創作作品展示室

主にオリジナル小説が掲載してあります。

かげろうさん 第15話 『川の守り神』

第15話 『川の守り神』

 俺は夢を見た。幼い頃の記憶が見せた、過去に一度だけ起きた、奇跡のような夢を。
 俺がまだ小学校にあがる前のことだった。実家に遊びに行ったあの夏の日。一人で川で遊んでいたとき、流れの速い箇所で足をとられて、濁流に巻き込まれたんだ。
 誰も居ない、誰も気付かない。このまま俺は死ぬのだろうか。そう思ったときだった。大きな手が俺を包み込んだ。実際には、そう思っただけだったが。俺はその手に掴みかかり、必死に上を目指した。
 意識がもうろうとした。水を大量に飲み込んでいた俺は、しかしその中で声を聞いたんだ。

「まてや」

 なんの声だろう。まてや、ってなんのことだろう。俺は薄っすらと目を開けてみた。光が、俺を包んでいた。
 俺はまた声を聞く。

「まてや」

 ふと意識を醒ましたとき、俺は川原に寝転んでいた。何が起きたか分からなかった。さっきまで川で溺れていたはずなのに。俺はしかし、髪も体も一切濡れていなかったことに驚いた。あれは、夢だったのだろうか。しかし、確かに俺は川で遊んでいたはず。けれど、それを証明するものはなにも持っていなかった。

 乱雑な自室で俺はぼんやりとしていた。幼い頃の記憶が、こんなにはっきりと夢として現れるとは思わなかった。そして、なぜ今になってこんな夢を見たのか、思い出したのか。全く分からなかった。
 まてや、とは、未だになんだったのか分からないままだ。関西弁のニュアンスではなかった。何かの単語だと思ったのは、その言い方が、ふわりと優しかったから。俺はふと携帯を見た。メールが来ていた。ぐっさん、春子さん、あややからだった。

「何があったか、話せ……事情を聞かせなさい……一人で抱え込まないでください……」

 それぞれの文面を読み上げ、俺は携帯を手から滑り落とす。俺の胸にあたり、そのまま重力に逆らわず、ベッドへと落ちた。口から漏れる息は溜め息しかない。
 俺は、ガッキーさんと『ぶらくろ』さんが被害に遭った日から、オカ研の活動を全面休止状態としていた。オカ研のメンバーにはメールでその旨を伝えただけで、彼らとも会っていない。俺は倦怠感を抱きながら、ただこうして、ぼんやりと横になっていただけだった。
 海で見たものはなんだったのか。ガッキーさんに一体何が起きたのか。それらは今も分からないまま。俺は気分がすっかり落ち込んで、何もしたくなくなっていたのだった。
 こんなじゃ、良くない。それは分かっていた。それでも、何もしたくなかった。何も出来なかった。自分でも驚くくらい、何もしようと思えなくて。

「……あぁ」

 口から漏れる言葉も、なんの意味も為さない。どうしよう。どうしようもない。何もしたくない。何も、見たくない。
 もう丸二日、彼らと会っていない。そして何も食べていない。不思議と腹は減らず、俺はただ、ベッドでごろごろして過ごしていた。
 携帯が鳴った。電話着信を告げる音が鳴り響く。誰か、恐らく、ぐっさんだろう。俺は布団をかぶって誤魔化す。と、玄関のチャイムが鳴った。次いで、ドアノブをがちゃがちゃやられた。まるで『追い小鬼』のようだと思った。もぞ、と布団から這い出て、俺はふらふらとする足取りで、玄関を開けた。瞬間だった。

「う、わっ」

 春子さんがなだれ込んできて、俺に抱きついた。その後ろには、ぐっさんとあややも居た。
 ぐっさんが不機嫌な顔を隠さず、唸った。

「何してんだ。現実逃避するならもう少しうまくやれ。あと、ちゃんと顔くらい洗え」

 そんなに俺は酷い顔をしていたのだろうか。シャワーは浴びていたが、まともに鏡など見ていなかったため、俺は春子さんを引き剥がして、ちょっと口ごもった。
 ぐっさんたちは俺の手を引っ張って外に連れ出した。ぐっさんの車に乗せられ、ぐっさんちまで連行される。車内は静かだった。
 居間で、俺は彼らが買ってきてくれたほほ弁の鮭弁を、黙々と食べた。二日ぶりの食事は、美味しかった。俺が食べ終わるのを見届けてから、ぐっさんが口を開いた。

「で。なんでいきなり活動休止なんて決断に至ったわけ?」
「ガッキーのことなら、ギダ君の責任じゃないわ。『ぶらくろ』の件も、君のせいじゃないことくらい、分かってるでしょ」
「ガッキー先輩なら、今はだいぶ落ち着いてきたみたいです。『ぶらくろ』さんも、意識を取り戻したみたいですから、責任を感じないでください」

 口々にそう言われ、俺はまた黙った。ガッキーさんのことも、『ぶらくろ』さんのことも、俺の責任に違いないのに。俺は何も言えず、俯く。ぽん、と頭に何かがあたる。顔をあげたら、春子さんが泣きそうな顔をして、俺の頭を撫でていた。

「ギダ君は変なところで真面目なんだから……ガッキーのことも、『ぶらくろ』のことも、責任なんて感じなくていいのよ。二人は自己責任で足を突っ込んだんだから。私たちも、好きでやってることでしょ。何かをやる時は、私たちだって自己責任でやってるじゃない。ギダ君にはなんにも責任なんてないの。いつも通りに私たちに指示を飛ばしていてよ。じゃないと、調子狂っちゃうから……」

 春子さんが俯いて、肩を震わせた。あややがそっと手をやり、彼女の頭を抱き寄せた。罪悪感が俺の胸を痛ませるようだった。こんなに心配かけて、俺は何をしているんだろう。俺まで泣きたくなってきた。
 しばらくして、ぐっさんが咳を払った。

「ガッキーさんのお見舞いに行こうかって話があるんだ。それから、『ぶらくろ』のいるっていう病院にも行ってみようって。二人の無事な姿見たら、多分調子戻るだろ。……春子さん泣かせたなんて、あややから嫌がらせ受けても文句言えねえんだぞ? 覚えとけよ」

 彼の笑顔は、俺の心の緊張を解してくれるようだった。申し訳なさと、少しの気持ちの向上から、俺もほんの少しだけ表情筋を緩められた。
 ぐっさんたちと病院へ行った。ガッキーさんは個室で、他に患者はいない部屋に居た。彼女の母親は、俺たちを見ても怒ったりすることはなく、快く受け入れてくれた。それが、有り難かった。

「ガッキー」

 春子さんが横になるガッキーさんに近付いた。けれど、ガッキーさんは、俺たちの知るガッキーさんではなかった。目元にはクマが出来ており、笑顔はなく、虚ろげな眼差しは、ぼんやりと空中を見ていた。
 俺たちが来たことにも気付いていないように、ただ彼女は、どこかを眺めていた。この状態では、話せない。俺はそれを理解した。
 ガッキーさんの手を撫でながら、春子さんは話しかける。

「みんな心配してたのよ。一言くらい謝りなさい」

 ガッキーさんは何も言わない。聞こえていないように。俺は、泣きそうになるのを堪えた。一体、何があったのだろう。聞いても、彼女は答えてはくれないことだろう。まるで、人形のようになってしまった。それは、幼い頃、狂ってしまった兄を見たときと同じ心地だった。彼女はもう、元には戻らない。それを俺はなぜか知っていた。
 ガッキーさんはその後、何を言われても、なんの反応も見せずに、ただどこかを見ていた。春子さんがガッキーさんの手を握っても、彼女は何もしない。何も言わず、何も見なかった。
 病室を出てから、春子さんはずっと堪えていたのだろう、あややに抱きしめられながら泣いた。友達の変わり果てた姿を、どんな思いで見ていたのだろうか。俺も小さく泣いた。
 それから俺たちは、『ぶらくろ』さんの入院している病院へと向かった。車内は変わらず静かで、時折春子さんの嗚咽が小さく聞こえてくるだけだった。
 こんなことになるのなら、オカ研なんて、作らなければ良かった。とても強い後悔が、俺の口を閉ざす。今からでも遅くない。これ以上被害が増える前に、オカ研は解散するべきだ。俺は改めて、それを思った。
 『ぶらくろ』さんの状態も、言葉では言えないほどだった。彼女のご両親は、しかし俺たちのことを、何も言わずに、見舞いに来たことについてお礼だけを言ってくれた。『ぶらくろ』さんからは何も聞いていないのだろう。知る権利がある。けれど、ぐっさんは俺を止めた。話したとしても、何も解決はしないと言って。
 『ぶらくろ』さんは眠っていた。彼女の傍らの机に、デジカメがあるのを俺は見た。それに、何が映されているのか。気にはなったが、見る気は起こらなかった。いつか『ぶらくろ』さんが自身の手で見て、そして、自身の意思で俺に連絡を取ってくれるまでは、見ないことにした。
 帰りの車内で、俺はぐっさんたちに告げる。

「オカ研は、やっぱりしばらくは活動休止にしよう」

 みんなは何も言わなかった。その静寂が、俺には返事に思えた。
 ぐっさんたちと別れ、俺は自宅アパートに戻る。酷く疲れていた。こんなに疲労を感じるのは、久しぶりだった。
 携帯が鳴る。見れば、春子さんからだった。

「……そのまま解散なんて、許さないから、か」

 一時休止、あくまでも休憩。元気になったら、必ず活動を再開させること、それを約束しろという。彼女らしい言葉だと思った。
 耳に、優しい音が触れた。川のせせらぎだ。懐かしい、そんなふうに思った。澄んだ川の水。気持ちの良い木陰。爽やかに吹く風。俺の見ている最中に、光をまとった人影が現れる。誰か、俺はなんとなく分かった。

「まてや。ゆけよ」

 いつしか聞いた声。どういう意味なのか、それを聞く前に、俺は目を覚ます。
 また、幼い頃の記憶を夢として見たのだ。あれ、と俺は目元を拭う。涙が流れていた。眠りながら泣くなんて、こんなことは初めてだった。
 夢は、俺に何を訴えているのだろう。分からなかったが、俺は、携帯を取った。メールを打つ。送信先は、ぐっさんだ。このままでは、何も変わらない。自分を変えろ。現状を変えろ。変えられるのは、俺だけだ。
 送信を押し、俺は目を瞑る。これは、俺たちの復讐劇だ。必ず、彼女たちの仇をとってみせる。そう決意を固めた。

第16話 『部員ナンバー六六六』

wspcompany.hateblo.jp

 

 

Copyright © 2018-2019 flowiron All rights reserved.