうと必死に努めてきた。
 『仮軍人』になったとき、ヤックルは人並み以上の体力と気力を持っていた。多少のことでは音を上げないその根性を、はじめて他人様に認めてもらった。特異体質者でも平等の扱いを受けることができる。それどころか、努力次第によって並以上の評価さえ受けられる。ヤックルの居場所は、ここ以外になかった。否、多くの特異体質者は、そう思っていることだろう。
 仲間だとか友情だとか、そういった言葉はいまもあまり好きではない。けれど、こうして切磋琢磨できる相手がいることは、とても嬉しいと素直に感じていた。

 

 膨大な書類に目を通し、他の部署で扱われる書類の選別や、記載事項の正誤を確認する。勤務時間中は、すべての職務室が静寂を統一する。紙のすれる音とか、窓の外からの自然の音とか、そういったものしかない空間。速読によりヤックルは与えられてある書類をあっという間に処理していく。一方で、前の席に座るクレイムソンはなかなか書類の処理が進んでいなかった。

 

「クレイムソン、ちぃっとペース上げていかねぇと、勤務時間延長になるぞ。」

 

 見兼ねたらしいバトラの声が静寂を破った。同僚たちからの視線を受けながら、クレイムソンは小さく謝罪する。ふと、ヤックルは彼女を見ていて、思い出した。

 

「恐れながら、よろしいでしょうか。」
「どうしたフレーシア。名簿書類捌き終わったなら次は押印処理を――」
「クレイムソン一位、お伝えしてよろしいですか。」

 

 上官の話を遮るとは、自身でも驚いた。しかしバトラは何もいわない。クレイムソンはヤックルへ目を遣り、それから目を泳がせた。恐らく、伝えていないのだろう。書類には記してあったが、個人個人の経歴まで存じている人はなかなか居ないはず。
 クレイムソンの代弁を、ヤックルは行う。

 

「クレイムソン一位はスクールを中途退学しています。ですので、文章読解が苦手であります。許可いただければ、私が彼女の分まで書類を処理いたしますが。」
「おぉ。そういやぁ、そんな情報があったか。フレーシアは親切なもんだな。――」

 

 バトラは、気のせいでなければ少し、不自然なほど大げさにそう述べた。しかし、その不自然さの理由はあっけなく、判明させてくれた。
 バトラの目がヤックルへ、厳しさを帯びて注がれる。

 

「――許可するわけがねぇだろう。与えられた仕事くらい責任持ってやれねぇ奴が、戦場に出ようとしていたのか? とんでもねえ話だ。同期であるからと世話を焼く必要はねえ。クレイムソン、分からないことがありゃ、指導係のデック准提へ聞け。どれだけ時間がかかっても構わん。必ず一人でやり遂げろ。」
「はっ。」

 

 クレイムソンは気丈に大きく返事をする。その声は全く変化がなく、ヤックルは、自分こそが差し出がましい真似をしたことに、内心で恥を抱いた。回されてきた書類へ視線を落とし、速読に集中しようとするが、動揺が鎮まらない。目をつむり、二、三度深呼吸を行う。少しだけ、気持ちが優れた。

 

 バトラから指示を受け、ヤックルはローラー三位とともに書類を西館へ届けに行くことになった。南館入場監査の玄関を抜け、渡り通路へ出る。心地よい風だ。ヤックルは落ち込んでいた気持ちがまた少し晴れたように思った。
 不意に、ローラー三位のほうから声が聞こえた。

 

「気になさらずと良い。中佐は厳しい方だが、ひとの力量をはかり、相応しい仕事量しか与えないから。」

 

 あまり口数が多くないローラー三位が、このように励ましをくれるのはもちろん初めてのことだった。ヤックルはしかし、彼の言葉に浮かれられなかった。
 抱える書類をぎゅっと持ちなおし、小声で弱音を吐く。

 

「私は、やはりあまり他人とのかかわりを持つべきではないのでしょうか。人の思想が、ぜんぜん読めない。」

 

 不思議と内心を語ることができた。弱みを持たれることを恐れて、普段であれば決して漏らすことのない本心を。言ったあとにヤックルは気づき、弁明を口走ろうとしたが、その前にローラー三位が言葉を紡いだ。

 

「ひとの思想など、誰にだって読めないものです。」

 

 ローラー三位の低い、けれど穏やかな声が風に乗ってヤックルの耳に触れる。

 

「それを嘆くのは、時間の無駄。あなたは、あなたの心に従い、行動すれば良い。それによって、不都合が生じるとしても、それはフローアイアンの御心と思えば、気が楽になるでしょう。」

 

 意図せずフローアイアンの名が出され、ヤックルは驚く。フローアイアンは、この国の象徴。人々を見守る風であり、自然を豊かにする神とも呼ぶべき偶像。国旗にも軍旗にも刻まれ、賛歌前文にも、軍歌にも登場するそれだが、こうして日常会話に出されるとは。思いがけないところでその名を聞き、ヤックルは、彼が熱心な信仰者であるのかと思った。けれど、その予想は違ったらしい。
 西館入り口まで来たときに、再びローラー三位がつぶやいた。

 

「いつか誰かにそう言われたんです。つまり、フローアイアンのせいにすれば、すべてが円満にいくのだとね。」

 

 冗談めかしてそう言われ、ヤックルは反応に困り、苦笑した。だが、確かにそう思っていればすべてが許されるようだ。信仰の対象ではなく、あくまでも事態の言い訳とする。熱心な信仰者が聞いたら拳を振り上げて怒りそうだが、ヤックルはあいにくと無神論者であるために、ローラー三位の言葉には同意しかできなかった。
 寡黙で多くを語ることのないローラー三位は、もしかしたらヤックルと近い性質であるのかもしれない。そのように思惟をめぐらせながら、ヤックルは仕事へと意識を戻す。

 

 

第6話

 

 

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