創作作品展示室

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かげろうさん 第17話 『かげろうさんの正体』

第17話 『かげろうさんの正体』

 午後一時。昼休憩のサラリーマンやOL、談笑する主婦に混じり、俺はその喫茶店の窓際の席にいた。暖かかったコーヒーは生温くなり、昼休憩を終える会社員たちがぞろぞろと店から出ていく。喫茶店の出入り口を見て、携帯電話を確認するも、静かだった。もしや、盛大に釣られた、か? 俺の内心に焦りが生じ始める。
 その時だった。

「『ホワロリ』さん、ですか?」

 耳触りの良い声が聞こえた。ふと顔をあげたら、女性がいた。可愛らしい女性だ。年齢は俺より下か。お洒落な格好で、俺に首を傾げる姿は、なんとも言えず、ただ可愛いと思わせた。
 そして俺はそこでハタとする。俺のことを知っている、ということは……

「え、っと……『はま』、ですか?」
「はい。私が『はま』です」

 なんということか。俺の予想の斜め上を行く事態に、俺は思いがけず固まった。
 オカ板でスレを滅茶苦茶にかき回すような奴だから、てっきり引きこもり系の男子だと勝手に思い込んでいた。だが実際に会ってみたらどうだ。まさか、こんな美少女が現れて、俺は反応に困った。
 彼女は鞄から、小さなうさぎのマスコットを取り出した。赤い目のそのマスコット。俺はあっと思って、ポケットからフクロウのキーホルダーを取り出す。これは、俺たちが前もって決めていた「合言葉」。お互いにそれを確認すると、彼女はにこりと魅力的な笑顔を見せた。

「せっかくですから、ちょっと町を歩きませんか?」

 誘われ、俺はそれに応じる。というか、断るという選択肢などなかった。悲しきかな、男の性。こんな可愛らしい女の子と隣あって歩ける日が来るとは。思いがけぬ幸運に、俺は一瞬本題などそっちのけて舞い上がった。
 クリスマスが近いために、当然街中にはクリスマスソングが流れ、サンタの格好をした人がチラシを配ったり客寄せをしたりしていた。彼女はそれらに興味があるようで、忙しなくきょろきょろとしていて、その所作一つとっても、可愛いと思わせた。

「びっくりしましたよね。まさか女だったなんてって、そういう顔してましたから」
「え、ああ……なんか、想像と違ったんで、ちょっと驚きました」
「やっぱり。オフ会とかでもよく驚かれるんで、私は慣れてますけど」

 なんて言って、彼女はまた笑った。よく笑う子だ。人好きのするその笑顔で、一体何人の男を魅了したのだろうか。俺は無粋なことを考えたが、すぐにそれは振り払った。こんなことを考えている場合ではない。
 わくわくする彼女に向かって、俺は口を開く。

「『かげろうさん』について、君が知ってること、教えて欲しい」
「あー。そうですね。……歩きながらだと落ち着かないので、あのお店に入りましょう」

 彼女は俺の腕を引いて、落ち着いた感じの喫茶店へと入店した。……自分から町を歩こうと誘ったのに。まあ、嫌ではなかったので、彼女に大人しく従った。
 席について、彼女はホットココアと抹茶ロールケーキを注文した。俺はカフェオレとガトーショコラを頼み、メニューを端っこへと置いた。
 『はま』さんはにこにことして、店内を見回す。

「喫茶店で飲むのなんて久々です。『ホワロリ』さんはどうですか? こういう場所、慣れてます?」
「いや。俺もあんまり来ないから。ちょっと落ち着かないかもしれない」
「そうですか。意外です。カノジョさんとは来ないんですか?」
「残念ながら俺は独り身ですよ」
「えっ、そうだったんですか? 素敵な方なのに、意外です」

 女性からしたら俺はいわゆる「いい人」止まりだからだろう。彼女の言葉には俺は苦笑しか出来なかった。
 抹茶ロールケーキを食べながら、『はま』さんがふと言った。

「私の友達も、『かげろうさん』の被害者なんです」

 突然の言葉に、俺は停止した。彼女はロールケーキを掬い上げ、それを口に含み、静かに口を動かす。被害者、ということは、彼女の友達もまた、兄のように……?
 俺が眺めていたら、『はま』さんは少し伏し目がちになった。そうして、ホットココアに手を伸ばし、カップを持ち上げて、話し始める。

「私の実家が、『ホワロリ』さんのご実家に近くて、幼い頃はよく山で遊んでいたんです。もちろん、家族からは日没前までに帰るように厳しく言い付けられていました。……たまたま、その日も山で友達と遊んでいたんですが、獣道に迷い込んで、日が暮れてしまったんです。友達は怖いもの知らずで、私を置いてどんどんと歩いて行ってしまって……はぐれてしまった私は、泣きながら山を降りたんですが、友達はまだ戻ってなくって。それから二日後に、友達は発見されたんです。人が変わったように、ずっと、ずっと笑っていました。泣いているのに、笑っていました」

 カップに口をつけて、彼女は息をついた。まるで、兄のようだ、と思った。
 兄も、狂ったようにずうっと笑っていた。俺たちのことを見ても何も反応せず、ずっと笑い続けていた。消えてしまった後、一体なにがあったのか、今も分からない。兄は例の祠の近くで発見されたという。つまり、あの祠……あれは、あれこそが、『かげろうさん』の社だった可能性がある。
 ガトーショコラをフォークで突いて、俺はそっと食べた。それから、カフェオレを一口飲んで、彼女を伺い見る。沈んだ表情が印象的だった。
 彼女は俺をちらりと見て、微笑んだ。

「友達は今も入院したきりです。……こんな話、聞いてもらったのは初めてでした。誰にもずっと話せなくて、心苦しかったです。『ホワロリ』さんも、知り合いの方が被害に遭われたんですよね? なんだか、不思議な心地です。他人のようには思えない。なくってもいい共通点があるなんて、ちょっと、悲しいですけれど」
「……俺は、兄を失ってるんです。そのお友達と同じように、今も入院していて、会えていません」
「そう、ですか。……すみません。こんなこと、言うべきじゃないかもしれませんが、私、嬉しいです。この話をずっと抱え込んで生きているのが、ずっと辛くって……『ホワロリ』さんに会えて、良かった」

 ……そんなことを言われたら、揺るがないはずがない。しかし、俺は一瞬、何かの違和にとらわれた。
 意識が、もうろうとする。なんだろう、すごく眠かった。眠くて、体が重たかった。手に持っていたカップが机上に落ちた。なんだ、これは。俺はふっと『はま』さんを見た。彼女は、穏やかに笑っていた。それだけだった。

 目を開いたら、薄明かりに、天井が見えた。甘い芳香がする。まだ体は重たくて、けれど、今居る場所の景色が映ったら、俺は思考が覚醒した。ここは……個室だ。俺はベッドに横になっていた。薄明かりの色は淡いピンク色……ラブホテル?
 ポケットを探るも、携帯電話がなくなっていることに気付いた。視線を移すと、小さなテーブルの上に置いてあった。咄嗟に手を伸ばす。時間は午後四時過ぎ。ぐっさんからメールが来ていた。『はま』さんと話しを終えたら家に寄れとの事が書いてあった。

「目が覚めたみたいで、安心しました」

 女性の声に俺はびくっとした。振り向いたら、『はま』さんが居た。その微笑に、俺は背筋に寒気を覚える。
 俺が唖然と見つめていたら、彼女はゆっくりと近付いてくる。

「オカ研の皆さんは、『ホワロリ』さんのことがよほど大切なんですね。素敵なお仲間がいて、羨ましいです」

 つ、と俺は額から汗が流れるのを感じた。恐怖を覚えていた。目の前の美少女は、しかし、俺には何か恐ろしいものに見えた。

「私、『ホワロリ』さんにお伝えしなくてはならないことがあるんです。お兄さんのこと、『ガキ使』さんのこと、『ぶらくろ』さんのこと……そしてこれから、『晴れのち晴れ』さん、『ハル』さん、『綾小路しづる』さんのこと。謝らないとならないんですよね」
「な……なんで……」

 彼女は俺に跨り、にやりと笑った。なんで、ぐっさんたちのHNを知っている? どうして『ぶらくろ』さんとのことを、知っている?
 俺が見ていたら、彼女は俺の体にもたれかかり、肩にその細い指が触れた。

「『怪異のお面』のこと、『桐生和哉』のこと、『スズメバチ症候群』のこと……ぜーんぶ、謝らないといけないんです。『ホワロリ』さん」

 彼女の指が俺の胸を撫でる。首筋に、彼女の吐息がかかった。俺は息をのんだ。
 ありえない。そんなことが、現実に起こることは、ありえない。俺は現実を受け入れる準備が出来ていなかった。こんなこと、ありえない。ありえない、ありえない!
 必死に頭の中で否定するも、彼女は、その薄紅の口から、言葉を吐き出した。

「『かげろうさん』は、わたしです」

 首に、彼女の舌が這った。俺は彼女を突き飛ばして走り出した。裸足だったが構わず扉から飛び出し、走りながら携帯を開きぐっさんに電話をする。……出ない。俺は激しくなる動悸をおさえるように、胸をおさえた。春子さん……出ない……あややは……出ない!!
 焦りが、俺の声帯を潰した。恐怖、不安、焦りが俺に圧し掛かる。ぐっさん、春子さん、あやや……俺は滅茶苦茶に走った。通りを歩く人が驚いて道を開けていく。俺は走る。走って、走って、走った。
 再度電話をかけるが、誰も出なかった。頼む、杞憂であってくれ……間違いであってくれ! 強く、人生で最も強くそう祈った。
 人の気配のない地下道を走っていく。俺の足音だけが響いている。……いや。その声は唐突に響いた。

「言いましたよね。『かげろうさん』に気に入られた者は、逃れることができないと」

 すぐ背後からの声。俺は声にならぬ悲鳴をあげ、走る速度をあげた。涙がぼろぼろと頬を伝っていく。何も考えられない。何も考える余裕がなく、俺はもつれた足をなんとか踏み留め、走り続けた。
 俺の耳に、声が聞こえた。

「まてや」

 いつしかの、川で聞いたあの声だった。その声の直後だった。

「どうりで……守られていたんですね。私の手が届かないはずです」

 『はま』の声じゃない、太い男の声が聞こえた。そして何かがかち合う音がした。俺は振り返らずただ走る。
 交差点。誰もいない、異様な町の景色。ここは、俺の知る世界じゃ、ない。俺はそれを直感した。
 そうして、振り向いた。夕闇色の空。雲ひとつない。人っこ一人いない。生のない世界が、広がっていた。

「『ホワロリ』さん、観念してください。持っているものを、捨ててください」

 美少女は笑う。俺は懐から、あややに借りた数珠を取り出す。南無阿弥陀仏と必死に唱える。彼女は小さく、ふっと声を出した。

「霊じゃないんですから。そんなの効きませんよ。川の神に守られているせいか、手が出せないんですよねえ。『ホワロリ』さん。でも、知っていますか? 神様の守護さえ、突破できるものがあるんです」

 彼女はくすくす、と自身の着衣を緩めた。真っ白い素肌。色のある様相。しかし俺は一切の魅力を感じなかった。

「人の欲とは時に、何よりも強い力となる……無関心を装っても、体は正直なのですよ。ギダさん?」

 俺を突き飛ばして、彼女は俺に覆いかぶさった。悲鳴ももう出ない。ただ俺は、彼女を眺めていた。
 端整な顔が笑顔を形作る。

「『かげろうさん』は、あなたを求めているんですよ。もう、逃げられませんから」

 俺は、目を瞑った。

 ――ギダ先輩が発見されたのは、『はま』と接触してから二日経った後でした。昏睡状態で、今も予断を許さない状況です。彼は外傷はなかったのですが、僕が授けた数珠は破損し、携帯電話も壊れた状態で見つかったそうです。『はま』と会った後、彼に一体何が起きたのか、それは彼の口から直接聞かないと分からないことです。
 ぐっさんは同日、信号無視をしてきたトラックと正面衝突を起こして、意識不明の重傷を負いました。彼もまた、今は集中治療室にいて、面会謝絶となっています。僕は、春子さんを寺に呼び寄せ、ずっと彼女を守っていました。それでも、春子さんに影響が及んでしまったことは、悔やまれてなりません。春子さんもまた、意識を失い、現在も目覚めてはいません。
 オカ研は壊滅状態となりました。僕は、肌身離さず身につけていた数珠とお札のお陰で、一人だけ無事を過ごしていました。数珠は紐が千切れ、玉はばらばらになり、お札は切り刻まれてしまいましたが。それでも身一つ無事でいたのは、奇跡に近いことでしょう。

 


『かげろうさん』

お仕舞い。

(20121105)

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