創作作品展示室

主にオリジナル小説が掲載してあります。

かげろうさん 後日談 『ユウセツとおカゲさん』

 
 『かげろうさん』は、あなたを求めているんですよ――もう、逃げられませんから。
 
 霞のかなたから、――いや……はっきりと、今も時折、フラッシュバックする。あの女の惑わすような声、表情、その眼は、思い出すたびに背筋が凍る。まだ忘れられるほど遠い過去のことではない。気のせいでなければ、日に日に、その記憶は濃く鮮明に脳裏を支配するようで。……怖い、という気持ちはない。ただ、不思議と。
 
 こうして外を出歩くのもだいぶ慣れたものだ。町も家も何も変わらない。人の往来、ざわめき、クラクションの音、賑やかな雑踏はむしろ俺に安心感を与えてくれる。元気な子どもたちが俺の脇を駆け抜けて行き、楽しそうな笑い声に、俺もまた少しだけ表情筋が緩んだのを感じた。
 
 ――俺が暗闇を彷徨っていた間、色々なことがあったらしい。俺とかかわったことで様々な人に迷惑をかけた。春子さん、ガッキーさん、ぐっさん、『ぶらくろ』さん、それに……しかし、それを元・オカ研メンバーの『あやや』に言うと、即座に否定された。何度も、何度も。申し訳なさはもちろんあった。でも、それ以上にその反応は、俺の心を救ってくれた。

 『かげろうさん』とは、結局一体なんだったのか。目覚めてからの俺は、ただその答えを探し求めた。そんな折、眠っていた間に見たある夢のことを思い出した。
 俺を襲った『かげろうさん』。あれは、俺の故郷の守り神、だったもの。昏睡状態で、目覚める見込みがなかったあの時。俺は長い、長い夢を見た。それは幼い頃の記憶。ただ、俺が体験したものではない、それは――恐怖と不安を感じる『子供達』の記憶だった。夢の話と言えばそれまでだが、俺がオカ研の活動で得た情報と照らし合わせたら、あながちただの夢だとも言えないことで。
 俺の意識が戻ってから、霊能者として活躍している『あやや』に一度だけ、俺に憑いていたのが何なのかを、尋ねたことがある。そうしたらあややは、教えてくれた。


 ――川の守り神様。そして、祟り神様だ、と。


 二つの超常的な現象そのものが憑くなんて稀なことだとも言われた。それもそうだ。守護霊と言われるものとは、もはや別次元なことらしい。そして、なぜ俺にその二つの神が憑いたのかも、あややは推測ではあるが教えてくれた。
 幼い頃の出来事。すでに曖昧になってはいるが、薄らと憶えている。川で溺れたときのこと。そして、あの日――兄が、行方不明になった、肝試しの日。……正確には、それよりもう少し前の話。兄が妙なことを言っていたのを思い出す。
 ただ、何を言っていたかまでは、はっきりと覚えていない。断片的に、いくつかのこと。それを長い時間かけて俺は手繰り寄せた。そうしたら、行き着いた。そうだ。兄はあの時……


 年の近い村の子どもたちと遊び、もうすぐ夕方になるという時間。山の方から兄が一人で下りて来た。周りには誰もいない。ひぐらしの声がやかましく響いていたのに、気付けば静音。兄は、とても嬉しそうに笑っていた。そして、


「さっき、あたらしいともだち、できたんだ。いいだろ?」


 新しい友達。確かにそう言った。でも、兄は一人だった。一人きりで帰ってきたし、俺たちを誘って山へ入ったときも、誰もいなかった。結局兄の冗談だとその時は済ませていた。でも、今思えば。
 あれが、兄と『かげろうさん』の出会いだったのかも、と。


 あややとカフェで再会する。平日、昼間。……少しだけ、『はま』と会ったときのことを彷彿とさせるから苦手ではあったけど、今はだいぶ慣れたものだ。
 出入り口の鈴が鳴り、そちらを見遣れば、あややが居た。俺が眠っている間、俺やほかのみんなを護ってくれていたあやや。学生時代より大人びた風貌で、柔らかい雰囲気は落ち着き払い、すっかり年齢相応の様相だ。俺を見つけるなりあややはにこりと微笑む。そして向かいの席へ座り、店員にコーヒーを注文した。
 居直して、あややは再び、微笑んだ。


「お待たせしました。ギダ先輩。お元気そうで良かった」


 紙とペン、それに俺は綴る。


『あややも元気そうだな 忙しいところ呼び出してごめん』


 書き終わらないうちに、あややは「気にしないでください」と苦笑をする。慣れたとは言え、やはり筆談は手間だ、と俺も嘆息をする。
 あややは、俺をじっと眺めて口を開いた。


「ギダ先輩の失声症も、まだ完治は難しいんですね」
『そうだな おれも早く声だしたいんだけど』
「久しく聴いていないので、ギダ先輩のイケボ、忘れちゃいましたよ」
『おだてても なんもでねえぞ』


 変わらない態度に、安心感を覚える。
 ……あんなことがあっても、あややも、ぐっさんも、みんな、俺を責めることはなかった。

 ――俺が『かげろうさん』に襲われたあの日、影響が及んだのは、ぐっさん、春子さんだけではなかった。
 オカ板で交流のあった人たちにも、大小問わず悪影響が及んでいたらしい。素性が分からないためにどこまで影響が及んでいたのかは定かではないが、俺が立てたスレッドに書き込んでいた人たちは、あの日を境に一時期、姿を消した。そして最近になって、ちらほらと「入院してた」「大けがをして」などの報告と共にオカ板住人として復帰し始めた。……顔も素性も知らないとは言え、ほぼ無関係のスレ住人にまで影響が及んでしまったことは、――たとえ死者がゼロであったとしても、許されないこと。俺はいろいろな思いを巡らせ、自責の念にかられた結果、一時は摂食障害を引き起こしたりした。
 ミルクと砂糖を1杯入れて、あややはコーヒーに口を付ける。そして、一つため息をつくと、俺の内心を察したように呟いた。


「何度でも言いますが……ギダ先輩は、何も悪くないんですから、思いつめたりしないでくださいね」


 伏し目がちに、嘘偽りのない心配の言葉。あややは、よほど俺より、周りを見ていると改めて思った。
 それから俺たちは近況の報告をしあった。あややは忙しい身なので、今も仕事の合間を縫って俺の元へ来てくれている。感謝をしてもし尽くせない。……ガッキーさんは、未だ正気には戻っていない。春子さんも、以前より口数が減り、けれど、婚約をしているあややの前でだけは、時折笑顔を見せるという。『ぶらくろ』さんも、入院先で気が触れたように錯乱することが度々続いていて。……兄のことだけじゃない。今俺は、彼女たちも助けてあげたいと、そう強く思うようになっていた。
 別れ際、あややが『予見視』を口にした。それは、いまの俺にとっては、ありがたい内容に違いなかった。


「――近い未来、ギダ先輩にとっての転機が訪れます。悲願を果たし、必ず、その苦しみから解放される時が来る」


 真っすぐな目には確信を帯びた光が宿っている。あややの『予見視』、その精度は、ずっとオカ研で一緒にやってきた俺だからこそ、分かることだった。
 ペンを走らせ、俺は、出ないことを承知で、口を動かす。


『ありがとう』



 夏でも、ここは都心部よりも過ごしやすい。久しく訪れた故郷の道。あの頃より随分と、町らしくなったと感じた。アパートなどの住居が増えて、車の往来も多くなった。……新しく住み始めた住人の、果たしてどれほどが、ここの土地についてを知っているのだろうか。
 人海戦術を駆使して辿りついた先が、結局、この場所だったとは。そして、最初から聴きに来ればよかったな、とも思った。……すべてを知っているであろう、祖父のところに。


 昔の話。ずっと前、というわけでもなく、それは場所によっては、最近のことでもある。そして、日本独自のものでもない。


『生贄』


 飢饉や天災などを理由に、『生きた人間』を神様へ捧げ、その他大勢の人間の命を救うための儀式。
 各地に残る伝説・伝承によると、生贄に選ばれるのは子どもであったり、女性であったり。……大抵は、少人数――1人や2人など。あるいは、もっと大勢の人間を、『生きたまま』神様へと捧げること。生贄を捧げると、不思議なことにあらゆる問題がじきに解決するという。
 俺の村でもその昔、『生贄』文化があったらしい。対象は、年端もいかない子どもたち。1人か、あるいはそれ以上かは分からないが、文献などに記載があった。本来であればこういった『伝統』はタブー、門外不出として扱われ、世間には絶対出たりしないもの。だが、俺は、まるで導かれるように見つけた。人を通して。……きっと、そういった加護を受けて。


 実家は山のふもと。他の民家より離れた場所。ここの周囲は、あの頃となにも変わっていない。陽光の下で洗濯物が風に揺れている。すぐそばの小さな畑で作業をする人が2人。祖父母だ。元気そうなその姿に僅かに安心をするも、この後、彼らに聴くことを思い出し、俺は少しだけ、落ち込んだ。


 内装は綺麗になっている。家具の配置も変わっていたし、バリアフリーの設備が整っていた。祖母は台所で茶菓子を用意してくれているらしい。俺は、応接間で祖父と向き合ってソファに座っている。きっと祖父も、何かを察している。……祖父の厳しい雰囲気は、昔と何も変わっていない。
 祖母はお茶と、お茶請けを置くと、空気を読んだように退室した。その気遣いもまた、懐かしい。
 俺は紙とペンを持ち、それから、本題を書きだす。


『この土地にまつわる話を聞かせてほしい 兄さんのことを 助けたい』


 文を書く手は、無意識に震えていた。少し"よれた"その文章を祖父へと向ける。祖父は短く息を吐き、じっと、湯呑を見つめたまま、切り出した。


「いつか、聴かれるだろうとは思っていた。……すまんが、じいちゃんも、そんなに詳しくは知らんのだ。ただな、昔から、山の祠には近づくな、と言われてきたんだ。『村の祠には、おカゲさんが眠っている。おカゲさんの眠りを覚ましたら、村に災いが起きる』と。……ユウジがあの夜、何を見たのかまでは分からん。だが、祠にほと近い場所で見つかった。ユウジは、魅入られたんだと、皆、そう思った――」


 ――『おカゲさん』は、村の守り神。『おカゲさん』は、子どもたちが大好き。『おカゲさん』は、その昔、生贄に捧げられた女児の成れの果て。『おカゲさん』は、大人を憎んでいる。『おカゲさん』に魅入られたら、その子はもう、逃げられない。

 
 伝承通りの言葉が並ぶ。祖父の話と、俺が見つけた文献を、脳内で照らし合わせる。――全ては、一致する。そうか、と。だから、兄は……ユウジ兄さんは。
 祖父が「待っていろ」と呟いた。席を立つと、書斎へ移動し、押し入れの中から何かを取り出した。
 厳重に、まるでよくあるオカルト番組を見ているかのようだった。お札が貼られた桐箱。けれど、よく見ると一度開けられた形跡があった。祖父は、それの蓋を開けながら言う。


「ユウジが勝手に持ち出した日があったんだ。中に入っていたものを持ち出して、だが、幸い無事に持ち帰ってきた。……だから安心していたのかもしれん」


 埃っぽい、それは紛れもなく、かんざし。時代劇などでよく見る、可愛らしい玉飾りのついたそれは、なぜだか悲しい気持ちにさせる。
 俺へとかんざしを差し出して、祖父は言った。


「これを、お前に託すのは、じいちゃんとして失格かもしれん。本来なら、俺や、俺の両親、……いや、それ以上前の人間がするべきことだ。――そのかんざしは、『おカゲさん』の形見だと言われているものだ」


 手に触れる、瞬間。俺はなぜだか、悲しい気持ちが強くなった。兄を救えると思ったからか。あるいは、これの持ち主の気持ちが伝わったとでもいうのか。どちらかは分からないが、涙があふれて止まらなかった。祖父は黙って俺の頭を撫で、小声を出した。


「お前は、昔からユウジを慕っとったからな……。頼む、ユウセツ。終えたら、また、無事にここに帰って来い」


 祖父は、今までで一番、優しくそう言ってくれた。


 山の中。地図にはない道。一度迷い込んだら出られない、と昔から禁じられていた場所。そこへ足を踏み入れるのは、これが初めてだった。
 風が止んで、葉が揺れる音も、鳥の声も、生物の気配が消えた空間。俺の歩く音だけが寂しく鳴っている。 
 古ぼけた祠は誰も管理者がいないことを示す。クモの巣が張り、枯れ葉が上に乗り、軽く朽ちかけていた。


「あなた、そこで何してるの」


 身構えていなかったため、その突然の声にびく、と震えてしまう。
 場違いなほど幼い声。女の子のそれが聴こえたほうは、祠の裏手。元より声など出ないので悲鳴を上げなかった俺の開いたその口へ、少女の声がまた入ってくる。


「それ。私のかんざし。じゃあ、『また』会いに来てくれたんだね――」


 ――ユウジ君。


 声ののち、姿が見えた。うっすらと、ピントが合っていないようにぼやけた少女の衣服。赤い着物だった。この時代にこんな七五三のような格好で出歩いているなんて。じゃあ、この子は。


 俺が黙っていたら、少女は足音も鳴らさずにこちらへ近づいてくる。そして、俺のすぐ前に来ると、観察するように覗き込んできた。それから少女は、「違う人か」と嘆息した。
 『おカゲさん』、もとい、『かげろうさん』だ。この少女が、兄を……俺を、みんなを。
 けれど、抱いていたはずの憎しみは、今は感じていなかった。憐憫とした気持ちだった。それしか、感じなかった。
 『かげろうさん』は、俺が喋れないことを知っていた。何か面倒そうに、それでいて、楽しそうに、俺の周りをくるくると徘徊し始める。


「そう。あなたは、ユウジ君の弟。そういえば、だいぶ前にあなたらしき人に会いに行った気がする。もう覚えていないけど。あなたのことも、『こっち』に連れて来て、って言われたから、そうしようとしたような、……あぁ。思い出した思い出した! あなたの傍に『在った』やつ! あいつにジャマされたんだ! ……なぁんだ。よく見たら、まだ居るのね。まあいいや。私から何かしなきゃ、そっちも何もしないし。……それで、そのかんざし、返しに来てくれたんでしょう? あと、あなたは、私からユウジ君を奪いに来た、と」

 
 そうして、正面。
 彼女は、その目を真っ赤に染めた。


「返せないよ。だって、ユウジ君は、私と結婚するの。めおとは、いつも、いつまでも一緒。そうでしょう? 奪わせない。ぜったいに」


 汗が滲み出る。威圧感は、まるで大男に見下ろされた時と同じ。小さなその身から溢れ出るそれは、殺気。このままその鋭い空気だけで俺は、八つ裂きにされそうだ、なんて思った。気圧されながらも、俺は口を開く。長い間出なかった声が、掠れたその声が、小さく、息と同時に漏れ出てきた。


「ユウジ兄さんは、ここには、来られない。だから、代わりに俺が、君と一緒にいる。……ただ、もう少しだけ、待ってほしい。まだ、やり遂げていないことが、あるから」
「……どうせそうやってまた、ユウジ君と同じように私を忘れてしまうくせに」
「約束する。……聞いたんだ。君は、生贄にされたんだろう。……何人も、何十人も。子どもたちが、全世界で、生きたまま捧げられた。……俺は、それを供養してあげたい。君も含めて、俺は……救いたいんだ。……だから、その代わりに、兄さんを、……ユウジ兄さんを、返してくれ」


 喉がひりひりする。また、涙があふれてくる。息が詰まり、頭がくらくらする。ようやく辿りつけた真実は、こんなにも、悲しいものだった。どうしようもない。それはもう、人間が解決できるような領域でもなく。けれど、だからこそ、俺は申し出た。この時のためにずっと、探してきたのだから。……あの日。あの幼い夏の日。川で溺れかけた時にきっと俺は一度『死んだ』人間だ。なぜか生き延びてしまったけれど、きっとそれが答え。
 『かげろうさん』は、じろじろと俺を見つめる。何を考えているのかなど分からない。読み取れるはずもない。だってこの子は、人間ではない。生身の人間から感じられる暖かさや気配がない。目の前にいるのに、何もいないような、そんな感覚。


 軽い鈴の音がした。意識を戻したら、誰もいなかった。風がざわざわと葉を揺らしている。小鳥のさえずり、何かの動物の声。自然の音が一気に戻ってきた。そして、鼓膜の奥へと声が響く。


 ――約束。もう、破らないで。私はいい子だから、待っていてあげる。……ユウセツ君。あなたのお兄さん、ユウジ君。解放してあげる。ただし、あなたが戻って来なかったらその時は、2人とも、『こっち』に連れ込むからね。


 それきり、声は聞こえなくなった。気づけば、手に持っていたかんざしもない。後には、朽ちかけた祠だけがそこにあった。




 俺が『かげろうさん』と会った日を境に、また変化があった。兄さんが正気に戻り、俺に巻き込まれた人たちが、意識を、正気を取り戻していった。まるでおとぎ話のよう。けれど、すべて現実のこと。俺は、ただそれが嬉しかった。そして、覚悟を決めた。

 
 慰霊碑、供養塔。論文の公表。機関を相手に説明を求め、世界の人間に明言する。糾弾や、批判は当然のことながら多かった。そして俺は、賛否両論、すべてを受けた。
 俺の活動に賛同して、仲間も大勢集った。反対意見も徐々に圧倒し、いつしか世間の人々は、俺のことを称賛するようにすらなった。もちろんすべてではない。俺の行ないは、タブーだと言われた。掘り返してはならないことだと。決して表に出てはいけなかったことなのだ、と。俺は、懸命に抗った。誰のためか、決して忘れず、ずっと、ただその信念だけを貫いた。


 ――ああ。もう、やりきった。
 俺にできることは、すべて。




 あれから何年経過したか。
 道のりを覚えているわけではなかったのに、迷うことなくそこへたどり着いたのは、きっと……『かげろうさん』の導きによるもの。
 いまさら、恐れはないし、後悔も、未練も何ももう、ない。


 変わらない祠の姿。そして、変わらない少女。俺のことを見るなり、くすくす、と笑う。


「あなた、いい顔になったじゃない」
「ああ。……君のように、犠牲になった子たちを弔うための、然るべき場所も作れた。――自己満足に過ぎないが、俺に出来ることは全部やってきた」


 だから、と言いかけたその言葉を、『かげろうさん』は遮った。口を開けなくなる。言葉が出なくなる。これが、神様の力ってやつか、なんて、ひとごとのように思った。
 『かげろうさん』は、瞬きの一瞬に、『あの時』の姿になった。可愛らしい美少女の姿。あの日、俺を襲ってきた時のあの格好。心臓が変な揺れ方をしたが、悲鳴の一つもあがらない。……きっともう、驚くことはなにもない。全部やったから。俺は、俺の正義に従って。
 そんな俺の内心を知ったように、『はま』は……『かげろうさん』は、愉悦そうに言う。


「正義の味方だね。ギダちゃんらしい。……でも、私もね、満足したわ。あなたの行ないはすべて見てきた。だから、あなたがまだ、私のおともだちとして来るべき時機じゃないことも分かった」


「これからも見守っていてあげる。だから、次あなたに会うのは、あなたの死に際だけ。それまでせいぜい、充実した人生を送りなさい」


「私はさみしくなんてないわよ。あなたには見えていないけれど、私の周りには、これまでおともだちになってくれた子どもたちがたくさんいるのだから。意外にも寂しくないの」


 矢継ぎ早に、そう言われた。呆気に取られて動けない。あるいは、金縛りにあっているのか。それすらも分からなかったが、『かげろうさん』は満足げにその場で一回転した。無邪気な、今の見た目には不相応なその幼い言動。いくら見た目を変化させても、中身はきっと、生贄にされた当時のままなのだ。
 『かげろうさん』の愛らしい笑みが、俺へと向けられた。


「私ね、ユウジ君に一目ぼれしたの。あんなふうに優しく笑ってくれる男の子には、出会ったことがなかったから。――でも今は、伴侶もいるし、配偶者も」


「すでに肉体も魂もない私に、彼を振り向かせられる要素はないから諦めたの」


「でも、今度はあなたが、私の傍にいるなんて言ってくれた。とても嬉しかったわ」


 そう語る『かげろうさん』は、まったく、女の子然としている。そして、随分と人間らしい純粋な理由から、ユウジ兄さんを狙ったんだと知った。恐らく、それは決して許されるようなことではないのだろう。『かげろうさん』のその純粋な気持ちのせいで、俺や、周囲の人間、それに兄さんは、随分長いことこの世界から隔離されたのだ。この場にもしもあややがいたら、キレて強制除霊なんて事態になっていたかもしれない。……神様相手に除『霊』なんて効くのかなど俺には知る由もないけれど。

 俺の目の前へと歩を寄せて、『かげろうさん』は、俺の目と鼻の先で囁く。その声は、これまでで一番穏やかで、人らしい温もりを感じる言葉だった。


「あなたと会えて、良かった。さようなら、ギダちゃん――」

 ――ありがとう


 言葉と共に、突風が襲い掛かる。目を開けていられなくて、咄嗟に顔をそらす。この間、俺は立ちくらみに似た気分の悪さを覚えた。宙に投げ出されているような感覚。地に足がついていないような心地。油断をしたらきっと地の底まで振り落とされるんじゃないか、なんてことすら考えた。
 風が落ち着いた気配を感じ、そっと目を開ける。――気づけば、山の入り口。強制的にダンジョンの入り口へ押し戻された、とそんな稚拙な例えが脳裏を過ぎった。そして、祠へはそれきり、辿りつけなくなった。


 科学では解明できない現象――オカルト現象。科学の進歩とともに徐々に明らかにされつつある、この世にはびこる無数の怪奇現象、怪異現象。
 これは、俺が辿ってきた数奇な運命――そしてその、物語。


 ――まてや。


 ――ゆけよ。

 
 ――そやて。


 次は、また会う時に。もしかしたら、あなたの傍でも。



 お仕舞い
16Jun2019

Copyright © 2018-2020 flowiron All rights reserved.