創作作品展示室

主にオリジナル小説が掲載してあります。

園庭本ノ日 芥の日常 (短篇作品)

園庭本ノ日 芥の日常

 

 八百万の神々の在る園庭にも昼夜の概念は存在し、辿りゆく先には無論、陽神の存在ありて、通力とはまた異なる力にて、陽を模した『明かり』を日中時に照らし、時くれば次に月の神がそれに模した『弦』を、空の彼方へと描き現す。元より神たる柱には人々より受けし印象をその御身に力として宿しており、いうなれば言の葉を吐き出すことと同じほどに『現象』を起こし″やつす″ことも、いと容易きことである。
 人々の世と同じくして園庭における時間という概念は寸分狂はずに進んでいる。時の神の存在意義とも言うべき『時間』は宇宙創世期より何一つとして変はらず、特にここ園庭においては穏やかなる日々を確かに刻んでいた。
 人々のような労働を義務とはされていない園庭では神々は常に自身の思うがままに動き、時にその身を人々の世へと『映し』、月の神などはたびたび人の目にわざとその御身を可視化させては、「ユーレイ騒ぎ」などを巻き起こして園庭へ還るなど、なんとも自由に奔放なる日常を過ごす。
 この御話は一つの例、主役たる芥の神の日常のひと欠片を綴るものである。

 芥の神はその名が示す通りに「ゴミ」を対象とした神である。生まれは不明なれば、いつその名を拝したかも定かではないが、園庭の管理人たる『陽の神』によれば随分と昔に―黄桜―の下に現れ出でたとのこと。芥の神の様相は幼さの残るもので、謙虚さもなく、眼光も今ほどに柔らかさもない、まことよく人世の「思春期」の少年のようにも思われたという。そしてそれは神格化されて間がない時期にはよく見られることであり、今でこそ青年の様相をする芥を除く神々も、その御身が産まれ落ちたばかりの頃は、いずれも皆、一様に「なまいき」な口をきいたりなどをするものだった。
 見聞広め、知識を深め、神々が自身の出自や存在の意義などを学び、時経て、人世の在り方の変異とともに、少しずつ神々らの在り方も、揺らぎやすいものから移ろい、根付いてゆけば、必然として「立派なる神」と相成りゆく。とはいえど、永久的に不変なものではなく、時変わりゆけば、人々の信仰心等も移ろい、時世に合わせて神位もまた、変転していった。
 芥の神もまた今でこそようやく根付いたゆえに、こうしてお忍びにて人世へ舞い降りては、雑言吐きつつも手放された無数の芥(ゴミ)を拾い上げ、他方、人が自ら奉仕の活動として芥拾い上げるさまを見かけては、大いにその喜びを表した。

「すばらしい、遖(あっぱれ)! 芥神賞を授けましょう!」

 賞とは申せど神による寵愛は特定個人へは果たせぬことである。寵愛受けし人の子は、代償を神へと捧げなければならぬゆえん。人が持つ代償に相応しきもの、それは他でもなく寿命と呼ぶものである。触れることも叶はず、施すことも許されぬ、それゆえ芥の神は「お褒めの言の葉」のみを人の子へと手渡した。無論、芥の神の姿も声も、人の耳には入らぬけれど。

 芥の神の日課は人世の芥拾いのほか、陽の神より押し付けられた――もとい、拝命されし事柄の処理などもある。園庭に住まう神には労働の義務などはないけれど、時折にこうして最高神とされる陽の神などからのご指名によりその身の振りを定めることもある。
 芥の神の元にはいまは一柱、童の神が在った。最近に神格化されたもうた、いまだ脆弱なるその存在はけれど、人世の変転に伴いて確実に根付きつつあった。また、一重に芥の神より賜りし知識や通力によるところも大きい。これまで芥の神は童の他に幾柱かの神々の「教育係」を担っては、そのたび立派なる一柱を″創って″来た。実績という点においては一流とも呼ぶべきものである。それゆえ陽の神もまた芥の神へ産まれ出でたばかりの神の養育を任せるのである。
 芥拾いののち園庭へと戻る芥の神は次に童の神の学びの助長を行う。童は口がないゆえに通力を扱わなければ意思の疎通もままならぬために、通力のこなしかたを教えたり、物質や現象の解説や、園庭におわす神というものがどのような存在であるのかなどの講義もまた、芥の神の仕事なり。
 童の神のための時間はけれど、暇を持て余している神なども寄って来ては知識を吹き込むなどするために、芥の神の労などは以前に比べれば減っているようである。それは喜ばしきことに違いなく、また多種多様なる神々の知識なれば、童の神もこれまでより多くに興味を抱いたりなど、良き兆候に他ならなかった。
 紙の神などはいたずらが過ぎることもあれど、根は「真っ白なる」ものに相違なく、童の神もまた彼の神の語る言の葉によく意識を傾けた。

「人世にて日々造する紙、総て真価異なれば、僅かなる価値のものあり、しかし多くは大いなる価値のものなり。すなはち、人とは美徳の他、多様なゆえんにて紙なるものを造すものなり」

 紙の神が説く言の葉はけれど、普段のものとは異なるものである。童の神に正しき「ことばづかい」を教えるために、あえて得意ではない言い回しをする。前述の語りもまた普段であれば以下のように紡いでいる。

『人の世で生み出される紙は面白いんだ。安く手に入るものもあれば、とんでもない大金で取引される紙もある。紙の価値は結局のところ、人の思う価値観に左右されちゃうんだよね。マジウケる』

 紙の神は園庭におわす神々の中でも比較的に古い存在である。このように砕けた口語に関しても、根付いて久しくあるゆえんのもの。根の「真っ白なる」ものが作用しているともいうべきか。長く園庭に在る神はときにこの紙の神のように、他の神々とは少し変わったふうな嗜好や語り方をするものもあり。

 童の神のお世話を他の神々がなさる間、芥の神は自らホウキとチリトリを持ちて園庭内至るところの清掃活動を行う。これもまた、芥の神の日課なり。神々のみが住まう園庭ゆえ芥(ゴミ)が落ちているなどは滅多にないものの、人の世を模して創られた場所である限りは、たとえば、草木の枯れる落ちるなど、そういったものが発生する。それを片すのもまた、芥の神の役目なり。
 芥の神がホウキを手繰り枯れ落ちた葉をまとめているところに、一柱、女神現れ、その顔は破顔にて、芥の神に前より助言賜りしものの進捗を告げに参ったようである。

「兄上様、ご機嫌麗しく。この双神≪フタツガミ≫のため、お時間を少しだけ頂けますか?」

 穏やかなる女神の名は双神。芥の神の妹神にあたる、『リサイクル』の神である。無論、この概念自体も近年生じたものゆえに、完全には根付いていないが、すでに有する知識は広く深いゆえ、こうして時折自身の通力や発想にて作り替えたものを兄神である芥の神へ披露しに参っていた。聡明なる双神の創造するものはどれも奇怪なるもので、有り体に、芥の神は困惑することも多かった。
 双神の手に乗った箱の形状のもの、しばし見つめていれば、中から「からくり」のような四肢生物がその身を覗かせ、けれどそれは芥の神を、じ、と見つめたままで動かない。常ならぬ威圧を感じる芥の神は複雑な面持ちになるも、至って平静のままに創造主たる双神へと問いただす。

「此れは、なんです?」
「自動の『ろぼっと』ですわ。人世の『でんわ』の機能を備えてありますの。同じものを音神様にお持ち頂いていますので、声をかけてみてくださいまし」
「……聴こえ、るのですか? 音神?」

 半疑な心情ではあれど、恐らく性能は間違いのないものと判断し、芥の神は言われたままに言の葉を告げる。四肢生物の口が、ぱか、と開いたと思ったら、次にその四肢生物はなんとも美しい音色を開いた口から吐き出した。琵琶の音は、間違いない、音神の奏するものである。
 敬服にも値するものには違いないのだが、芥の神は、この謎の四肢生物をなにから模したものなのであるのかが気になってしまい、また、じ、と見つめてくる目の不気味さに、素直には驚くことができずにいる。とはいえ双神がこのように奇怪なる発明品を持ってくるのは珍しいことでもないゆえ、清掃の手を休め、芥の神は自らの手を双神の頭へと軽くあて、そっと撫でる。

「面白きものをまた上手に『リサイクル』できましたね。人世の技術は複雑なるものが多いのに、よく再現できていると思います」
「ありがたきお言葉ですわ。兄上様がご所望であれば、こちらの『けーたい』を童の神様に差し上げてもよろしいですわ。人世のものとは違いますから、通力さえこなせれば『ばってりー』がなくなることもありませんの」
「そ、……そうですね。童の神がもう少し通力をこなせるようになったときにお願いします」
「ええ。お待ちしておりますわ。では、兄上様。お時間を頂戴してしまいました。このお礼はまたいずれ」

 双神は『けーたい』を通力にて浮遊させ、そのまま元来た方へと姿を消した。結局、あの四肢生物の題材が何であったのかは聞けずじまいにはなったものの、いずれあれを譲り受けるときが来たらその時に尋ねればよいと考え、芥の神は清掃活動を再開する。
 園庭におわす神々は、そのほとんどが暇である。暇であるゆえ、ちょうど良い話し相手などを探していることも多い。芥の神が清掃をしていてもお構いなしに声をかけてくる神も少なくはなく、双神が去ったのちも幾柱か、至って急ぎでもない用事や他愛無いことを伝えてくる神もあった。

 清掃活動を終えた頃にはすでに空は茜色、動物神らから派生する自然のカタチをした『影』、そのうちの一つが芥の神の傍へと寄ってきた。人世でいうところの『ミミズク』に似た形状の『影』は、その実、芥の神が以前より使役する、いわゆる式神の一つでもある。そして元を辿ると『影』はアイヌ神話(コタンコルカムイ)の致すところでもある。
 動物神や神話(神語≪かんがたり≫)の致すところのものとして派生している『影』は勿論のことであるが本体とも呼ぶべき神とは無縁のものではある。ではなんとして『影』が派生するかと述べると、火を燃やせば灰が生まれるが如く、意識の外にて自然的に発生してしまうのが『影』である。園庭においては特に害のないただの概念の塊のようなものにて、しかしこれを使役対象とする神も少なくはなかった。
 制約のない通力は無限に沸き出るものに違いなく、つまりはその力を持て余してしまうわけであり、暇な神々は通力をただいたずらに余らせることを良しとせず、こうして使役対象を生み出しては暇を潰したりなどをする。
 遊び相手として、話し相手として、家事を任せたりなど、用途は様々ではあるが、芥の神の場合においては身の回りの手伝いが主な用途であった。特に養育対象が同居している期間、芥の神は自身の趣味ともよぶべき読書の時間を確保すべく、使役対象の『影』を総動員して養育対象への世話の負担を軽減した。
 芥の神が自室にて読書をしていると、童の神が戸の隙間より顔を出したのを芥の神は気付いた。近頃は童の神がこうして芥の神の元へ来ることも増えてきており、けれどそれを疎ましく思うでもなく、芥の神は変わらぬ穏やかさで彼の神へ促す。

「どうしました。何か聞きたいことでも?」

 口を有さぬ童の神は、未だ通力は上手にこなせない。また、文字の読み書きなども学んでいる最中である。ために、その首を動かすことで意思を表示する。三度ほど横へと首を振る童の神へ、芥の神は微笑し、手招いた。通力がなくとも、幼神(おさながみ)の求めることはなんとなくではあるが察せる。特に用事なく、尋ねることもなく、けれどこうして部屋へ訪れる。かつて養育してきた神々も、同じように訪れたことを思い出す。
 自身の隣へ座らせれば、芥の神は一つ、今まで読みふけっていた本を傍らへ残し、通力にて新たなる冊子を手元へ召喚する。人世にある少し大判のそれは、絵本であった。童の神に馴染みある日本の絵本。おとぎ話の描かれたそれは、これまで多くの神々にも読み聞かせていたものの一つである。

「そういえば、紙の神が言っていましたね。種類によって価値が変わる紙とは、例えば、この絵本もそうです。一枚一枚では価値など知れていますが、すべて合わせて一冊の本となれば、価値はとても大きなものとなる。――読書は、面白いですから。そなたも、文字の読み書きを覚えた折にはたくさんの本を読むとよろしいでしょう」

 気立ての優しい芥の神らしい講義に、童の神は小さく頷く。
 慌ただしいような、穏やかなような、こうした日常の繰り返しにて、芥の神の一日は終わりを告げる。


20190328
(MISOTAN)

Copyright © 2018-2019 flowiron All rights reserved.