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フローアイアンの風の音に 第6話

フローアイアンの風の音に スティル・アンカー編 第六話 『ストリート・ムルド~闇夜の襲撃~』 20110330~31 修正20110521  修正20110620
修正20110804(最終更新20180607)

 

 

 西館にて書類を引き渡し、それと引き換えるように南館で最終処理されるべき紙束を受け取る。先よりも量が増え、また厳重な封を施されたそれは、外部漏洩を一切拒絶する重要書類ばかりだった。中身など到底知り得ないが、その届け先はことごとく、南館の上階。――上位佐官や施設統括長、あるいは補佐官付各課管理担当者の個人執務室が密集する、原則として南館勤務の者でさえ立ち入り制限される、未知の領域。施設の全貌を記すはずの初期設計図にさえ、空白空間となっているため、上階部の正確な部屋数や間取りや状態などを知っている勤務者は皆無であった。
 それゆえに、こうした重要書類も、階上へ直接運び込めるわけではない。部外非関係者の侵入を拒むように、上階へと続く階段には特殊部隊所属の戦闘員兵が常に複数名で検問を行う。書類等であれば彼らに手渡すことで、それらは届けられるべき相手へ確実に到着する。
 ローラー三位とともにヤックルがその場所へ向かうと、ヤックルはそこで見知った顔を見た。

 鳶色の混じる金髪、青い瞳を持つ男性軍人。 知らぬ顔が揃う中で、唯一ヤックルが存じていたのは、『仕合訓練』にて相手となったラニック・ドーマンウッド大尉その人だった。

 

「ローラー三位、と、フレーシア少尉か。意外な組み合わせだ。」
「お勤めお疲れ様です。ドーマンウッド大尉殿。」

 

 ローラー三位が辞儀をして階段のそばに設置されている検閲台へ書類を安置する。彼に倣いヤックルも検閲台へと書類を置いた。ラニックの他、三名の戦闘員兵がいるが、いずれもヤックルの存じない顔ぶれである。うち一名は女性軍人だった。
 ヤックルはそれらの人たちを上官位と即座に判断し、無帽敬礼をとる。軍人然とした態度に感心したような小声が発された。声の主は、女性軍人である。
 その藍色髪は染色によるものだろう。橙色の瞳が印象的な、穏やかそうな女性軍人がにこやかな様子で、ヤックルに声をかけてきた。

 

「あなたが『ハルシュテン中佐二号』様ですね! シエンタから聞いていた通りだな。とても初々しいけれど、うん。似てる似てる。」

 

 軽い調子がどこか誰かと似た印象を与えた。物珍しげに眺められ、ヤックルは居心地が悪くなった。ヤックルの内心を察したようにドーマンウッド大尉が、彼女を窘めた。

 

「ウォルター准尉、そんな言い方は失礼だろ。それに、対面したばかりの相手にはまず、名乗り出るのが礼儀だ。」
「あぁ。それもそうでした。非礼をお許しください。私はアリス・ウォルター。当館いちの情報屋にございます。お見知りください。」

 

 驚くことに、リタ以上の冗談を言う人に出会ってしまったと、ヤックルは思った。オーバースカートをふわりと持ち上げ、まるで使用人のような動作でそのように言われ、反応が遅れる。驚いて硬直するヤックルのその様子を小さく笑い、彼女はドーマンウッドへ「中佐よりも素直な人じゃないですか」と、隠すつもりもないような声の大きさで耳打ちしていた。ドーマンウッドに軽く頭をこづかれ、ようやく笑いを引っ込めるウォルター准尉。ヤックルは不快には思わなかったが、正直あまりかかわりたくないタイプの人間だと、人知れずそう感じていた。


 ドーマンウッド大尉らに無事書類を引き渡すと、ヤックルはローラー三位と持ち場へ戻る。去り際に、ウォルター准尉から「もっとお近づきになりたいのでまたおいでください」と誘われたが、出来るなら、もうしばらくは再会しないでいたいと、そんな生意気なことを思っていた。

 

 時間は過ぎ行き、午後勤務終了を告げる鐘の音が高らかに鳴り響く。本日より異動してきたクレイムソンの仕事の遅さにヤックルは彼女を心配していたが、彼女は鐘がなる前に書類を処理し終えることができた。先刻、ローラー三位が述べていたことは本当であったようだ。――ひとの力量をはかり、本人のこなせる仕事量しか与えない。バトラ・フスキー中佐は、厳しさの中に彼なりの思いやりを込められる、そんな人間らしい人なのだ。冗談が過ぎる事態を与えてくれることもあるが、それも彼の性質なのだろう。
 ヤックルは、昼間のうちに交わしていた約束を果たすため、荷を整えていた。この後、白虎の広場で、アンジェラ・ケトゥルと落ち合うことになっている。住居共有についての話し合いをするために。
 荷を整えるといっても、もともと職場へ持ち込めるものも、持ち込みたいものもほとんどないヤックルの鞄の中には、財布や手帳、筆記具程度の必需品しかなかった。ために、早々と帰宅準備を終えたヤックルはしかし、そのつもりはなかったが、前の席に位置取るホセア・クレイムソンの動向を一瞥した。
 彼女は昼間にリタから手渡された手紙らしきものを開封し、読んでいる。誰からのものかなど、ヤックルはさほど興味もなかったので、すぐ視線を逸らすと、同僚や直接上官へ挨拶を済ませ、退室した。

 

「あの、フレーシア、……少尉殿!」

 

 通路へ出た先で、ヤックルは背中に声をかけられた。呼び止め方に多少の違和感が生じる。けれどその声に聞き覚えがあったので、ヤックルは少し驚き振り向いた。クレイムソンが追いかけてきていた。その手にはまだ手紙がある。何ごとかと思い、足をとめて彼女を出迎えた。

 

「どうされましたか。」

 

 焦りの色を浮かべる表情に、ヤックルは不穏を感じた。しかし彼女は笑顔であった。何かあったのだろうか。
 疑問を解消させてくれる言葉を期待していたヤックルだったが、次に彼女が述べることに、さらに小首をかしげることとなった。

 

「フレーシア少尉殿、これからご用事がおありですか?」
「はい。」
「ご迷惑でなければ、私も同行させてもらえませんか?」

 

 予想しない申し出だ。きょとんとしてヤックルは彼女を見つめる。もしかしたら、異動初日で知人のないクレイムソンは、知っている人と話がしたいのだろうか。このあとの用事を考えてみる。別段、彼女がいても大した問題もないだろう。アンジェラが話しづらいようであれば、都度、クレイムソンに席をはずしてもらえば良い。
 ヤックルは同行を許可し、クレイムソンとともに白虎の広場へと向かった。

 陽が沈む時間帯であるため、施設内にも照明が点灯しはじめた。軍事事務施設といっても、基本、定時であがれる部署は多くはない。南館の一部、西館の大半、その他軍属者は、午後勤務終了の鐘の音が『建前の勤務終了の鐘』に過ぎないのだ。ヤックルらが勤める三課『新兵会議課』でも、数週間の間隔で忙しい時期が生じるので、このように定時で帰宅できるのも今のうちだけである。そう教えてくれたのは、リタ・クランキーだった。
 白虎の広場へ来たヤックルは、アンジェラの姿を探す。と、クレイムソンが「あっ」と小さい声を出した。それから、間をおかずに駆け出した。

 

「アンジェラ!」

 

 名を叫び、その人へ襲い掛かった。ヤックルには見慣れた光景であるとはいえ、もう今は『仮軍人』の頃とは違う。新卒の女性軍属二人(しかも一人は外見が中性的であり男性とも見間違うかもしれない)がいきなり密着したところを目撃した軍人らは、遠目にこちらへ注視の眼差しを送っていた。
 不穏を敏感に感じ取りながら、ヤックルは二人へ(というよりは、おもにクレイムソンへ)窘めの声をかけた。

 

「クレイムソン一位、そういった行為は控えたほうが賢明かと。」
「それもそうでした。非礼をお許しください、えぇと……」

 

 クレイムソンは何か言い迷っている。もしかしたら、アンジェラの着任した階級が分からないためだろうか。言葉に詰まった彼女に、アンジェラは微笑をたたえながら、しかしどこか呆れたような雰囲気を出す。

 

「相変わらずの抱きつき癖ですね、クレイムソン曹長。――改めまして、アンジェラ・ケトゥル。本日から『査間級』第三査より、『査巡憲兵』任命となりました。それで、クレイムソン曹長はなにゆえ、中央塔に?」

 

 軍属然として覇気ある声で名乗り、自然な流れのまま今度はアンジェラが疑問を口にした。彼女はまだクレイムソンの改階級を存じていないようで、曹長と呼んでいる。クレイムソンが声に出さず口をあけ、それから無帽敬礼をとった。

 

「失礼しました。本日より三課『第一下克上組』勤務となりました、ホセア・クレイムソンであります。なお、戦闘員兵より事務職者へ転向致しましたゆえ、現階級は一位であります。」
「事務職者に……それに、三課? ということは、フレーシア少尉と同じ部署へ配属されたのですね。」

 

 パチン、と手を叩き、アンジェラは至極嬉しそうに声を弾ませた。ヤックルは肯定の意味で頷く。次いでヤックルは、クレイムソンを見上げ、またアンジェラを見遣り、少しだけ表情筋を緩めた。

 

「正直、驚きました。お二人が同日に、ここ(中央塔)へ配属になるなんて。」

 

 その言葉には、当の本人たちも同意した。
 『仕合訓練』は単なる交流会の意味だけでなく、『査間級』の者の最終確認を大勢の軍人・軍属の前で行うものだったのだろう。目覚しい活躍がなくとも、腕のたつ上官と戦う姿勢をみて、総合的に評価される。いわば、『仮軍人』最後の試練と呼んでも良いかもしれない。ただし、もし上官から将来性がないと判断されたら、どうなるかまでは、予想もしたくないが。
 久々の再会を喜ぶクレイムソンとアンジェラ。ふとヤックルは、見慣れぬ人物がこちらへ向かってくるところを見た。
 それは女性軍人だった。波うつ癖毛は茶色。同じく瞳も紅茶色をしている。身長はアンジェラと同じほどであろうか。着用する軍服の色は緑色だ。つまり、戦闘員兵ということ。彼女は躊躇い気味な様子ではあるが、こちらへ近づこうとしている。けれど、和気藹々とした雰囲気を壊すことに抵抗があるように、なかなか声をかけてこない。ヤックルは彼女のほうへ向かい歩を進めた。

 

「お疲れ様です。どうされましたか。」

 

 ヤックルに声をかけられたことに驚いたようで、目に見えて肩を震わせ、彼女は苦笑をした。なんだか、とてもおどおどとしている。気弱な雰囲気が、そのまま口調にも現れた。

 

「お疲れ様です。あの……わたし、ハギナ・エルバルトと申します。そちらのケトゥル殿に同行したのですが……」
「では、あなたは広域衛生課の関係者ですか?」
「ええ、まあ。すみません。」

 

 なにやら謝罪をされた。これはまた、今までにないタイプの軍人だ。緑色の軍服を纏うのだから、恐らく戦闘などでは機敏なのだろうが、彼女もまた、軍人向きとはいえない性質そうである。
 ヤックルが振り向くと、クレイムソンとアンジェラがようやくこちらの雰囲気を察したようだった。クレイムソンが即座にハギナへ名乗りを出す。そのような流れで、ハギナは本題へ移った。

 

「ドーマンウッド大尉からうかがっていますので、宿舎についての説明等をしたいのですが……すみませんが、場所を変えてもよろしいですか?」

 

 不思議なほどに低姿勢で頼まれてしまう。断る理由はなかったが、どうしてこのように新卒軍人相手に丁寧にしてくれるのか、その理由が分からなかった。
 ハギナに連れられ来たのは西館の空き部屋だった。三課の職務室よりは狭いが、机と椅子以外のものが何もないので、圧迫感は全くない。各々好きな場所へ着席すると、ハギナが書類を提示した。

 

「こちらが宿舎に関する規律と概要です。ケトゥル殿からのお話ですと、住居共有はフレーシア殿との申請になると聞いていましたが。」

 

 ハギナが確認の眼差しをアンジェラへ向けた。けれどアンジェラは、つかの間黙っていた。何か考えているようだ。ハギナからクレイムソンへちらりと見遣ると、アンジェラの口はヤックルの予想もしなかった言葉を吐き出した。

 

「エルバルト少尉、訂正してもよろしいですか。住居共有の申請人数なのですが、3名へ増やすことは可能でしょうか。」
「3名ですか。それは、当人同士の了承があれば、不可能ではありませんが……宿舎規律に反しなければ。」
「許容の範疇のはずですから、問題ないと思います。――そちらのクレイムソン一位の名も加えて頂けますか?」

 

 驚きに目を見開き、クレイムソンも、ヤックルも、アンジェラを見つめた。アンジェラの目はとても輝いていて、期待の色をあらわにしている。ハギナの目がちらり、ちらりとクレイムソンとヤックルへ交互に向けられ、それから小さくため息らしき息をついたのが見えた。
 書類を一枚また提示する。

 

「宿舎規律は絶対であり、反すれば軍紀違反と同等の罰則も与えられますことをご了承のうえで、お願いします。」
「はっ。」

 

 必要な書類は複数あり、いずれにも、それぞれが署名せねばならなかった。ヤックルは少しの不安があった。他人の個人領域にまで土足で踏み入る人たちではないとは思っているが、もし、弱点漏洩につながってしまったら……表情にださず、ヤックルは静かに焦りを抱く。署名欄への名の記入に手が止まっていると、予期せず、彼女こそが不安を告げた。

 

「アンジェラ、フレーシア……身勝手な頼みなのですが、約束していただきたいことがあるんです。」

 

 真剣な顔で見つめられ、ヤックルもアンジェラも彼女を見る。沈黙は続かず、クレイムソンは苦笑を浮かべた。

 

「非番などのとき、あるいは、いとまある時間、個人領域の空間を侵す行為は、互いに遠慮しませんか。」

 

 ヤックルが思っていたことを、彼女は言ってくれた。けれど、それにすぐに食いつき同意すれば、後ろめたいことがあると感づかれるかもしれない。アンジェラの反応を、ヤックルは待った。

 

「それはとっても良い提案だと思います。住居共有といっても、やはり個人個人で過ごしたいこともあるでしょうし。私は賛成です。」
「フレーシアは、どうでしょうか。」

 

 不安げな目をクレイムソンから向けられる。どう、などと訊かれるまでもない。ヤックルの返答は、とうの以前から、決まっていた。
 クレイムソン、そしてアンジェラを見遣り、ヤックルは自然なまま、頷く。

 

「私も賛成です。」

 

 絶対の秘密を持っている、そしてそれを親しくしてくれている人に隠すことは、とても後ろめたいことだ。こんな感情を抱くのは初めてだった。
 三人は必要な署名欄へ名を記し、それからハギナへ書類を託した。
 蝋封を施し、それをしっかり抱きかかえると、ハギナは辞儀をして去っていった。
 残されたヤックルたちは、しばし口を閉じていた。二人の様子を眺めながら、ヤックルは思惟する。

 『仮軍人』であった頃は、このように三人で居た事はなかった。それはたんに、ヤックルが他人との交流を拒絶していたから。『真の軍人』となれば、同期の顔見知りたちも、しょせんは別の部署・施設へ配属されバラバラになる。だから、馴れ合うことなど時間の無駄であると、そう思っていた。けれど、実際はどうだろう。『真の軍人』となった今、ヤックルは予期せず、こうして同じ空間に、あの頃見ていた顔ぶれを前にしている。なんの因果なのか、どういった巡り合わせなのか。離れた期間はたったのひと月程度であった。そして驚くことに、これからの軍人生活の一部さえ、彼女たちと共有することとなる。


 不意にヤックルの頭をある言葉が過ぎった。――赤髪隻眼の少佐、ミゼル・クラウンが口ずさんでいた『一期一会の縁《えにし》』。クラウン少佐がどのような意図のもとでその言葉を述べたかまでは理解できないが、少なくとも、今のヤックルにはその言葉の意味がなんとなく分かる気がした。一度きりの出会いだからと相手を蔑ろにすることなく、再会したときに、再びまみえることが出来て良かったと、そのように思ってもらえるような礼儀を重んじて、他人とのかかわりを大切にすること。残念ながら、『仮軍人』当時のヤックルはその言葉を知らぬ存ぜぬで、出会いかかわったはずの多くの人たちのことなど、すでに記憶に残していなかった。
 けれど今、ヤックルは思う。たとえ所詮は赤の他人としても、こうして同じ時間を共有できることが、これまでの迫害された経験などから考えても、むしろ奇跡などと呼んでも良い状況なのだ。特異体質者だからと蔑まれたりせず、同等の扱いを受け、こうして仲間とも呼べる人々に会えた。それは数年前までのヤックルであれば、考えられぬ『しあわせ』の一つだった。そしてそれは、真実の願いに違いなかった。

 

「フレーシア、聞いていますか?」

 

 ふと、鼓膜が声を拾った。はっとして顔をあげると、心配そうに顔を覗き込むクレイムソン、そしてアンジェラが居た。らしくもなく思惟にふけっていたことに気づいたヤックルは、頬を染めてつかの間俯き、再び顔をあげて謝罪を口にする。

 

「すみません。何のお話をされていましたか?」
「この後のことで、私たちは宿舎の入居申請が通るまで帰る場所がないから、どうしようという話をしていたんです。中央塔周辺の施設について明るくないので、どこかに旅客用宿舎がないかとお尋ねしたのですが。」

 

 アンジェラが丁寧に教えてくれた。ヤックルはその質問に、瞬時に脳内にて街の地図を展開する。近場の宿であれば、ロートス・クゼル橋の大通り――アンリ・レイフォードの街、軍事事務施設である中央塔から北西へ行った先の広い通りのことだ――に宿泊施設があった。そのうちのひとつの宿泊施設で、ヤックルも実際に泊まった覚えがあった。中央塔勤務となったとき、貸家を探していた期間だけだが、そこの施設は軍人サービスが受けられたので、宿泊費用は格安であったことを記憶していた。

 

「宿泊施設でしたらいくつか存じています。」

 

 ヤックルは、クレイムソンとアンジェラを引き連れて『中央塔』をあとにした。
 ロートス・クゼル橋の大通りは、『宿橋』との別名が通称に用いられるほど、多くの宿泊施設が点在している。そのいずれもが短期~長期の旅行客を対象としたサービスを用意しており、遠方から訪れた観光客などにもツアーを紹介したりと、外国へ訪れた旅人たちへの敬意と感謝をもった対応がされていた。ヤックルが宿泊した施設でも、ヤックルが軍人であることを話さずとも、飲料を無償で提供してくれたり、軍人であると明かしたあとでも、とても良い待遇を与えてくれた。いずれまた宿泊してほしいとの言葉さえ、社交辞令だとか営業話術とか、そんなわざとらしい感じもなく言ってくれたことを、今でも覚えていた。
 他の宿泊施設と大差ない外装であるが、ヤックルはアンジェラとクレイムソンをその宿へ招いた。

 

「軍人さんがお見えになったと思ったら……フレーシアさん。あなたでしたか。」
「こんばんは。」

 

 片眼鏡を左目へかける、初老の男性。彼がここを経営する主人である。彼の奥さんは数ヶ月前に亡くなり、それ以来、彼は娘と二人で宿の切盛りをしている。受付番台を担当する主人に、今回は同僚二人を宿泊させたい旨を告げると彼は、ヤックルの後ろに控える二人を見て、快く迎えてくれた。主人が娘を呼ぶ。
 年若い女性の声が聞こえ、奥から姿を現した。以前会ったときとなんら変わらぬ笑顔と立ち振る舞い。彼女もまたヤックルを覚えていてくれたようだ。嬉しそうに笑みを深くし、また丁寧なお辞儀をしてくる。その様を見て、ヤックルは思う。この街で自営業を手伝う少女たちは、皆同じ接し方をしてくれる。例のパン屋の娘も、この娘も。きっと皆、充実した日々を過ごしているからだろう。
 『普通』のその状態を、ヤックルはどこかで羨ましく思った。わが身を――この特異体質の身体を――憎んだり呪ったりしたことはない。けれど、どこかで感じる複雑な気持ちを、ヤックルは言葉に言い表せられなかった。


 アンジェラとクレイムソンは街明かりの中を帰るヤックルへ何度もお礼を言い、ヤックルもまた、二人の役に立てたことに嬉しさを感じながら帰路へ着いた。

 街灯の数が徐々に減り、次の角を曲がればヤックルの貸家が目前となる通りの付近へ来たとき、ヤックルの第六感がうずいた。
 誰かが見ている。勘違いなどではない、ヤックルは何者かに『見られている』ことを察した。――幼い頃から、幾度か、同じような視線を送られたことがあったから気づいたのだ。
 ただあの頃と違うのは、その『視線』が軽蔑によるものではなく、隠し切れぬ殺意が滲み出ている点だった。つまり、ヤックルを『特異体質者』と知ってのものではない。決して確信は持てないが、これは恐らく……。

 

「こそこそと、卑怯であると主張しなくてもよろしいのでは? 私はここに。逃げも隠れも致しません。」

 

 開口ののち、ヤックルは挑発的なままそう叫ぶ。気配は、二人。街灯のない裏路地より、動いた。

 ヤックルは左へとステップを踏み、それから飛び出してきた一人をいなし、瞬時に足払いをかけ、背へと蹴脚を当てる。小さい悲鳴が聞こえたのと同時に発砲をされたが、ヤックルは右方向へと飛びそれを避け、地を蹴り左方右方へと回避接近を試みる。また発砲されるも、ヤックルには掠りもしなかった。

 

「データには記載されてないでしょうが、私は、体技有段者でありますので。」

 

 相手の瞳と視線をぶつける。口元を覆う布、けれど鼻より上の露出された部分から、褐色の肌と判断する。暗がりでもはっきりと、相手の目を捉える。ヤックルは瞠目した相手の顔面へ爆蹴をかました。
 建物の壁へ激突した相手はそのまま気を失ったようで動かなくなる。ヤックルは身を翻して、地へ伏せるもう一人へと歩み寄った。

 

「名を明かして頂けますか。さもなければ私は、あなたがたを――」

 

 ヤックルの眼が光を失う。全身を温ま湯が纏う感覚。それから血液を、熱湯――あるいは氷水――が流れる感覚。月明かりの下にて、ヤックルの周囲へ拡散した白き霧。朦朧と顔をあげる男は、ヤックルの鬼気満ちた表情とその姿に、声ならぬ悲鳴をあげた。
 ヤックルの唇が、言葉を形作る。

 

 自室でヤックルは、数少ない家具のひとつの、古びたソファにて仮眠をとっていた。決して大きくはないが、ヤックルの小柄な身長には、これくらいでもちょうど良かった。
 先の軽い戦闘で、ヤックルは自身の『特異性体質』を発現した。それから、彼らに『あるじ』の名を吐かせた。聞き覚えのない名であったなら、どれだけ良かったことか。ヤックルはしかし、その名を聞いて、その人物のことを記憶していた。そしてそれが、かつて『仮軍人』であった頃に幾度か世話になった上官であったことを、知っていた。
 騒ぎを聞きつけたいくらかの軍人が、ヤックルを狙った男二人を捕縛し、その後のことは軍人たちに任せ、ヤックルはこうして自身の貸家へと戻ったのだった。

 

「……良くない。」

 

 さすがに、これまでが順調すぎたのだろう。ヤックルは、自身の身に起きた先刻の出来事を今一度思い返し、心臓の妙な揺れ動きに戸惑いと焦りを抱く。
 きっかけは、おそらく、先日の『仕合訓練』か。あのとき、へんに目立つ行動を取ってしまったのがいけなかったのだ。新卒の、しかも女の軍人が上官を負かすなど、悪目立ちも度が過ぎた。――ヤックルの身を潰そうとした人物は、『仮軍人』時代にヤックルの手合いを担当していたエントランド少佐殿であった。短槍の腕のたつ、あのアルカナ・ビッジャーノ中尉殿とも互角を演じられるほどの腕だと、そう言っていたのはビッジャーノ本人であった。
 それにしても、とヤックルはため息を漏らす。いくらなんでも、こうして狙われるなど、早すぎる気がした。……否、早いこともないのかもしれない。『実力主義』の究極軍隊、そして弱きは強きに食われる『弱肉強食』の世界。うかうかと余所見をしていたら、きっと、先のように狩られることになる。知らぬ間に、命を落とすことになるのだ。
 それでもさすがのヤックルにも堪えたのは、一時でも敬いの気持ちを抱いた上官に命を狙われたという事実があるからだろうか。それはとても、言葉に出来ないくらいの、とても複雑な気持ちがヤックルの胸を締め付けるようであった。過去にも、幾度かこのように近しい人からの裏切りを経験しているものの。決して、慣れるようなものではなかった。
 仰向けのまま、ヤックルは左腕で両目元を覆う。薄く開かれた口から、小さい息が零れる。なにか食事をとらないといけないのに、なにも食べたいと思わない。動く気力もない。落胆した気持ちが、ヤックルの身体をひどく重たくさせていた。

 

 

第7話

 

 

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