創作作品展示室

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人は誰しも心の中に醜い獣を飼っている ―導入編―

人は誰しも心の中に醜い獣を飼っている ―導入編―


 繁華街の大通りから一つ外れるとそこは喧騒とは程遠い異世界のような空間が広がるもの。表通りの人の気配がまるで霞の彼方にも思われるくらいの静けさがここには広がっている――否、正確には恐らく、広がって『いた』のだと推測された。視線の先の光景があまりに不自然すぎて、シフジ ユミコは呼吸すら忘れる。
 咀嚼の音だ、と即座に分かったのは当然だった。
 黄昏時の赤い世界。手をしきりに動かし、口元へと運ぶ。そのたび、何か、恐らくは生の『柔らかいもの』を貪る音。時折入りまじるのは固いなにかを砕く音。風が運んできたその『におい』にユミコは思いがけず吐き気を誘引された。長くは滞在できず、音を立てることもなくその場から走り去る。――彼は、見間違いではなく、クラスメイトの男子、キリヤ タツフミ。特別目立つ生徒ではない彼だからこそ、こんな繁華街で何をしているのか興味を惹かれた。警察官の尾行ごっこのつもりだった。それが、こんな場面を目撃してしまうなんて。

 浴室内の静寂さは、まるであの時の空気を思わせるようで。けれど湯船の暖かさは心を落ち着けてくれる安心感をくれた。ユミコの脳内には、夕方に見た光景がいまも離れずこびりつく。あぁ、なんて、とんでもないものを見てしまったのか。自身の軽率な行動を軽く後悔する。とはいえ、今更後悔したところで遅いのだが。
 シフジ ユミコは市内の高校に通う女子高生。派手でも地味でもない至ってありふれた女の子。趣味であるネイルアートは友人間でも評判であり、手先の器用さは自信でもある。今日も、風呂上りにネイルをするつもりであったのだが、どうにも今はそんな気分にもなれそうになかった。これも、先刻の出来事のせいだった。
 ――キリヤ タツフミは同じクラスの男子生徒だった。普段からもユミコとはほとんど絡みがないため、彼の素性はそこまで詳しく知らなかった。根暗ほどではないが大人しく、成績が良く、人あたりがいい程度には親切。目立つ男子生徒に絡まれても笑って済ますような、そんな印象。だからだろうか。繁華街で彼が傍目に見て「嬉しそうに」微笑をしながら歩いているのが、気になってしまった。知らない相手のことだからこそ興味を持ってしまったのだ。
 幸いにも明日は週末、土曜日だ。同じクラスゆえに週明けにはまた顔を合わせることにはなるが……土日を挟めば恐らくは今の鬱蒼とした気持ちも少しは晴れているだろう。きっとあれは夢だったのだ。今週は学校でも行事があったし、そのために疲れていたのもあって幻覚を見た可能性もある。なんにせよ、いつまでもこんな不安な感情を抱えたままなんて自分らしくもない。
 浴槽から勢いよく立ち上がる。意図せず長風呂になったせいか少しばかり立ちくらみを起こすも、軽く頭を横へ振ってユミコは浴室を後にする。

 切り替えの早さが自身の長所であると自覚があるユミコは、三日前の出来事も沈んだ気持ちも失せさせて自身の席で友人と談笑していた。週末はなにをしたとか、今週控える体力測定が面倒だとか、そんな他愛ない会話をしていたときだった。

「キリヤおはよう、早速で悪いけど数学のプリント見せてくれん?」

 いつもバカ騒ぎしている男子生徒の声だった。呼んだその名にユミコは意識をもっていかれる。
 ユミコの席から左斜め後ろ側、廊下側の端の席。黒い短髪、静かに苦笑する彼はいつもとなんら変わらない。――あの時、あの場所で『なにか』をしていたキリヤその人がいた。やんちゃをする男子生徒から今日も宿題のうつしを要求され、断ることもなくプリントを差し出している。ごく見慣れた日常。きっとあれを見ていなければユミコにとっては取るに足らない出来事。
 無意識下で彼へと目を向けていたためか彼のその黒い目と視線がまじわる。数瞬、見つめ合うも、ユミコは咄嗟に顔をそらした。なにか妙に動悸がやかましい。時間が経てばすべてを忘れると思っていたがそう都合よくはいかないようだ。不自然な行動をしてしまったが、キリヤから何か声をかけてくることはなく、そのまま一限目の授業が始まった。

 いつも通りの学校生活。週明け月曜日の授業ほど気だるいものもない。しかしそれもいつものことだ。ユミコは途中幾度か居眠りをしそうになるも、眠りに陥る寸前にあの光景がフラッシュバックした。――赤い世界、咀嚼音、形容しがたいあのニオイ……今思い返すだけでも、やはりあれは夢だったのではないかとさえ思われた。……夢であったならどれだけ良かったか。よく分からない不安と心の底に残る恐怖心のようなものは確かに今もユミコ自身を急かすように存在している。夢でなければ幻覚だと、根拠もなくそう信じていたかった。
 気が付けばすでに時刻は帰宅時間を過ぎていた。教室内にはユミコしか残っておらず、部活動に勤しむ友人たちのその姿もすでにない。夕刻が近い無人の教室には奇妙な静寂だけがある。締め切られた窓の外からは運動部の威勢のいい声が確かに聴こえてくるのに、さみしいという気持ちさえ生まれそうだった。
 ユミコは幽霊部員なのでこのあとの予定としては帰宅するか、街でふらふらと買い物をするかのどちらかだけだ。なお、今はお小遣いもあまりなく、バイトをしようにも校則で禁止されているために帰宅をする以外の選択肢はユミコにはなかった。カバンを机に置いて筆記用具と水筒と、あとは明日の予習程度に必要な教科書やノートだけを中へと入れていく。賑やかな運動部の声も聴きなれてきた頃、ユミコが席を立ち椅子をしまった時だった。

「シフジさん。」

 予期しない事態に、ユミコはしばし停止する。普段であればなんてこともないこと。けれど、ほとんど『その声』で自分の名を呼ばれたことがないために、聴きなれぬその単語。確実に自分は今動揺していると、そう思った。
 教室の後ろ側から、人の気配。今はあまり会いたいと思っていなかった彼の姿がそこにはあった。ユミコがそちらへ目を遣れば、本日二度目の視線がまじわる。紛れもなく、キリヤ タツフミがいた。彼は笑うこともなく、怒る様子もなく、ユミコをただ見つめていた。少しの間の沈黙はキリヤの言葉が終わらせた。

「なんか、僕に用事があったのかなと思って。」

 思い出したようにそう言われた。今朝の些細な出来事の話だろう。わざわざ教室にまで戻ってくるとは、彼はやはり律儀だ、とそんなことを他人事のように思った。ユミコはどこか、観念したような気持ちになりつつ至っていつも通りに、友人と接する態度のままに彼に返事をする。それはけれど、探るつもりで。金曜日のあの時の彼の言動を確かめるために。

「あぁ、えっと。キリヤ君さ、金曜日の夕方の時間に繁華街にいた?」
「金曜日? ああ、うん。いたよ。どうして?」
「……駅近の、田島ビルの横で、『なにか』してた?」

 核心をつくような尋ね方だと自分でも思った。だが、一度出たその質問はもう取り戻せない。彼がなにをしていたにせよ、これ以上こんなもやもやを抱えたまま生活するのは、ユミコ自身しんどいと思っていた。だからこそ、真っすぐに尋ねた。
 また、少しだけ静かになる。外の喧騒は変わらず、教室内の秒針のない時計がまた一つ、その分針を進める微かな音だけが響く。キリヤは表情が変わらない。少しだけ何か考えているようにも見えるが、真意は読めない。思えば、こうやって彼の顔を見つめるのは初めてのことかもしれない。よく見ればキリヤは綺麗な顔をしていると思った。彼は運動部ではないために日焼けもしていない。整えているらしい眉毛の形もいいし、どこか滲み出る育ちの良い雰囲気も、こうして正面から向き合って気付かされた。
 キリヤは小さく「ああ」と思い出したように呟いて、それから何か、はにかみを見せる。気のせいでなければ血色がよくなったようにも思われる。そして、その表情は、なぜだか嬉しそうにも見えた。

「シフジさん、見ていてくれたんだ。僕が『食べてる』ところ。」

 否定されなかった。むしろ、ユミコが目撃したあれを肯定するだけでなく、さらに彼は追撃するかのごとく、状況を、すべてを話し始めた。

「田島ビルの傍の路地裏だよね。あれは、僕が『お祓い』をしていたんだよ。化物を『食べる』『お祓い』。見ていてあんまり気持ちのいいものじゃないよね、あれ。だから、あまり人に話したことないんだけど……僕は、化物を『お祓い』することができる『術士』なんだ。ふふ。驚いたかい? そうだよね。普通は、僕のあんな姿見たら、ドン引きして、距離をおかれるんだけど……シフジさん、普通に会話してくれるから、なんか、それがちょっと嬉しいな。いや、引いてはいるよね、ごめん……。」

 表情がころころと変わり、最後には落胆したように俯き気味になるキリヤに、ユミコは言葉を失いかける。
 術士とか、食べるとかお祓いとか、何を言ってるんだろう。全く理解が追い付かなくて固まるユミコへ、キリヤは今度は慌てて付け足した。

「あ、ご、ごめんね。こんな話を急に……あの、僕も、本当は話すつもりなかったんだけど……シフジさんが、普通に接してくれたから、嬉しかったんだ。僕、前から、その……見えなくていいものが見える体質っていうか……それで、子どものときからあまり馴染めなくて……今も、こんなこと、話せる人、いなくて。……ごめん。できればあまり、言いふらさないでほしい。その……僕、やっと学校生活を送れるようになって、今が幸せだから。……勝手なこといってごめんね。じゃあ、また明日、シフジさん。」

 言葉だけを残してキリヤは踵を返し走り去ってしまう。まるで台風のような大きな跡を置いて去ってしまった彼に、ユミコはただ唖然とした。
 よく知りもしないクラスメイトの男の子が、何か電波なことを口走っていた。けれど、彼の言っていることを信じる以外ないとも思った。そうでなければ、あの時見たあの光景の説明は他にはつかない。薄暗くて見えづらかったが……確かに彼はあの時に「化物」とも呼ぶべきなにか人ではないそれを食べていたように見えたから。どうにもまだ何か隠しているようにも思われるが、あまり根ほり葉ほり聴くのも失礼だし、何より彼を傷つけてしまうかもしれない。それに、あんな場面を目撃したけれど彼は怒ったり悲しむわけでもなく、あまつさえ「嬉しい」などといっていた。あの態度をみるに、多分、迂闊に周りの人に言いふらしたりしなければ何か危害を加えてくることはないということだろう。ユミコが不安に思っていたのは実のところそこであった。人に知られたくない秘密を知られたら、大抵は口封じに……というのがドラマや漫画でよくある展開だ。黙ってさえいれば少なくとも無事でいるというのもよくある展開だろう。
 何か、妙に疲れた。そう思うユミコはその翌日に、予期していなかった出来事に見舞われることになる。

 

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